104 過去の記憶②
エルドレンは誰かを困らせようだとか、そんな気持ちは一切なく、ただ彼女を少しの間独り占めしてやろうと思っただけなのだ。だが、予想外だったのは彼女も乗り気だったことで、いつの間にか2人で王宮外まで出かける計画になっていた。王宮にいてばかりのメアリーにはエルドレンの提案は願ってもないことだったらしい。
ハルラムの兄弟たちがやってきて一気ににぎやかになった部屋から、エルドレンとメアリーは抜け出す。『かくれんぼ』と称した、幼子2人の逃避行だ。
子どもの1人に『かくれんぼ』をしようと伝えたから、時間稼ぎはできたはずだ。騒動になる前に、建物を抜け、食堂近くに止めてあった馬車が目に留まる。食料を王宮まで届けに来たのであろう、置かれた林檎箱は空になっており、子ども2人なら余裕で隠れられそうだ。
「まだ、次も回るのか?」
「いいや、ここが最後だよ。」
「そうか、お疲れ様。明日も頼んだよ。」
馬車の持ち主はもうすぐ出てきてしまう。そう思った2人は迷うことなく、箱に身を隠す。そんなことを知らない男性は空箱を確認するはずもなく、門番に不審がられることもなく2人を王宮外へと連れ出した。
母によれば、それからは大騒ぎだったらしい。だが、当の本人たちは、知ったことではない。
「エル君の国の花まつり?楽しそう。」
「首都も有名だが、東のお祭りも見ものなんだ。」
メアリーとエルドレンは、手綱を引く商人にバレないよう、こそこそと話しだす。箱の隙間から光が漏れて、外の様子が少しだけ見えた。当初、メアリーは隙間から見える景色を楽しんでいたが、街道ばかりが続くので飽きてしまったのか、エルドレンとの会話に興じている。
「いいなあ、シェレンディア。行ってみたいな。」
エルドレンもメアリーの願いを叶えてやりたいと思うが、今は東部の状況が良くない。シェレンディアの民ならともかく、外国のお姫様を招くのは少々難しいだろう。
「有名なお菓子もあるんだ。」
「食べたい!連れて行ってよ。」
メアリーの純粋な一言に、エルドレンは飛躍して、遊牧民たちを自分が一掃しなければとまで考え始める。
「わかった。数年かかるけど待っておいてくれ。」
「そんなにかかるの?」
若干の行き違いを起こしつつも、王宮の外までは順調な滑り出しを見せていたはずだった。
◇ ◇
「探しましたよ!」
「来たか。」
「あー、見つかっちゃったか。」
迎えに来た騎士の紋章を見て驚く商人、困り顔を見せる商人の妻をよそに、エルドレンとメアリーは呑気にホットミルクをご馳走になっていた。
帰宅した商人の彼が、空箱のはずの林檎箱が重いと不審に思い、蓋を開けてみた。すると男女の子どもが寄りかかる様にしてすやすやと眠っているではないか。
彼は定期的に王宮に出入りしていると言えど、食堂にしか用はなく貴族の顔は全くわからない。しかし、子どもたちの身なりの良い服装を見て、ただ事ではないことには気づいた。だから、すぐに役人に連絡を入れて、エルドレンとメアリーがこれ以上どこかに行かないように、妻に命じて2人を留め置いたのだ。
少しの嫉妬といたずら心が満たされたエルドレン、王宮から抜け出してみたいという願いが叶ったメアリーは、眠たさも加勢し、それ以上逃げ出すことはなく、騒動になっていた王宮から来た護衛達に簡単に捕まったのだった。
◇ ◇ ◇
その日は顔を腫らした母親たちに抱きしめられるも、エルドレンもメアリーもことの重大さが分かっていなかった。エルドレンは母の抱擁に少しだけ満たされていたが、ここに来る前ほどその温かみを欲していないことにも気が付いていた。
翌日からは聴取を受け、2人で協力して脱出したことを説明する。誘拐の類ではないことに、周囲は胸を撫でおろすと同時に、シェレンディアの悪評が尾を引き、エルドレンへの懸念が強まっていることを本人も感じていた。もちろん、メアリーも自分から脱走を望んだのだと説明し、擁護してくれたが周囲の評価は変わらず、エルドレンはまたかと思うばかりであった。
だが、親同士のとりなしで、文通は許され、それだけが2人をつないでくれていた。いつか見返せばよいと、エルドレンはメアリーに会えなくとも、鍛錬に打ち込こむことで、気を晴らしていた。
それから3年ほどたった頃だろうか。ぱったりとメアリーから手紙が届かなくなった。自分自身のことで段々と忙しくなっていた時期であるし、メアリーももう9歳だ。将来の社交の場で恥じぬよう家庭教師から学ぶことも多く、忙しいのかもしれない。
ただ、その年齢の王族は早ければ嫁ぎ先を選び始める時期だ。自分も立候補しようか。ラウスト王国の人間たちには白い目で見られるだろうが、メアリーとは心を砕いているはずだ。自国での実績も積み上げてきたし、申し分ないだろう。
そう思っていた。
婚約の申し込みの返答は、彼女からの直筆ではなかった。内容が内容だけに、それ自体は問題ではない。ただ、メアリーには記憶がないと告げられたことが問題だったのだ。
最初はこちらと関わらせないための嘘かと思った。ラウスト王国はフィストラル王国ほどではないにせよ、歴史のある大国だ。王国から見れば、シェレンディア帝国は比較的歴史の浅い、寒い、小競り合いの絶えない野蛮な国だと思われているだろう。
祖父母の代には大陸中心部に社交に出る際は面と向かって揶揄されることもあった。今はそんな素振りを見せず、表向きは良い付き合いをしていても根ではどうも思っているかはわからない。ただ、それはまだ良い最悪のシナリオだった。
だが、部下に探らせれば、メアリーが記憶を失っているのは紛れもなく事実で、単にシェレンディア帝国からの申し込みを忌避している訳ではなかった。
事情を詳しく聞くと、特定の人物の記憶を失っているようで、身近な人物としては彼女の兄のシリル、カヴァリア連邦のハルラム、その他数人、その中にはエルドレン自身も含まれていた。




