実家へ
入院中は毎日、数馬が忍の病室に訪れた。
体調が整って来た頃、忍は数馬に聞いた。
「あの……数馬さん。」
「うん? 何?」
「あの、ね…………胸の傷………綺麗にしたいの。」
「分かった。先生に伺おう。」
「うん!」
「忍……忍が望むことは全て叶えるよ。」
「本当?」
「本当だ。傷………綺麗にしような。」
「うん………綺麗にしたい。」
「他には何かある?」
「あのね、退院後直ぐに私はお母さんの家に行くって決まってるのよね。」
「うん、そうだよ。」
「………数馬さんの家は……駄目なの?」
「…………駄目じゃないけど……子どもの頃から順に思い出した方がいいのかな。
そうお義母さんと話し合ったんだ。」
「そう…………じゃあ、少しずつ思い出したら……夫婦に戻れるのね。」
⦅思い出したら………僕の……傍に居たくないよな。⦆「……………………。」
「どうしたの?」
「うん? 何でもないよ。」
「戸川さんは御忙しいのよ。だから、お仕事のことを思い出されてたんだわ。
そうですよね、戸川さん。」
「あ…………はい、そうです。
ごめんな。忍………僕は、頭の中に色んなデータが入ってるんだ。」
「御忙しいんですね。」
「そうよ、だから、お母さんと一緒に暮らしましょう。」
「……………分かりました。
もう我儘は言いません。
だから、数馬さん、会いに来て下さいね。
待ってます。」
「……………………………う……ん。」
数馬は忍が以前の忍と違うことに驚いている。
⦅忍って、こんなに自分の気持ちを僕に伝えてなかったよな。
………いいや、違う。
僕が聞かなかったんだ。
聞かなかったから、言えなくなったんだ。
言っても無駄だと諦めたんだ……たぶん、そうだ。⦆
忍の記憶が戻る可能性は今の所分からない。
そして、退院の日がやって来た。
退院して安心出来る環境で日々を暮らす。
その中で記憶が戻る可能性に賭ける。
戻らないと医師が判断したら、病院での睡眠法と投薬での治療を始める。
長い時間が必要なのか、思ったより早く取り戻せるのか……若しくは戻らないまま時を重ねるのか……誰にも分からない。
「看護師の皆さん、お世話になりました。」
「戸川さん、お元気でね。」
「記憶は気にせずに暮らして下さいね。」
「そうそう、気にすること自体がストレスで良くないですから!」
「はい!」
「これは、次の受診日ね。予約表です。」
「ありがとうございます。」
「身体を大切にして下さい。」
「はい! ありがとうございます。皆さんもお元気で!」
「ありがとうございます。」
短い入院期間だったが、胸の傷も診て貰えた。
忍はケロイド体質だった。
傷がケロイドのように残るのだ。
忍の胸の傷も少し盛り上がっている。
今はテーピングをしている。
抜歯後にテープを貼っているが、今後、強いひきつれがあれば、盛り上がった部分を形成外科で切除することになっている。
忍が望むことを全て叶えたいと数馬は思い、そのように動いている。
退院の日は数馬の家の車で、数馬の祖父母と忍の母、そして数馬が迎えに来た。
忍の母の家に着いた時、忍はキョロキョロと見回した。
家の周囲も、家の中も………。
「ここが……お母さんの家………。」
「分かる?」
「ごめんなさい。全く……分かりません。」
「………そう……。」
「今日からお世話になります。」
「忍…………そんなこと言わないで、貴女の家なのよ。
貴女が育った家なの。」
「忍ちゃん、お父さんに帰って来ましたってご報告しないと、ね。」
「あぁ……こっちよ、お仏壇は……。」
仏壇の前に座って位牌を見た。
遺影も見た。
でも、全く心が動かなかった。
母が忍にお線香をあげるよう促した。
どうすれば良いのかさえ分からなかった。
母に「私がすることを真似して。」と言われて、そのようにした。
隣で母が手を合わせている。
数馬の祖父母も、数馬も手を合わせている。
それを見て、忍は手を合わせた。
父だという実感は全く無い。
だから、何も言葉が浮かばないまま手を合わせただけだった。
正直な所、母と言われても母と思っていない。
分からないからだ。
でも、「お母さん」と呼ぶと喜んでくれる。
喜んでくれるから「お母さん」と呼んでいる。
そんな中で、数馬だけは忍にとって特別な人だった。
気が付くと目で追っていた。
それが恋だと上田隼人に指摘された。
指摘されてからというもの、より一層、意識してしまっている。
⦅やっぱり、親のことが分からないのは良くないね。
早く、お父さんとお母さんのこと思い出したいな。
そして、数馬さんのことも……思い出したい。⦆
その日は、皆で夕食を摂り、食事の後、数馬と祖父母は帰って行った。
「もう帰るのですか?」
「うん、明日も仕事だから、ね。」
「そ……そうですよね。」
「それに、これの身体が本調子じゃないんだ。
忍、申し訳ない。」
「いいえ、おじいさん。」
「本当にごめんなさいね。」
「いいえ……おばあさん、無理しないで下さい。」
「ありがとう。」
「じゃあ、行くよ。」
「はい。」
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
遠ざかって行く車を忍は何時までも見つめていた。
ケロイド……盛り上がった傷。




