103 過去の記憶①
半年ほど前に勃発したシェレンディアとカヴァリア連邦の小競り合いは両国に緊張をもたらしたが、それは予想に反してひと月ほどで収束した。なんでも、ラウスト王国に縁のある人間がそれに貢献したらしく、和解のための調印式がこの国で行われていた。
まだ9歳のエルドレンは、最近になって朝議の場に顔を出すことを許された身であるから、全ての事態は把握できていない。だが、先の戦では同様の諍いが大きな火種となったことは学んでおり、今回の経緯については何か天啓があったようにも思えてしまう。
王宮では調印式のため、両親を含めた関係各国の皇族や王族たちが集まっていた。それは各国のトップたちだけでなく、3国間の関係を深めるために子どもたちも連れてこられていた。次世代を担う彼が顔見知りとなることで、平和な未来を築いてほしいという思惑があったのだろう。
だが、流石に調印式の場に子どもがいるのは適切ではない。そのため、自分を含めた子どもたちは離宮に集められることとなっていた。
両親は先に王宮で降りた。だから、離宮へとエルドレン1人を誘う馬車は無駄に広々としており、自分の空虚な心を表しているようだ。動きが止まり、扉が開かれる。従者の手を借り、そこから飛び降りて、人の待つ玄関へと足を踏み入れた。
へえ。面白いな。エルドレンは眼前で待つ人物のことは気にも留めず、建物内部をぐるりと見まわす。シェレンディアの城よりも1枚が大きく取られたガラス窓、これは冬が厳しくないからこそ断熱を度外視できるのだろう。
それに、床材には木材も使われており、それが格子模様を描いて室内を華やかにしていた。床は大理石など安定した石材を用いる方が傷みが少ない。だが、これであれば寒さが伝わりにくいので採用されているのかもしれない。
そんなことを考えていると、目の前の少年がコホンと咳をする。ああ、そうだった。相手がいたのだ。
普段、両親の外遊に同行したところで、シェレンディア王族の男性である自分には同世代の子どもたちには近寄ってこない。おそらくその両親達からシェレンディア王族の噂を言い聞かせられているのだろう。何も知らなかった頃は、彼らに袖にされては悲しいと感じていたが、最早、暇を1人で潰すことにも造作ない。
両親から『同世代の子たちと仲良くしてらっしゃい。外国のお友達ができるといいわね。』などと言われたことをすっかり忘れていたエルドレンは、第3者にでもなったつもりで、自分事をどこか傍観する。
「初めまして。シェレンディア帝国第1皇子エルドレン・シェレンディアだ。よろしく頼む。」
慣れた挨拶の言葉には淀みがない。
「初めまして。ラウスト王国第1王子シリル・フォン・ラウストだ。あそこにいるのが、妹のメアリー。」
金髪にオレンジがかった赤い瞳を持つ彼は、自分と同じくらいの歳に見えた。その彼が指さす方向、斜め後方を見ようと振り返ると、花瓶の後ろから亜麻色の髪がひょっこり覗いていた。
「ラウスト王宮では野ウサギを室内で飼育されているので?」
エルドレンはシリルに向き直り冗談を言うと、小さな足音と共に背中に衝撃が走る。
「メアリーは野ウサギじゃないもん。」
背後から現れた彼女は野ウサギよりも淡いピンクの瞳を揺らす。エルドレンの服の裾をシーツのように巻き付けて、頬を膨らませていた。
エルドレンはそんなメアリーの髪を撫でると、彼女は気を許したのか、満面の笑みを向ける。あまりにも眩しいその表情と仕草に、慣れないエルドレンはどぎまぎとしてしまう。
「あなたはだあれ?」
「エル…。」
そんな時に急に話しかけられては答えられるものも答えられない。
「じゃあ、エル君ね。私はメアリー。」
その様子を見ていたシリルだけが眉根を寄せるも、メアリーは全く意に介さず、エルドレンの手を引いて、部屋へと案内しようとする。同世代の子女からは警戒されることが多く、普段会話を交わすのはいくつも上の大人たちばかりだ。
「あんまり私には触れない方がいいと思う。」
こんな風に接してもらうのは初めてのことで、エルドレンは言わなくてもよいことを自ら口走ってしまう。
「なんで?」
メアリーは何も知らないのか純粋に疑問を口にする。エルドレンは正直に話すか一瞬悩んだ。
「……みんながそう言うから。」
だが、この手が離されるのが惜しくなり、ぶっきらぼうに彼女に答える。
「ふうん。見てないなら良いのよ。」
そう言ったメアリーの背後ではオレンジがかった赤い瞳がエルドレンを射抜く。
(そんなに見なくても君の妹には何もしないさ。)
シェレンディア王族とあって警戒されていることは理解していたが、彼女の屈託のない笑顔を見るとつられて笑ってしまう。
「あ、笑った!」
そう言われて、ハッとしたエルドレンはさっきと同じむすくれた顔に戻る。
「あれ?」
彼女はこてんと首を傾げるも、その手を緩めることなく、廊下を、庭園を、部屋を駆け抜けていく。メアリーはその間、身振り手振りを交えてこの絵には歴史があるだとか、珍しい品種だとか、装飾品がどうだと一生懸命説明してくれる。
エルドレンの弟であるイシュタルは生まれた時から小さく、4歳になった言うのに、しばしば母に抱えられたままでいた。自身が同じ歳の頃にはお腹の大きくなった母を見て、遠慮がちに接していた。だからずっと甘えられぬまま小さな大人として、将来皇帝となる第1皇子として生きてきた。今日もイシュタルは乳母に抱えられて、遠くに見える離宮で父と母の近くにいるのだろう。
彼女と嵐のような時間を過ごしていると、そんな気持ちも忘れ、心が晴れてくる。
やっとお茶と菓子の用意された部屋に連れてこられて、エルドレンはソファに腰を下ろす。少しの疲労もなんだか心地よく、紅茶にジャムを添えて一息つく。
「メア―ー」
初めてエルドレンからメアリーを呼びかけようとした時、部屋の扉が開かれる。
「やあ、シリル。」
「ハルラムか、よく来たね。兄弟たちは後から来るのかな?」
「ああ。」
ハルラムと呼ばれたその青年は、ここにも訪れたことがあるのか慣れた様子で部屋を歩く。
「メアリーは今日もかわいいね。」
彼はメアリーの肩にその手を乗せ、瞳に宿した星のきらめきからウィンクを繰り出す。
「ハルラム兄様、ありがとう。」
メアリーは顔を上げて、少し頬を染める。
ちょっと彼女と打ち解けてきたと思ったのに、エルドレンは後から現れたハルラムにメアリーを取られたように感じてムッとしてしまう。
だから、あれはほんの気の迷いだった。




