100 ゴブレット
「お口に合いませんかしら。」
マシュベリーはこてんと首を傾げる。今日も今日とて、顔は黒いチュールで覆われているが、その目は手を止めたエルドレンの指先、カトラリーを見つめているように思えた。今日の主賓はそんな彼女と2人のみ。シュレインは体調不良らしく本日は会食を欠席している。
「いえ、そういう訳では。滞在も1週間以上経ちますが、飽きもしない味付けが素晴らしいですね。」
「よかったですわ。シェレンディアはあのフィストラルの食事を真似ていると聞きますもの、こちらの食事は質素に思えるのではないかと心配していたのです。」
「リーグラスフィン大公国に所縁のある皇太后様にも同じことが言えるのでは?」
「やだわ、改革後はあそこも質素よ。」
声を出して彼女が笑う。乾いたその笑いが収まり、時計の秒針が響く部屋で、マシュベリーが突然手を叩いた。その合図とともに、エルドレンの前には口元が金であしらわれ、宝飾がごつごつとしたゴブレットがサーブされる。
「リーグラスフィン大公国ゆかりのお酒なの。話題に上ったし、ちょうどいいでしょう?」
「……あなたの母を、ウィリアム皇帝を、キリアンを殺した毒とこれは同じですか。」
「面白い子ね、流石セレスティアの子かしら。」
彼女は顔を覆っていたチュールを上にあげ、その顔を露わにする。ギョロリとした目玉に、褪せた薄桃色の髪。今の姿はまるで魔女のようだが、さぞ若い時は蝶のように花のように人々を魅了しただろう。
「でも残念、私の母は違うのよ。あれはちょっと強力で、少量だと遅効性だから使いにくくてね。」
マシュベリーは自分のグラスに着いた口紅をそっと指で拭う。
「ウィリアム以降は子飼いの薬師に作らせたの。面白いでしょう、妹が開発した毒で、兄が死ぬんだもの。あの子は兄のために私に従っていたのにね。」
「こんなことを私に話してよかったので?」
「あら、私を拘束するつもりでしょう?」
彼女の長い爪は窓の外を指さす。軍は明かりを付けずに行動しているが、勘の良い経験者ならば鎧が月の光により反射して照らすのに気が付くかもしれない、そんな程度だったのに。
「あなたは軍人ではないはずだが。」
「あれ?大公国の件、首謀者は私って忘れているのかしら。」
ああ、彼女の母はマシュベリーをかばい故郷を追われ、その先で彼女に利用されるため殺された。そんな仮定が本当だったとは。
エルドレンはゆっくりと腰に差した剣を引き抜く。
「もうすぐ包囲される。」
「どの罪かしらね。」
なお平然とするマシュベリー喉元を銀の切っ先が捉える。
「おい、ユーリ。皇太后様を拘束しろ。」
「……ふふ、迂闊な人ね。」
「は?」
エルドレンの声と共に、扉が開く。ふわりとしたドレスが揺れ、白い腕は背で拘束されている。その後ろには、その綱を持つ女性が控えていた。
「メアリー!」
エルドレンに呼ばれたメアリーは、ぽろぽろと涙を流す。
「ごめんなさい。エル。」
「メア――」
「剣を置きなさい。」
マシュベリーはエルドレンの声をぴしゃりと遮った。
「婚姻期間が短いとは言え彼女がアンドルーの子を身ごもっていたら困るもの。彼の母もそうだったしね。まあ、あちらは公爵の子かもしれないけれど。」
「彼女に何をする気だ。」
エルドレンは眉根を寄せる。
「そうね、あなたがそれを飲むなら、彼女を200日ほどの拘束で解放してあげるわ。まあ、お腹が膨らむことがなければだけれど。」
マシュベリーはエルドレンの手元にあるゴブレットを指さす。
「飲まないなら、そうね、彼女に代わりに飲んでもらうのがいいかしら。」
妙案が浮かんだと言わんばかりにマシュベリーは上機嫌で語る。
「その視線、女2人何とでもなると思っているわね。でも残念、それは間違いよ。」
彼女の声と共に、先ほどまでサーブしていたメイドや侍女、扉を開いた侍従さえ懐の武器を取り出す。
「彼らは近衛兵よ。怪しいと思ったのよね。シュレインを非難させておいて正解だったわ。」
彼がこの場にいたら、人質にしようかと考えていたことも読まれていたらしい。エルドレンは剣を握る手から汗が滴るのを感じていた。
「でも残念。近衛兵を凌駕しても、その間に逃げた私たちは見つけられないわ。アンドルーはこの城をまっとうに引き継いでないもの。秘密通路の場所なんて知らないのよ。」
マシュベリーは鼻で笑う。
「どうする?あなたが毒を飲んで彼女を解放してあげるか、彼女に毒を飲ませるか、近衛兵に戦いを挑むも、私たちを見つけられずに一生彼女とは会えなくなってしまうか。」
エルドレンは逡巡する様子を見せるも、静かに厚みのある絨毯の上に剣を置く。
「エル!」
メアリーがじたばたするも、縛られる縄の締め付けが強くなるだけだ。その間、エルドレンは一向にこちらに目を合わせない。
エルドレンはゴブリンを手に取り、匂いを嗅ぐと、一気に酒をあおる。数秒は変化がなかったものの、手が震えだし、その場にばたりと倒れ込む。しばらくの間は、四肢の末端がぴくりと動いていたが、だんだんとそれも間隔が長く、弱くなっていく。
マシュベリーは満足そうにそれを見届けると、やっと後ろを振り返る。
「アンナ、ありがとう。」
そう呼ばれた彼女は、メアリーの後ろで頬を上げて笑っていた。
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終盤に差し掛かってきました。
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