火災の後
数馬の怪我がどの程度か分からないまま、忍は救急病院で診て貰った。
その病院に数馬の姿は無かった。
忍は怪我も無く、ただ煙を吸い込んでいたので、その治療を病院で行われた。
気管熱傷まで至らなかったのは、数馬が抱き締めて忍は数馬の胸に顔を当てていたからだった。
「忍、ハンカチで鼻と口を塞げ。」と数馬に言われた。
言われた通りにしていたのに、尚も数馬は自分の胸に忍の顔を押し当てて吸わないようにしてくれていたようだった。
火傷もしていなかった。
忍は数馬に守られた………では、守った数馬は?
数馬がどの病院でどんな治療を受けているのか、忍は分からないまま病院で過ごし帰宅した。
帰宅すると千代から電話が架かって来た。
無事なのかどうかを聞いた千代に、「怪我も無く火傷もしていません。」と忍が言うと、千代は涙声で「良かった、良かった。」と繰り返した。
忍が数馬のことを聞く前、千代は「忍ちゃん、またね。」と言って電話を切った。
電話を終えた忍は⦅聞けなかった。⦆と落胆した。
忍が次に聞いたのは相馬だった。
相馬は数馬の秘書だ。
だから、絶対に知っている。
勇気を出して電話を架けた。
数馬の怪我の具合を教えて欲しいと頼んだが、「大丈夫です。」としか返って来ない。
何度聞いても「社長は大丈夫です。」と返って来る。
挙句の果てに返って来た言葉は「それよりも忍さんは如何ですか?」だった。
「教えて貰えないんですか?」と聞くと、「安心して下さい。社長は大丈夫ですから……それよりも忍さんのことが心配です。あんなことに巻き込まれたんですから、次のクリニックを探す必要がありますね。見つかりましたか?」と忍の頃からの心配をしてくれる。
結局、教えて貰えなかった。
何故教えて貰えないかを聞くと「離婚なさいましたから……。」という答えが返って来た。
「じゃあ! 離婚してなかったら教えて貰えたんですか?」と忍は初めて相馬に声を少し荒げてしまった。
声を荒げたことを謝罪した。
相馬は「謝って頂かなくとも忍さんの声は怖くありませんから大丈夫ですよ。」と言ってくれた。
結局、何も分からないまま電話を切った。
もう、電話番号を知っているのは加賀陽しかいない。
最後に加賀陽に電話した。
加賀陽は「聞いてますよ。大丈夫だって! うん、心配しなくても大丈夫ですよ。」としか答えてくれなかった。
忍はもう諦めてしまった。
⦅誰も何も教えてくれない。
怪我してるのに……………何故、教えてくれないの?
私を守って怪我したのよ。
それなのに………私はお礼もちゃんと言えずに………。⦆
電話を架ける度に落胆している娘を案じた弥生が「忍、貴女がしっかりしていたら話してくれたのかもしれないわ。先ずは身体と心を癒してからね。」と言ったが、忍は「そんなこと………何年先なの?」と涙を落した。
弥生は忍を抱き締めて、その背中を幼子にするように優しくポンポンと叩いた。
「大丈夫よ。数馬さんの傍には大旦那様はじめ多くいらっしゃるから…………。」
忍は⦅また…………大丈夫!………まるで口裏を合わせたみたい……。⦆と思った。
⦅数馬さん………どうしてるの?
本当に大丈夫なの?
怪我………どんな具合なの?
数馬さん…………私………………あの時……嬉しかった。
傍に居てくれるだけで………安心だった…………。⦆
山崎光から電話が架かって来た。
「しーちゃん、大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。
「ビックリしたよ。ネットニュースで流れて………。
就職して通院先を変えたって聞いて、聞いてた通院先だったから。」
「うん。」
「怖かったよね。」
「うん、怖かった………けど、大丈夫よ。」
「そう? それならいいんだけど。」
「火事の中から良く出て来れたよね。」
「うん………。」
「将棋倒しとか起きそうじゃん。」
「うん。」
「私、ちゃんと行動出来ないかも………しーちゃん、凄いよ。」
「………あのね、一人じゃなかったんだ。」
「えっ? 看護師さんとかに誘導されたの?」
「ううん………数馬さんが居てくれたの。」
「かず! あいつがぁ?」
「うん。」
「戸川数馬ぁ?」
「うん、戸川数馬さん。」
「何で居たのよっ!」
「それは分からないの。でも数馬さんも私を見て驚いてたから………。」
「ストーカーではないと?」
「ストーカー? 違うよ。
私を守ってくれて………怪我したの。」
「………まぁ、それくらいはして貰わないと、だよ。
どんだけ、あいつ! しーちゃんを泣かせたぁ?
このくらいは当然して貰わないと!」
「………ヒカちゃん………。」
「うん、何?」
「過去のこと……私、忘れられないわ。」
「そりゃそうだ! 当然のことよ。」
「でもね、あの火事から私を守ってくれたのは数馬さん。」
「しーちゃん…………。」
「私ね、記憶を失って居た時、その間、とっても優しくして貰えたの。
大事に………して貰えたの。」
「……………………………。」
「火事の時、私を抱いて階段を下りてくれたのよ。」
「え…………………。」
「私、動けなかった。
数馬さんが抱き上げてくれなかったら外に出られなかったかもしれない。
数馬さんが私を抱きながら外に出る為に歩いてくれた時、走ってくれた時。
数馬さん、背中に怪我をしてたみたいなの。
血が背中から流れてて………。
「しーちゃん…………。」
「私は掠り傷も火傷も無いの。
でも、数馬さんは怪我してる。
どんな具合か聞きたくても、誰も教えてくれないの。
ヒカちゃん……私、数馬さんのお見舞いに行きたい。」
「しーちゃん………。」
「会いたいの! 無事かどうか、この目で確かめたいの。」
「入院してるの?」
「分からないの。」
「何も、本当に何も知らないのね。
しーちゃん……………悔しいな。」
「ヒカちゃん……?」
「近かったら傍に居られるのに………悔しい!」
忍が光からの電話を切って、忍は父の仏壇の前で座った。
手を合わせると、笑顔の父の写真が見える。
父が抱っこしているのは忍、父の隣に母。
「お父さん………数馬さんを守って………。
怪我してるの。私を守ってくれたの。
掠り傷じゃないと思うの。
だから、お願い。お父さん、数馬さんを守って……。
あの日のように……守って……。」
忍の声は小さかった。
泣きながら父の遺影に……父の位牌に……忍は願いを込めて手を合わせた。
数馬は火傷をしていた。
背中には何かの破片が飛んできて刺さっていた。
出血も多かった。
気道熱傷を起こしていた。
気道熱傷は熱による気道粘膜の損傷である。
数馬の気道粘膜にも熱傷による腫れが起きている。
酷くは無いが、気道粘膜の腫れは、火傷を受けた数時間から数日後にもっとも酷くなる。
数馬は声も出なくなっていた。
出せない。
気管が腫れて空気の流れが妨げられる事態に備えて、口から呼吸用のチューブを挿入してあるからだ。
大丈夫とは言えなかった。
それが今の数馬である。
「数馬………おじいちゃんより先に……など……許されないんだぞ。
分かってるのか………数馬……。」
「兄さん、大丈夫だよ。重体じゃない。
歩いて救急車の乗ったんだ。
大丈夫だ……直ぐに話せるようになる。」
「次郎…………千代は………?」
「こちらに向かってるはずだから……心配無用だ。」
「忍も居たんだな。忍は無事なのか?」
「あぁ、無事だ。
お義姉さんが電話してくれて聞いてくれた。」
「そうか……………忍は無事………良かった。」
「犯人も救急搬送されたそうだ。」
「そうか………なんで、あんなことを………。」
「これから分かると思う。」
「そうだな………数馬のこと一昌には伝えたのか?」
「伝えたよ。」
「そうか…………あれも、少しは親だといいんだが………。」
「会社のことは心配しないで。」
「次郎が居てくれるから心配してない。」
「そうか………。」
「身体………無理が利かない年だぞ。大切にしてくれ。」
「うん、兄さんこそ……。」
一郎は孫息子を見た。
⦅良くなれ。元気な声を聞かせてくれ。元気な姿を見せてくれ。⦆と何度も願い続けている。
放火犯はクリニックに通院していた元患者だった。
心の奥深くには、上手く人生が切り開かれないことへの不満があった。
1話せば10理解してくれるのが精神科の医師だと信じて疑わなかった。
だが、彼が思う通りに1話せば10理解してくれることはなかった。
それが直接の引き金になった。
そうニュースで取り上げられていた。
「馬鹿なの? 1言って10分かるはず無いじゃないの。
10話しても1しか分かって貰えなかったり、10話しても全く分かって貰えな
いことがある。
それが人間で、人の人生なのに………。
なんでも人に要求するだけなのは子どもよ。」
弥生は憤慨して、そう言った。




