112 生い立ちを重ね合わせて①
仮にメアリーの毒が妊娠に影響したとしても、アンナとは違って彼女は嫁ぐことなくラウストの王宮に戻るだけ。彼女の記憶喪失に世界中の皇室と王室に緘口令を敷くような両親なら、彼女がこんな状態になっても歓迎してくれるだろう。愛に溢れるその場所で、メアリーは不自由なく暮らしていける。
それに婚約者であるエルドレンもメアリーの状態に関わらず妻に迎え入れたいと言っていた。それもお飾りの皇太子妃などではなく、純粋な愛として。エルドレンの両親はどう言うかまではわからない。ただ、彼の従者から聞いた話から考えれば、エルドレンが一途に愛するメアリーを見れば、彼の両親も結局は彼女を迎え入れるのではなかろうか。
そもそもこの毒は摂取した期間に比例して影響が残る。メアリーは短時間で大量に盛られたから、命の危険もあったのは事実だ。だが、あれは急性的な中毒症状なだけで、その多くは吐かせたし、適切な処置も行った今、メアリーが心配するようなことはほぼ将来起こりえないと考えても良い。
令嬢として役に立てぬアンナは、悪い方へと転がり落ちるように人に利用されてきたのに、なんと彼女の道の明るいことだろうか。どこか冷たい気持ちで瞳を伏せたメアリーを見る。
亜麻色の美しい髪、薄桃色の可愛らしい瞳を持ち、愛も金銭にも不自由したことのない者特有の振る舞いを見せ、彼女を純粋に恋い慕う美しく実力のある婚約者までいる――こんな特別な存在、たまたま出会っただけで本来は雲の上の存在なのだ。アンナのような下位貴族、それも名ばかりの令嬢が嫉妬のような感情を持つことすら道理に反する。
先ほどの一言も王女としては民を気遣う言葉と言える。それにはなんの違和感もなく、マシュベリーが持っていた嘲笑や嘲りは含まれていない。だけれども、今のアンナにはそれを素直に受け止められる余裕などなかった。
今ならマシュベリーの気持ちの方が理解できるのかもしれない。気が付くとアンナの口から、本人の意に反した言葉がまろびだした。
「メアリー様もかわいそうに。シェレンディア帝国との婚約は難しいでしょうね。」
「やっぱり……?」
上目遣いで見つめるメアリーにアンナはどきりとする。ここで、嘘です、冗談ですと素直に言えたらどんなに良かっただろうか。アンナはまるで自分の口にマシュベリーが乗り移ったかとさえ思わずにはいられなかった。
「それに婚約者の彼が良いと言ってもその両親はどう思うかしら。」
「そうよね……。」
物わかりの良いメアリーにアンナは肩透かしを食らった気分になる。メアリーが違う、そんなことないわと泣きわめいてくれたら、溜飲を下げて、この禍々しい口もちょっとは素直になれただろうか。
「ごめんなさい、アンナ。ちょっと一人にしてくれる?」
返事すらせずにアンナは部屋をあとにする。苛立ちや嫉妬をメアリーにぶつけ、もやもやとしていた感情は消え去ったと思いたいが、足が磁石のように張り付いて動けない。アンナはメアリーの様子を見に来た侍女のエイダに見つかるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
マシュベリーは何故あのようなことをしたのか。確実なことは明かされていないし、アンナが知る彼女の過去をつなぎ合わせてもわからないだろう。ただ、命乞いもせず、あの場で息子ともども死を選んだ理由はアンナにはわかっていた。
推測の範囲もある。だが、マシュベリーを彼女たらしめたのは、彼女の生い立ちにあったといえるだろう。
マシュベリー・サザランカはスッツデール帝国で代々続く侯爵家に生まれ、リーグラスフィン大公国という小国出身でありながら美しい母を持ち、その美貌を受け継いだ女性だった。
スッツデール帝国は海の男が為した国であるから、体格の良い女性が好まれるし、その結果、貴族女性も上背のあるがっしりとした女性が多い。だが、侯爵は他の貴族とは違い、そうした女性を嫌って、わざわざ外国の小柄な女性を妻とした。
そんな令嬢であるマシュベリーが何故、毒物を身近な物としていたのか。アンナのように北の領地で、穀物が育ちにくく、山にある珍しい薬草の採取や精製の技術を進めることにより、領地を豊かにしてたところなら不思議ではない。
だが、サザランカ領は田舎と言えばそれまでであるが、南の肥沃な大地で穀物畑が広がる豊かな土地だ。侯爵家ではありながら、金銭的には公爵家とも遜色ない暮らしができただろう。そんな彼女が危険なものに手を出す必要はないはずだ。
別の着眼点から見てみよう。サザランカ領にはここ数十年不思議な都市伝説があった。教会で暮らす孤児たちは、他の領地の孤児立ちよりも栄養状態は良く、身なりも良い。それは領主からの寄付金だけでなく、領主個人からの献金もあって、豊かに暮らしているらしい。
そんな御恩をお返しすべく、月末に1回、サザランカ領主の城で孤児たちの合唱団や音楽行事は開催された。選ばれるのは幼い子どもたちばかりで、お世辞にも上手な演奏とは言い難いが、領民も微笑ましくそれを見守り、サザランカらしい行事として定着していた。ただし、巷では舞台で見た孤児たちの人数よりも、帰りの馬車に乗り込む人数が少ないなどと言う噂があった。
実際に彼らはいつも数日遅れて、手や足に赤い縄の跡を作り、粗末な馬車で教会の入り口に捨て置かれるように戻って来る。アンナも長らくサザランカ領の教会の塔で暮らしていたから、その噂は耳にしたし、それがまぎれもない事実であることを知っていた。
行事から遅れて帰って来た女の子は1週間以上ベッドから起き上がれなくなることもあったし、綺麗な顔なら男の子も同じ状態であった。そうしたことが頻繁に起こった少年少女らは、就職と称して、幼い時分からサザランカ領主の城に仕えることもあった。




