114 掛け違い
絶望の日々の中、狂乱するマシュベリーを見て、その夫であるウィリアム皇帝は幼い赤子をどこからか連れて来た。
「エーデルと言うそうだ。」
そう言って渡された弱弱しい生き物は布にくるまれて身動き一つできない。ただただ、腕の中の小さな赤子はかわいかった。でも、どうして私の子はいないんだろうと、その瞳が私を見つめるたびに、マシュベリーは責められたような気持ちになる。
後に、その子がアンドルーとスヴェンナの子であるエーデルだと知った。
夫は優しい人だ。エーデルを引き取れば、それが一番の望みではなくとも、きっと妻も落ち着きを取り戻す。スヴェンナも外国で幼子を抱えることなく、第2の人生を歩める。アンドルーは彼の母を殺したことで離宮に幽閉されているが、皇位継承順はともかく、彼の息子は罪を背負うことなく、堂々と皇族の一員として復員させることができる。そういった思惑があったのだろう。
それが果たして正解だったのか、今になってはわからない。
その後、無事にシュレインが生まれた。役目を果たし、やっと穏やかな場所で安心して幸せを嚙みしめられる。その後も何度か妊娠にするも、出産には至らない。やつれていくマシュベリーを見て、夫は肯定として世継ぎがもっと必要であろうに、『もういい』とすら言ってくれた。
一縷の望みであるシュレインが皇帝の器でないことは、傍で育ててきたマシュベリーにはありありとわかった。ただ、彼が生まれたことは比類なき私の幸せであり、それと同時に毒の副作用を示すものとして存在している。それを肯定するには、彼を一種の拠り所として依存するよりほかなかった。
さらに数年も経てば、年齢差があるとは言え、息子たちの資質に差があることが露呈していく。夫は優しくもあり、物事を正確に見ては、正しい指摘をする人だった。だから、彼が言うようにエーデルを次の皇帝と認めるべきだと言うこともよくわかっていた。
なら何故、皇帝である夫を殺したのかと問われるだろう。世の中には理性的に「正しい」ことを選べる人間だけではない。人間には感情やそれに至る思いがある。心の中で抱えるものはありつつも、マシュベリーはまだ皇妃として上手くやっていけるはずだった。
ただ、夫のウィリアムは踏んではならない地雷を踏んでしまったのだ。
『お前と離縁すれば、シュレインは庶子になるぞ。』と。
マシュベリーが彼と離縁したら戻るのは父のいるサザランカ領なのだ。今の私は、もう父に求められることはないかもしれないが、シュレインはどうなるか分からない。エーデルのこともかわいいとは思う。だが、安全地帯にいられる彼と私たちは違うのだ。
それでも、サザランカ領のアンナの元にエーデル預けたのは、父の魔の手をこの子にも与えないためだった。それくらいの情は私にだって残っていた。
それに、あの夜、エーデルと対面した時は神が審判を下すために、彼を遣わしてくれたのだとさえ思った。
ああ、エーデルは私が憎らしいでしょうね。そう思いながら彼の刃を逸らすことなく体いっぱいに受ける。銀の刃先には軽い体重しか乗らず、致命傷には至らない。でも、私、骸ですらあの地には帰らないと決めたの。
シュレインに先導を渡し、自分に手をかける。
さようなら理不尽な世界。
◇ ◇ ◇
アンナが侍女としてマシュベリーに仕えていたころの話、サザランカ領での噂、メアリーから聞いたこと、エーデルから聞きかじった話や、その視線が物語るもの。そういったことを勘案すればマシュベリーの生い立ちから亡くなる直前までの思考は大方想像がつく。
アンナは彼女の生い立ちに自分の人生を重ね合わせる。
マシュベリーに翻弄されたのは事実で、彼女に恨みがないと言えば噓になる。彼女の支配から解放されたくて、メアリーの手を取った。だが、マシュベリーと共に薄暗い世界で生きてきた人間には、それは余りにも眩しすぎた。
私はマシュベリーが言うように、出会った人間に絆されやすいのだろう。だから今、彼女の気持ちに引っ張られすぎている。
整理をつけたうえで、私はメアリーに謝るべきなのだろう。さっきの件は疲れていて品のない冗談を言ってしまっただけだと。機会はまだある、冷静になってから出直すべきだ。アンナは疲れを取ろうと長椅子に横になる。
その選択は間違いで、ついぞその機会は訪れなかったのだ。
◇ ◇ ◇
同刻。
エイダが入れてくれた就寝前のハーブティーを啜りながら、メアリーは赤くなった目をこする。
「エイダ、私王国に帰ろうと思うの。」
「そうですか。一度、そうなさる方が良いかもしれませんね。」
安心して、家族の元へと帰りたくなったのだろうか。アンナからメアリーの体について心配することは何もないと聞いていたエイダは、メアリーの泣きはらしたような目の赤もその真意にも気が付かない。
「エイダには申し訳ないけど、明朝には出たいの。用意できる?」
「わかりました。久しぶりにご家族に会えますもの、急ぎたいですよね。でも、エルドレン様たちに告げずに発って良いのですか?」
「皆には置手紙を残しておくわ。」
エルドレン様の方は後々嫁ぐのだから、それでも良いのだろう。エイダはこの後に訪れる短時間での荷造りで頭がいっぱいになり、普段のメアリーとの行動との違和感に思い至らなかった。




