嘘
電話が切れて数馬は胸が痛くて堪らなかった。
電話の向こうで忍が泣いている。
泣いているのに何も出来ない己が許せなかった。
今回のことも誰でもない自分のせいなのだ。
陽が「数馬! どうする?」と問うた。
「陽、僕は…………。」
「しっかりしろっ! 早く決めろよ。
僕はそれに従う。」
「忍には会えない。」
「うん、離婚の時の公正証書にした条件だろう。」
「そうだ………陽には僕と一緒に岩居泰正氏に会って欲しい。」
「分かった。静さんがしたことに法的な責任を問えるかだね。」
「うん、岩居静のSNSに僕の名前を出して婚約者だと発している。
だから、嘘の発露で何らかの罪に問えると思う。頼む。」
「了解!」
「相馬。」
「はい。」
「済まないが、忍の家に向かってくれ。急いで!
引っ越さないでいいと伝えてくれ。
何があっても信じて欲しいと伝えてくれ。
勤めている会社も、忍も守ると伝えてくれ。」
「承知しました。
今から岩居泰正様にアポイントメントを取ります。」
「うちの本社へ来て貰うように伝えてくれ。」
「承知致しました。
では、アポイントメントが取れ次第、ご連絡致します。
忍様のご実家へ行って参ります。」
「頼む…………特別賞与を与える。」
「ありがとうございます。急ぎますので、失礼致します。」
「さぁ、本社で岩居氏を迎えよう。」
「そうだな、二人で。」
相馬から電話を貰った岩居泰正は頭が痛い。
妻が亡くなって再婚をせずに静を育てたのも、静の為だった。
継母の継子への虐めが怖かったからだ。
「シンデレラ」や「白雪姫」が記憶にあるからだった。
それだけではない。
何と言っても再婚の後に子を虐待死させたニュースを見たからだった。
「男親だけでは駄目だったのか………。」と溜息交じりに思わず口から出てしまった言葉だ。
重い足取りで戸川グループの本社社屋に向かった。
その頃、娘・静は――ホテル・カルディナル――のスイートルームで優雅にワインを楽しんでいた。
静が用意した鹿児島の忍の家は、静の母方の祖父に頼んで購入して貰った家である。
祖父にとって、娘がなかなか子宝に恵まれず、やっと授かった孫娘が静だ。
ただでさえ目の中に入れても可愛い孫娘。
それが、母親を亡くしたのだから、祖父の静への溺愛は深まってしまった。
何でも祖父に言えば叶うのである。
それも、岩居泰正にとって頭が痛いことだった。
あれこれ思いながら、戸川グループの本社社屋に足を踏み入れた。
受付に名前を告げると、直ぐに社長室に通された。
「岩居頭取、急な私の願いを、このように叶えて頂き誠に有り難く存じます。」
「いいえ、静のお話でございますね。
何かご迷惑をお掛けしたのではないかと……。」
「祖父からも何度か、この話をお断りしております。」
「はい、承知しております。娘にも伝えました。」
「あれからも当社や自宅にまで訪問を受けております。
しかも婚約者と嘘を仰っておられます。」
「まさか…………。」
「嘘ではございません。」
「直ぐに止めさせます。」
「静さんの暴走はそれだけではございません。
私の……離婚した妻に本日、引っ越せと………。
それも脅しに聞こえるやり方です。」
「脅し!………いくら娘が愚かでも、そのようなことをしたとは思えません。
信じられません。」
「岩居頭取、この件につきましては、多分、我が母も関わっております。」
「え…………………。」
「今日のことに直接関与している訳ではないと思いますが、そのようなことをして
も良いのだと思わせたのは、多分、私の母です。
岩居頭取、私は私の妻だった青木忍を鹿児島へなど引っ越させません。
それに引っ越さなければ忍が就職した会社の融資を止める!とまで言及されまし
た。
その件は、当然のこと御存知なのですか。
融資に関して頭取の令嬢でも停止出来ないのではないですか?」
「聞いておりません! 融資は娘が決めることではありません。」
「では、これはお嬢さんの嘘ですか?」
「有り得ません。そんなこと、娘には出来ません。」
「どういう理由を付けられても、これは脅し、ですね。」
「…………………戸川社長、この件に関しては私が責任をもって必ず娘を反省させ
ます。」
「お嬢さんは今、ホテルだと思います。――ホテル・カルディナル――です。」
「直ぐに向かいます。そして、二度とこのようなことをさせません。」
「先般もそのように仰いました。祖父に………。
でも、お出来になれなかった。
こちらと致しましても、妻を守る為に訴訟も辞さない覚悟です。
婚約していないのに婚約者と、どこでも仰っておられます。
その上、ネットでも私の名を出して静さんが婚約者だと嘘を発信しておられま
す。
嘘の発信など止めて頂きたい!
私が心から大切に想っているのは、妻一人です。静さんではありません。」
「婚約をしていないことは分かっております。
婚約していないのに婚約者だと公言されると誰でも困ります。
本当にご迷惑をお掛けしました。
二度と無いよう娘に話します。
…………本当に……大切に想われていらっしゃる。
戸川社長にとって、離婚されても大切な方なのですね。
青木忍様は…………。」
「…………………岩居頭取、二度と私と忍に関わらないようにして下さい。
私の望みはそれだけでございます。
よろしくお願いいたします。」
「はい、必ずや…………。」
岩居泰正は恥ずかしくて冷や汗が流れた。
SNSでの数馬の婚約者だと名乗ったことについては、既に数馬は会社のホームページとXで事実無根であると伝えている。
陽から「妻、妻って連呼してたけど、妻じゃないからね。」と言われた数馬は自覚せずに「妻」と呼んでいたことに驚いた。
「でっ、これから、どうする?」
「………忍に………会いたい………。
鹿児島へなど引っ越しさせたくない。
会社も大丈夫だと伝えたい。僕の口から………。」
「あんな条件を付けなければ良かったのに………。」
「でも……会うのは避けないと………。
…………辛い思いしかさせなかった夫だったから……。」
「取り敢えず、行こう! 忍さんの家に!」
「行ってくれるのか?」
「行かねばなるまい。数馬、車出してくれるよな。」
「勿論だ。」
「じゃあ、行こう!」
「え………………。」
「君も行くんだよ。
忍さんの家の後に君のご両親の所へ行く。
その順番で行こう。」
「陽………ありがとう。」
「君ね………落ち込んでいられんのだぞ。
さぁ、行こう。無限の彼方へ~。by Buzz Lightyear 」
「なんだ、それっ。」
バシッと数馬の背中を叩いて陽はニコッと笑った。少し悪戯っ子のような笑みで………。
◇◇◇◇
相馬は急いで弥生に電話で連絡してスマホをポケットに入れた。
道路が空いていて、忍より先に家に着いた。
車を降りると、視界に忍のが入って来た。
相馬は無意識で「若奥様!」と叫ぶように呼んでいた。
忍が顔を上げると、泣き腫らした目の忍の顔が見えた。
相馬は走って忍に近づいた。
「相馬さん…………。」
「若奥様、大丈夫でございます。
鹿児島へなど引っ越しされなくて良いのです。」
「でも………会社が…………。」
「今、社長が岩居静様のお父様の岩居泰正様に会われています。
鹿児島へなど行かせませんと、社長は仰っておられました。
今、静様が若奥様に接触をなさらないよう、お話しなさっておられます。
もう、大丈夫でございますよ。
社長が全て……会社のことも、社長が全て守ると仰っておられました。」
「会社の融資のこと、鹿児島へ行かなくても大丈夫なんですか?」
「はい、社長は若奥様を必ず守ると仰っておられました。
勿論、勤務先の会社も守ると!
もうご案じなさいますな。
社長に全て、お任せになられると宜しいのです。」
「……………相馬さん………ありがとうございました。」
「いいえ、私は何もしておりません。
動かれたのは社長でございます。
「…………数馬さんに………お礼を…………。」
忍は「…………数馬さんに………お礼を…………。」と言った後、泣いてしまって言葉を紡げなかった。




