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幸せの在り処  作者: yukko
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蜜月

忍は緊張している。

自分から数馬に会いたいなどと、(かつ)ての忍なら言わなかった。否、言えなかった。

どの服を着て行ったら良いのかさえ分からず……その日は会社に着て行く服を選ぶことが出来なくて休んだ。

こんなこと社会人として有るまじき行為だと分かっていたが、どうしても洋服ダンスの前から動けなかった。


「休んだの?」

「……うん、ごめん。」

「謝るのは会社の方へでしょう。」

「うん、そうだね。」

「お母さんは行くわね。

 服だけど……一番、忍に似合ってるのは、その淡いピンクのワンピースじゃない

 かしら?」

「これ?」

「ええ、私はそう思うわ。

 戸川さんが、どう思うかは分からないけどね。」

「えっ? じゃあ、どれがいいの?」

「行ってきます。」

「お母さん!」


弥生は⦅最初はこうなるとは思っても居なかったのよね。でも、記憶を失った忍を大切にして貰って、その上、あの火事の時に助けて貰って……こうなるんだなぁ~って思えるようになっていったわ。不思議ね。⦆と思いながら、会社へと急いだ。


◇◇◇◇

数馬は、もう朝からソワソワして落ち着くことが出来ていない。

一郎にも千代にも「落ち着きなさい。」と窘められている。


「そんなことでは仕事にならないだろう。

 今日も重要な案件があるんじゃないのか?」

「はい…………でも、何だか………居てもたっても居られないんです。」

「少しは落ち着きなさい。

 そんなんじゃ、忍に嫌われるぞ。」

「!……嫌われたくありません!………今以上に………。」

「ブラックコーヒー淹れましたよ。

 それから、サンドイッチくらい食べて行きなさいね。」

「はい。………おばあちゃん、このスーツでいいかな?」

「いいんじゃないの?」

「ネクタイは?」

「いいと思いますよ。

 忍ちゃんは、スーツと会うのではありませんよ。

 数馬と会うのですよ。」

「はい!」

「落ち着きなさいね。

 仕事をしっかりして、社会人として認められないといけないわ。」

「はい。」

「さぁ、食べなさい。」

「頂きます。」


千代は数馬を微笑ましく思い、直ぐ傍に居る夫・一郎を可哀想に思った。

⦅あなた、離婚してあげられなくて済みませんでした。あの方、ご主人様がお亡くなりになられてお一人です。私が死んだら、あの方の所へ迎えに行って下さいね。そんなに待たなくて済みますから……。⦆と思いながら夫の横顔を盗み見た。


◇◇◇◇

午後6時30分――指定された場所に着いた忍。

約束の時間より30分も早く着いた。

待っている間、時間の経過と共に胸の高鳴りが大きくなっていく。

こんな気持ちを忍は過去に何度も経験した。

その都度、悲しく寂しく辛かった。

今日は、どんな結果になっても良いと思えるのは何故なのか分からない。

ただ、あの記憶を失くした日々の優しい想い出とあの火事の時に怪我をしてでも助けてくれた事実が、忍の心に強い勇気を与えている。


目の前に黒塗りのトヨタセンチュリーが止まった。

中から颯爽と出て来た長身の男性。

数馬の瞳が輝いた。


「忍…………あ………忍さん。

 お待たせして申し訳ない。」

「いいえ………私が早過ぎたのですから……気にしないで下さい。」

「………あ……りがとう。」

「社長、忍様、こちらでございます。」

「うん。」

「相馬さん、今日はありがとうございました。」

「いいえ、楽しゅうございました。この日までの間………。

 それはそれは、大変でございましたけれども!

 面白うございましたよ。」

「相馬! 何、余計なことを言ってるんだ!」

「はい、チャックしておきます。」

「お口チャックですか?」


相馬は破顔して頷いた。

予約した料亭の個室で二人きりになった。

相馬は駐車場に停車した車の中で運転手と上司が戻ってくるまで待機している。


「数馬さん、今日は無理を言って会って下さって……。

 ありがとうございます。」

「無理などしていないから、気にしないで。

 あの…………用件は何ですか?」

「用件………あの…………そのですね。」

「うん。」

「…………私が記憶を失って居た頃の気持ちは……数馬さんの気持ち。

 今は……どうですか?」

「あの…………それは、その………どういう意味?」

「私との結婚は嫌でしたか?

 嫌だったから……。」

「嫌だったわけじゃない。

 僕は………自分の気持ちに気付くのが遅すぎたんだ。

 もし、君に好きな人が出来たら……結婚したら祝福します。

 幸せになって欲しい!

 その気持ちに嘘偽りはないから!

 君が幸せになる姿を僕は遠くで見守りたい。」

「見守る?」

「うん。」

「私は………。」⦅勇気を出すんだ!⦆

「見守るよ。」

「見守られたくない。」

「えっ?…………そうだよな、嫌だよね。」

「うん、嫌。

 見守るんじゃなくて、一緒に幸せになりたい。」

「えっ?」

「駄目? 岩居静さんのような家柄も学歴も何も無いわ。

 土屋華蓮みたいに仕事が出来る女じゃないわ。

 私は岩居静さんや土屋華蓮のような美人でスタイルが良い女じゃない。

 それでも、嫌じゃなかったら……少しでも私に気持ちが向いてくれていたら……

 私を選択肢の一人にして欲しいの。」

「…………え………………。」


忍は耳まで真っ赤にして俯いている。

数馬は心臓の音が、自分の心臓の音が大きくなったことだけ感じた。


「それって………僕は忍に立候補してもいいってこと?

 夫になりたいって立候補する権利を貰えたってこと?」


忍は俯いたまま頭を縦に振った。

その姿を見た数馬は忍を抱き締めていた。

気が付くと忍を自分の胸の中に収めていた。


「………忍……本当にいいの?」

「うん。」

「もう絶対に離さないけど……いい?」

「うん。」

「誰にも渡さないけど、それでも……いいのか?」

「うん。」

「忍っ!…………愛してる。」


二人の影が窓ガラスの内障子に映る。

二人の影が重なり、幸せな時間が過ぎた。

数馬は早口になった。


「直ぐに結婚しよう。家は手放したから新しく買おう。

 結婚式を大々的に執り行うよ。披露宴も、それから新婚旅行も!

 あ……結納もする。

 その前にお義母さんに挨拶しないとな。 

 それから!」

「数馬さん、一緒に考えたいの。」

「あ………そうだよな。二人の結婚だもんな。

 あっ! 指輪!………これ……忍が置いて行った結婚指輪。」

「持ってたの?」

「……こうして首から下げて……肌身離さずに持ってた。

 僕の指輪と忍の指輪を……。

 結婚指輪、これじゃなくて新しいのにする?

 あの時に作った結婚指輪もあるけど……。

 新しい指輪を着けて欲しい。」

「前のがあるのに? 勿体ないわ。」

「作る、決めた。」

「前のはどうするの?」

「このまま大切に保管しておく。」

「……分かったわ。」

「………あのさ、これからなんだけど……。

 これから、何処かへ行く?」

「その前にお食事を頂きましょう。」

「あっ! そうだ。今から持って来て貰うね。

 相馬が頼んでくれてるから、注文しなくていいんだ。」


忍の目に何故だか曾てのクールな数馬ではない子どものような燥いでいる数馬を初めて映った。

愛おしくて堪らない初めて見る数馬だった。


◇◇◇◇

それからの数馬の行動は早かった。

直近の土曜日に弥生に挨拶に行き、結婚の許しを得た。

勿論、仏壇に手を合わせるのを忘れていない。

戸川本家にも二人で一郎夫婦と次郎に結婚することを報告した。

一番喜んだのは千代だった。

千代の体調のこともあり、結婚式は一番早く取れる日にした。

花嫁姿の忍を見た弥生の目には涙がいっぱいだった。

千代の目にも溢れるほどの涙が………。

結婚式を終えて二人はハネムーンへ空港から旅立った。


その翌日のことだった。

一人で自宅に居た千代が倒れた。

今回はお手伝いが遠い店に買い物に出かけており、家の中に居たのは千代一人だった。

お手伝いが帰宅して、千代が倒れている姿を見つけた。

救急車を呼んだが、千代は一人旅立って行った。

ハネムーン中の数馬と忍には伝えなかった。

葬儀は密葬にした。

千代の遺言通りに……。

千代の遺言書とは別に一郎宛ての手紙があった。

顧問弁護士の加賀陽から手紙を受け取った一郎は、千代を失って初めて人前で涙を見せた。


「一郎さま

 長い間、貴方様を縛り付けてしまいました。

 どうかお許し下さい。

 一郎さまが心から愛しておられる方の存在を知っておりました。

 それなのに、私は離れられませんでした。

 あの方はご主人様がお亡くなりになられて、今はお一人でおられます。

 住所など末尾に記載致します。

 どうか、今から幸せになって下さいませ。

 心より貴方様の御健康と御多幸をお祈り致しております。

                       千代 」


新婚夫婦が帰宅した時、千代の訃報を知り、忍と数馬の慟哭が家中に響いた。

千代の位牌は仏壇にはなかった。

新婚夫婦が帰って来る前日、一郎は千代の位牌と写真を一枚……鞄に入れて旅に出た。

一郎と千代は新婚旅行に行けなかった。

結婚してからも二人で旅行には行ったことが無かった。

一郎が着いた先で位牌と写真を胸に……「千代、見えるか? あれが富士山だ。日本一の山を見たいって言ってたよな。こんなに近いのに、一度も連れて来てやれなくて済まなかった。千代、私達の新婚旅行…だ……遅くなって済まない。」と涙ぐんで富士山を一郎は一人で眺めた。


結婚前に忍は「おじい様とおばあ様、お二人だけで暮らされるのは心配だから、戸川本家で住みたいの。」と言った。

二人は戸川本家で暮らすことは決まっていたが、千代の死去により、それがBESTだと誰もが思った。

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