人生の分岐点③
戸川一郎が一人で忍の実家にやって来た。
――忍の顔が見たかった――という理由だったが、それだけではなかった。
戸川グループの中の一つ、一郎が所持しているスーパー戸川の株を忍に譲りたいと言って来たのである。
「大旦那様! それはいけません!」と弥生が最初に言った。
「数馬が忍を蔑ろにしてきたと聞いた。」
「何方からですか?」
「数馬から直接、何があったのかを聞いた。
済まなかった……酷い目に遭わせた。
本当に土下座をしても許されないことを……あれは………。」
「おじいさん………私は全て思い出していません。
ただ、土屋華蓮という女性の存在が私にとって一番辛かったのは確かです。
でも、株券を頂くのは……それも、おじいさんから……。
可笑しいです。
おじいさんは何もしていません。
優しかった………嫁いでから、私に優しくして下さったのは、おじいさんとおば
あさん。
それから、次郎おじさんです。
だから、優しくして下さった方から大切な株券を頂くことは出来ません。」
「優しいね、忍は…………青木君に似ている……あの子も優しい子だった。
あの子が生きて居てくれたら……こんなことにならなかった。
私が数馬に忍との結婚を無理強いしたからだ。
あの頃、身体が悪くて……忍のことを守れなくなるのが怖かった。
一昌は役に立たないと分かっていた。
孫の数馬の方が……守れると思ったことが、忍を不幸にしてしまった。
私のせいなんだ。申し訳ない………本当に申し訳ないことをした。」
「株券など要りません。」
「忍、そんなことを言わずに受け取っておくれ。」
「株券よりも、おじいさんとおばあさん、それから次郎おじさんがお元気で居て下
さったら……それだけで十分です。」
「忍………。」
「おじいさん、私は私の力で生きていきたいんです。
独りでも生きていける力をつけたいです。」
「受け取ってはくれないのかい?」
「はい、受け取りません。」
「………そうか………。」
「おじいさん、私は全て思い出していないので……全て思い出した時が恐ろしいで
す。
その時にどうなるか分からないんです。
それが一番怖いです。」
「忍、支える。私達が支える。」
「就活は全ての記憶を取り戻して、心が穏やかで居られたら………。
それから、行います。
ハローワークに行って、就活しますから……見守っててくださいね。」
「戸川とは無関係の所だね。」
「はい。」
「そうだな…………頑張って欲しい。」
一郎は肩を落として帰って行った。
千代は体調が悪くなったそうだ。
全てを知ってから、千代も自分を責め苛んだ。
加賀陽から電話が架かって来た。
返事が遅かったからだ。
あの条件に数馬はもう二つ条件を入れると言って来た。
1.戸川グループの数馬が所持している株を10%譲渡する。
2.二度と会わないと約束する。
忍は驚いた。
株券など要らないのだ。
何も要らないハッキリ言うべきだった。
「加賀さん、私は何も要りません。
株など受け取ったら……数馬さんと繋がりが出来ます。」
「そんなに嫌って………あ、失礼しました。」
「いいえ。」
「では、株は要らないと伝えておきます。
ただ、金銭は受け取って下さい。」
「多過ぎます。」
「多くて困ることは無いでしょう。
離婚したら、全ての支払いは忍さんになるんですよ。
数馬の稼いだ金だから嫌かもしれませんが、受け取るべきです。
数馬はそれくらいしか償えません。
償わせてやって下さい。
それが、僅かでも忍さんの未来を切り開く助けになるなら………。
戸川のおじいさんも、床に臥しているおばあさんも……次郎おじさんも。
忍さんの未来が明るく照らされることを望んでいます。」
「加賀さん………。」
「早く! 受け取ると言って下さいよ。
その一言で離婚協議は終わります。
そして、私は離婚公正証書の作成に取り掛かれます。
私の仕事を一つ終えさせて下さい。頼みます。」
「加賀さん………。」
「えっ! 今、言いましたよね。
これでオッケーだと!」
「えっ? 私はそんなこと……。」
「決まりましたね。では、この内容で離婚公正証書の作成に取り掛かります。
誠にありがとうございました。
無事に終わることが出来ました。」
「加賀さん……。」
「忍さん、この離婚公正証書は貴女が何時、誰とでも再婚してもいいよ!っていう
数馬からの三行半だと思っていいんですよ。
300日規定がありますので、出産は300日以内は避けないといけませんが、
ね。」
「え? 三行半って、別れてやる! 出てけ!って意味じゃないんですか?」
「違いますよ。
正しくは妻の再婚を認める、って意味です。
江戸時代の字が書けない人が半紙に線を三行書いて、四行目に半分線を書いたん
です。
別れることになったけど、再婚は何時してもいいよ、ってことを書いたんで
す。」
「そうだったんですね、私、間違ってました。」
「と、いうことで……数馬と離婚したら、300日経過すると何時でも再婚出来ます
よ。分かりやすく言うと、300日過ぎてからの入籍が好ましいです。
幸せになることも考えて下さいね。
まぁ、全ての人にとって結婚イコール幸せではありませんが……。
独りより二人の人生もありですから!」
「加賀さんったら……。」
「これからは幸せだけが訪れますよう祈ってます。
では、後程、作成した離婚公正証書を持参して署名して頂きますね。
また、ご連絡致します。
では、失礼致します。」
「あの! 加賀さん。」
「はい? 何か?」
「数馬さんは御元気ですか?」
「あぁ………まぁ………何と言ったらいいか………気にしないで下さいね。
数馬のことは………では、またご連絡致します。
失礼します。」
陽との電話を終えて、多額入金を得たのは1週間後だった。




