島
病室のドアをノックすると中から忍の声が聞こえて来た。
「どうぞ。」と………。
その瞬間、弥生は少し驚き、そして少し微笑んだ。
「忍……。」
「あ………何方でした?」
「私は忍のお母さんよ。名前は青木弥生。」
「覚えます。」
「………ありがとう。」
「そちらの方のお名前は……?
そちらの……おじいさん、と……おばあさん。
お名前を覚えられなくて……済みません。」
「ううん、気にしないで頂戴。忍ちゃん。
私は、貴女の夫の祖母よ。
名前は戸川千代。
そして、この人が私の夫。」
「忍………済まない……こんな目に遭わせてしまって………。」
「おじいさん……私、おじいさんに何もされてないですよ。」
「忍……。」
「おじいさんのお名前は?」
「これの祖父で名前は、戸川一郎だ。」
「覚えますね。
………そちらの……方が……私の………その………。」
「うん、僕が忍の夫、戸川数馬だ。」
「とがわ……かずま…さん。
数馬さん! 覚えました。」
「忍っ…………。」
数馬は忍を抱き締めたい衝動を抑えるのに必死だった。
忍は不安げな顔で聞いて来た。
「あの……私は、どうなるのでしょうか?」
「忍、貴女はどうしたい?」
「お母さん、分からないんです。
どうしたら、いいのか……分からないんです。」
「そうよ、ね。」
「あの……私には、お父さんは居ないのですか?」
「お父さんは………亡くなったの。」
「そうなんですか………じゃあ、お母さんと二人で暮らしていたのですか?」
「ええ、ええ、そうよ。」
「僕と結婚する前までは、お義母さんと二人暮らしだったんだ。」
「そうなんですね。………あの……数馬さん。」
「うん? 何?」
「結婚してからは、何人で暮らしていたのですか?
あの……おじいさんと、おばあさんと……数馬さん、の4人で?」
「いいや、私達は別の家で暮らしていたんだよ。」
「そうなんですね。……おじいさんと…おばあさんとは別だったんですね。」
「時々、会いに来てくれていたのよ。
私達、とっても嬉しかったわ。
可愛い孫嫁に会うのは本当に楽しくて嬉しかったわ。」
「そうなんですね、会いに行ってたんですね。」
「ええ、そうよ。」
「あの……じゃあ……私は、数馬さんと……二人で?」
「うん、そうだ。」
「結婚式とか披露宴は、どこで?
写真はありますか?」
「……無いんだ……コロナ禍だったから……出来なかったんだ。」
「………そうなんですね。あの、コロナ禍って何ですか?」
「あっ、そうだよな。
覚えてないんだった………ごめん、説明するね。」
「はいっ。」
「コロナって言う感染症があって、世界的な流行が起きたんだ。
その頃は、日頃会うことが無い人と狭い場所で会うことが禁じられてたんだ。
だから、病院に入院している家族に面会も出来なかったんだ。
緊急事態宣言が出て【外出自粛】【施設の使用停止】【イベント開催の停止】
【営業時間の短縮】などが要請されたんだ。
公園とかはいいんだけどね。密閉されていない広い場所だからね。
それでも、マスクはしてたよ。」
「そんなことがあったんですね。」
「………そうよ、あったの。」
「だから、僕達は結婚式を挙げられなかったんだ。
披露宴も………ごめんな、写真も無いんだ。」
「それは、当たり前ですよね。」
「忍…………君は、僕達の写真、欲しいかい?」
「……えっと……ウエディングドレスとか憧れます。」
「忍………覚えてるの?」
「え?」
「忍は、そう言ってたわ。
数馬さんとの結婚が決まるより、ずっと前。
まだ高校生の頃のことだけど……。」
「そうなんですね。
でも、多分、思い出したんじゃないと思います。」
「どうして?」
「隼人さんが………言ってたんです。」
⦅隼人さん? もう名前で呼び合っているのか?……嫌だ……。⦆
「明後日、この島で結婚式があるんですって!」
「まぁ、そうなの?」
「はい! 私、見たいんです。
でも、行けないし……無関係なので……えへへっ……。」
⦅出逢った頃の忍だ……愛らしい忍……。⦆
「忍ちゃんの花嫁姿、見たかったでしょうね。弥生さん……。」
「………それは、もう終わったことです。大奥様。」
その時だった。
ドアをノックする音がした。
全員、ドアの方を見た。
「はい、どうぞ。」
「あ……良かった。
皆さん、まだ居てくれて。」
「隼人さんっ!」
「忍さん、大丈夫?
今日は疲れただろう?」
「ううん、大丈夫。」
「そっか……良かった。
今日はご家族に会えて良かったね。」
「……うん、実感はないけど……。」
「それは、これからだよ。」
「そうだよね。」
⦅嫌だ……そんな目で彼を見ないでくれ!⦆
「妻を、忍を……助けて下さって本当にありがとうございました。
それに、こちらで忍が大変お世話になっているようで……。
ありがとうございます。」
「本当に何とお礼を述べても足りないくらい感謝しております。
娘を助けて下さって、本当にありがとうございました。」
「あ……助けるのは当然ですから!
助かってくれて嬉しいんですよ。
溺れている人を助けても……本当に助かってくれなければ……。
俺、自分を許せなかったと思うんですよね。
だから、俺にとっても忍さんの生命力に感謝してるんです。」
「まぁ……貴方は素敵な方ですね。」
「大人だな……数馬と違って。」
「……おじいさん。」
「否、数馬よりも、一昌と比べて、だな。」
「あの………今日は忍さんも疲れていると思うんですよね。
続きは明日、ということにして、今日はうちで泊まって下さい。」
「それは……ご迷惑ではありませんか?」⦅あまり世話になりたくない。⦆
「ご迷惑だなんて思ってないですよ。
うちの親父もお袋も、泊まって貰いなさいって言ってます。
特におじいさんと、おばあさん、日帰りでは身体に良くないです。
どうぞ! 来て下さい。
俺、迎えに来たんです。」
「数馬、こんなに言って下さってる。
お世話になろう。」
「おじいさん……泊まるところは、もう………。」
「そこはキャンセルして、ちゃんと代金を全額支払って理解して貰おう。」
「あ……民宿ですか?
島には民宿しかないから、民宿ですよね。」
「そうです。」
「俺から話しますよ。」
「そこまでして頂くわけにはいきません。
僕がキャンセルします。」
「そうですか。」
「お義母さん、お世話になること、いいですか?」
「ええ、勿論。色々、お聞きしたいこともありますので……。」
「………そうですね。
では、今夜はよろしくお願いします。」
「じゃあ、うちに来てくれるんですね。」
「はい、お世話になります。」
「こんな大人数で……申し訳ございませんが、よろしくお願い致します。」
「はい!」
「隼人さん、良かったね。」
「おう! 親父もお袋も喜ぶよ。
じゃあ、行きましょう。
忍さん、また明日来るな。」
「うん。ありがとう。」
「忍、明日、来るから……。」
「はい、数馬さん。
お……お母さん、おじいさん、おばあさん、明日、来て下さいね。」
「勿論よ。」
「勿論だ。」
「来るわ。今日は、もう休んで……寝なさいね。」
「はい。」
「じゃあ、忍………明日。」
「はい、数馬さん。また明日。」
その日、島に泊まった数馬達。
島にある民宿ではなく、助けてくれた漁師の家だった。
上田隼人の家に全員が泊まらせて貰った。
数馬は隼人に対する嫉妬を感じていた。
二人の距離が近すぎると思った。
⦅僕が……忍をこんな目に遭わせてしまった……僕は……。
僕は………罪を償わせて貰えるのだろうか?
忍はこのまま島に居ることを選ぶんじゃないだろうか?
そしたら……僕は……もう忍の傍に居られない。⦆
「忍ちゃんの旦那さん! イケメンじゃないの!」
「お袋……恥ずかしいから止めろよ。」
「本当に島には居ないな。わはは……。」
「でっ! どんな出逢いだったの?」
「お袋ぉ~~~っ!」
数馬が思うよりも、和やかに時間が過ぎていった。
上田家の漁船で獲った魚の料理が並んだ。
一郎と千代も弥生も、そして数馬も獲れたての魚に舌鼓を打った。
千代は直ぐに横になった。
忍の無事を確かめたいとの思いだけで付いて来た千代の身体は、休みたがっていた。
熱は出てない。
それを確かめた一郎は胸を撫で下ろした。
床を敷いて貰い横になった千代の傍で一郎は、千代の手を取り「良かったな。忍に会えて……。」と言うと千代は涙を流した。
それを機に、弥生は入浴させて貰い、就眠した。
数馬は相馬と別の部屋で仕事をした。
数馬は、コロナ禍からリモートで常に仕事が出来るようにしている。
相馬は仕事に集中出来るように常にしてきた。
それが、あの土屋華蓮との差だ。
加賀陽が部屋に入って来た。
「数馬。」
「なんだ。」
「土屋華蓮だが……。」
「うん。」
「被疑者として確保された。」
「そうか………。」
「だが、実行犯全てを確保していない。
忍さんを拉致した奴らが、まだ逃げたままで普通に暮らしている。」
「許せん!」⦅僕は、僕自身が一番許せない。⦆
「警察に頑張って貰うしかない。」
「……………………。」
「日本の警察の検挙率は高いが、未解決事件もある。」
「……………………。」
「出来る限り、情報を……警察に伝えたい。」
「………うん。」
「忍さんからは聞けないんだな。」
「無理だ。記憶がない。
………それに、思い出させたくないんだ。
もう、これ以上……辛い想いをさせたくない。」
「そうだな………伝えたよ。」
「あぁ……ありがとう。」
土屋華蓮の逮捕は数馬達が思うよりも早かった。




