117 すずらん模様①
メアリーとエイダがスッツデール帝国を旅立って数日。何度か宿を変え、やっと居心地のよい場所を見つけられた頃だった。
メアリーは扉の軋む音で目が覚めた。どうやら朝市に出かけてきたエイダが部屋に戻ってきたようだ。
「メアリー様、おはようございます。起こしてしまいましたか。」
「構わないわ。エイダはいつも早起きね。」
「習慣ですから。」
メアリーが声をかけると、エイダははにかむ。少し申し訳なさそうにこちらを見つめる彼女の手には一枚の紙が握られており、メアリーの掛け布団上にそれをそっと置く。
「これは?」
メアリーはそれを手に取る。
「ご家族に匿名でお手紙を書かれませんか?発送地も、名前も明かさずに送れるそうですよ。」
なるほど、この国は商業で支えられており、需要さえあれば他の国では咎められるようなサービスも存在していた。少し特殊な郵便サービスくらいなら、普及しているのも不思議ではない。
「それは気になるわね。」
メアリーはそのチラシによく目を通す。通常の郵便よりも値段ははるかに高額だが、その内容は魅力的だった。
意に添わずスッツデール帝国に嫁いだとて、皇妃であれば社交の場に出るものであり、いつかは家族に会える可能性はあった。けれども、エルドレンに迷惑をかけまいと逃亡生活した身では、家族や友人に会えるのか、いつまでも会えないのか全くわからない。
ラウスト王国にいる家族たちの顔が浮かぶ。海に近いこの王国の食事も申し分ないが、家族や友人と摂る食事には敵わない。少しの間物思いにふけっていたメアリーにエイダは小さな笑い声をあげる。
「メアリー様はきっと手紙を出されると思って、便箋は私が購入してまいりました。」
エイダは鞄から美しいすずらん模様の便箋と封筒を取り出す。
「2つも買ったの?」
「エルドレン様にも送られるでしょう?」
エイダは見透かしたように、ふっと微笑む。
「そうしたいのは山々だけど、2つも送ったら滞在費がかなり少なくなってしまうわ。」
いくら十分な滞在費があるとは言え、手元のお金には限りがある。誰にも頼れない今、計画性もなしに大金を支払うのはためらわれた。
「それなら、私が働きに出ますよ。」
エイダは胸を叩き、頬を上げる。だが、メアリーは首を横に振る。
「わがままだとはわかっているけど、寂しいの。必要なら私も働くから、もうしばらくは一人にしないでほしいわ。」
そんなメアリーの言葉にエイダは小さく頷いた。その様子を見たメアリーはベットから出ると、旅行鞄をごそごそとまさぐる。
「メアリー様、片づけでしたら私にご命令いただければ……。」
メアリーは返事をすることなく、振り向く。その手には小さな小箱が握られていた。
「これを売りに出すしかないようね。」
メアリーはエルドレンからもらった髪飾りを小箱から取り出す。一部が壊れてしまっていたが、その部分を削ぎ落としても、それでも美しい意匠であり、高値がつきそうだ。
「メアリー様、それは……。」
「いいのよ。良い思い出だったわ。」
推し活をしようにも持ってきたグッズは壊れたり、急いで出立したこともあり持って来れなかったものもある。グッズさえこれが最後。メアリーは涙を堪えて、その言葉を絞り出した。
エイダは何か考えるそぶりをして、しばらく黙ったかと思うとおもむろにメアリーの手を取った。
「その代わり私1人でそれを売ってきても良いですか。」
「構わないけど、どうして?」
メアリーはその小箱をエイダに受け渡しながら、疑問を口にする。エイダが持ち逃げする心配など全くしていないが、意図が分かりかねているのだ。
「僭越ながらメアリー様よりは、平民たちとの交渉ができるかと。どこぞの令嬢を思わせるメアリー様とご一緒では、相場のわからない人間だと舐めてかかられて、高値がつきにくいかもしれません。」
「そうだったのね。それならエイダにお任せするわ。」
メアリーはにっこりと微笑む。
「それに、私が部屋にいては書きづらい内容もあるでしょう。」
エイダは部屋を見渡す。ツインベッドに小さな物書き机、2人分の旅行鞄ですでに部屋は埋め尽くされている。滞在費を軽くしようと、メアリー自らこうした部屋を希望したのだ。
「ありがとう、エイダ。」
苦境に陥ってなお、気遣いを欠かさない侍女にメアリーは笑みを返す。
「お食事を準備しましたら、夕方まで戻らないかと。こんな高額な品物、そのあたりの店では売れませんから、店から見極める必要がありますから。」
「そんな必要があるなんて、知らなかったわ。エイダに任せて正解だったわね。」




