後悔
数馬は叫んでいた。
何度も何度も妻の名を叫んでいた。
叫ぶ数馬を制止したのは、数馬からの連絡を受けて急ぎやって来た加賀陽と古谷新、そして、この事件発生当初から数馬の傍に居た寒川翔だった。
拉致され拘束されていた港の倉庫が燃えている。
数馬は気が狂ったかのように妻の名を叫び、燃えている倉庫に向かおうとしている。
「忍――っ! 忍―――っ!」
「数馬、落ち着け!」
「忍――っ! 忍―――っ!」
「数馬………。」
倉庫が鎮火した時、倉庫は見るも無残な姿を晒していた。
警察と消防による現場検証が行われ始めた時、数馬は制止を振り切って倉庫に入った。
気が狂ったように数馬は叫んだ。
「忍………忍! どこだ? 何処に居る? 忍――っ!」
警官や消防士に数馬は探すのを制止されて、まるで犯人のように確保されて倉庫の外へ出された。
数馬を受け取るように迎えた陽、新、翔そして秘書室長の相馬仁が、数馬を車の後部座席に座らせた。
「数馬、今は待とう。」
「待てない。」
「いいから、待つんだ。君には、それしか出来ない。」
暫くして刑事が数馬の前に来た。
「戸川さん、奥様の遺体はありません。見つかりませんでした。
拉致した被疑者の遺体もありません。」
「では! 忍は何処に?」
「分かりませんが、今言えることは全力で探し出すということだけです。
ここは港です。倉庫から船に乗って何処かへ!と考えられます。
被疑者は奥様を連れていると思われます。」
「お願いします。妻を探して下さい。」
「はい。全力で捜査致します。」
「お願いします。」
「戸川さん。」
「はい。」
「私から伺います。
警察に直ぐに通報されなかった。
そうですね。」
「はい………そうです。」
「それは、どうしてですか?」
「警察に通報すると……殺すと……。」
「それで、通報されなかったんですか?」
「はい。」
「過去の拉致事件で悲しいことに命を奪われた事件もあります。
ですが! どうか警察を信じて頂きたい。
頼って頂きたい。」
「申し訳ございません。」
「初動捜査が大切なのです。
今からは警察を頼って貰えませんか?」
「はい。どうか妻を助けて下さい。」
「はい! 全力で捜査します。
奥様を無事にお帰り頂き、被疑者を確保致します。」
「よろしくお願いします。」
数馬は泣いていた。
自分がどうして華蓮を先に助けたのか――それが許せなかった。
陽が数馬に聞いた。
「なぁ、数馬。大丈夫だよ。
忍さんは帰って来るよ。
それよりも、華蓮が病院で診て貰っている。
病院へ行かないか?」
「翔! 君はなんてこと言うんだ!」
「えっ? 陽、そんなに怒ることか?
なぁ、行くよな。数馬は華蓮が居る病院へ。」
「行かない。」
「なんでだよ。」
「忍が居ないのに……見つからないのに……ここから離れたくない!」
「え……っと、数馬、君は華蓮を愛してるんだろう?」
「誰が? 誰を?」
「数馬が、華蓮を。」
「僕が? 華蓮を? 愛してない! 一瞬でも愛したことない!」
「え……………嘘だろう。
だって、君はあんなに華蓮を大切にしてきたじゃないか。」
「僕は……翔の為に……華蓮をいつも呼んでただけだ。」
「え…………。」
「翔は華蓮を愛してるだろう。
だから、一緒がいいと思ったから……。
それに、僕は翔も新も陽も大切にしてきた。違うか?」
「え………じゃあ、僕は……勘違いしてた、のか?」
「え………僕も、勘違い、だったのか?」
「勘違いだよ。
見てて分からないか?
数馬が愛してるのは忍さんだけだ。
数馬を見て分からないのか?」
「陽……僕は……忍を……愛してる。」
「うん、そうだよな。数馬自身が気付くの遅すぎたんだ。」
「うん。」
「ところで、警察への通報、何時したんだ?」
「僕は指定された倉庫へ行く前に頼んだんだ。」
「誰にだ?」
「あ………僕、僕が頼まれ……た。」
「翔! 何時、通報した?」
「あ……………それは…………数馬が華蓮を抱いて倉庫を出て来て……
その姿を見て、ヤバいなって思ったんだ。
それで、通報した。遅かったか、な。」
「遅すぎだ!」
「嘘だろ! 翔、嘘だと言ってくれ!」
「ごめん………数馬……僕……。」
「何でなんだ? なんで、直ぐに通報してくれなかった!
僕が自分でするって言ったから、か?
でも、翔は僕が指定された倉庫へ向かうように言ってくれた。
僕の代わりに通報してくれるって言ったよな。
違ったか?」
「違わない…………そう言った。」
「じゃあ、何故?」
「あの………華蓮が………これは、遊びだから大丈夫だって……。
警察へ通報しなくても誰も怪我しないって……言ったから……。
だから、忍さんは大丈夫なんだ。 絶対に無事なんだ。」
「翔! 君ってやつは!」
「………陽、華蓮が言ったんだ。」
「今から警察へ行くぞ。」
「何でだよ。」
「分からないのか?
この事件に華蓮が関係してる。
警察への通報をさせないように『遊び』だと言ったんだ。
他には何を言われた!」
「…………先に華蓮を助け出すように……そう数馬に言ってくれって……。」
「あ……………数馬に言ったんだな。」
「僕は、翔が何を言っても、言われても……………。
華蓮ではなく忍を先に助けないといけなかったんだ。」
「数馬、その反省は僕らではなく忍さんのお母さんに言うべきだ。」
「………うん。」
「翔、警察へ行くぞ。」
「今から?」
「今からだ。華蓮はこの事件に関係してる。分かるよな。」
「………うん。」
「警察の捜査範囲、広域捜査に切り替えた。
でもな、情報を得たら捜査範囲を狭められる。
忍さんを一刻も早く救出するために情報の提供は不可欠なんだ。
分かるよな。」
「うん。」
「!………数馬、何時、どこで、どんな風に拉致されたことを知った?」
「会社を出た時、僕のスマホに華蓮からメールが届いた。」
「華蓮からのメールなんだな。警察には言ったんだな。」
「あぁ………到着した刑事さんに話した。」
「メールの内容は?」
「話した。」
「どんな内容だった?」
「『華蓮を拉致した。助けたかったら戸川数馬だけ現金1億円を持って来い。』
場所と制限時間まで…………。」
「そっか……このメールでは忍さんが拉致されてると思わないな。」
「……あの、さ……陽。
僕にも同じメールが届いたんだ。
見てくれ。これ、忍さんの拉致が……なかったんだ。
だから、僕は忍さんが拉致されてると知らなかった。」
「翔は、そのまま数馬に伝えたんだよな。」
「うん。」
「数馬も当然のこと、倉庫に忍さんが居るとは思わなかったんだ。
そうだろう?」
「うん、忍の姿を見て有り得ないと思った。」
「はぁ………翔、僕らは間違ってたな。恐ろしい女だぜ、土屋華蓮。」
「新………華蓮は……。」
「翔、悪いな! この黒幕は華蓮だ! そう思ってるんだろう? 陽。」
「翔、華蓮が拉致されたという情報、それから遊びだという情報は何時届いた。」
「午後4時……遊びだから数馬には何も言わないでくれって……。
午後5時に数馬の所へ行ってくれって……。」
「それで、通報しないでくれって、か?」
「あ……新、本当に拉致されてるとは知らなかったんだ。」
「華蓮の言いなりだな……あ、僕もか……。」
「新、君まで何かしたのか?」
「この事件には全く関与してない。
でも、今までの僕は華蓮の掌の上で踊らされてた。」
「そうだな。」
「待ってくれ………じゃあ、僕が今まで大切にしてきた友が忍をあんな酷い目に?
そんな………じゃあ………僕は………忍を……………僕は………。」
「そうだ! 数馬、その通りだ……こんな目に遭わせる原因を作ったのは君だ。
君自身が忍さんをもっと大切にしていたら良かったんだ。
華蓮など相手にせずに、な。
まぁ、君の気持ちに早く気付いてたら、僕達も忍さんへの態度が変わってた。
僕達は反省しないといけない。
勿論、数馬も反省しないと、な。」
「………うん。」
「翔、行くぞ。」
「うん。」
「新。」
「何?」
「新は数馬の傍に居てやって。」
「当然、居るよ。」
「それから、忍さんのお母さんに連絡して。
何もご存知ないだろうから……。
今、ここに来られてないってことは御存知ないんだから。」
「分かった。」
「僕も警察へ行く。」
「数馬、君はここで忍さんのお母さんを待て。
そして、謝罪しろ。
助けなかったんだから……いいな。」
「そうだな………お義母さん……申し訳……ない………。」
「新、数馬がこんな風なんだ。
後は頼む。」
「了解。」
「お話の所、口を挟ませて頂きます。」
「何だ? 相馬。」
「若奥様のご実家には私からご連絡させて頂きたく存じます。
お知り合いでないご友人より、顔見知りの私の方が適任かと……。」
「そうだな、相馬。頼む。」
「承知致しました。」
秘書室長の相馬仁は忍の母に電話した。
陽は翔を連れて警察署へ行き、新は数馬の傍で忍の母を待った。
打ちひしがれている数馬にペットボトルの水を差しだして新は言った。
「数馬、水くらい飲んだらどうだ?」
「要らない。」
「飲めよ。」
「忍……水も飲めてないかもしれない。」
「うん、そうだな。
でも、君まで飲まないのは駄目だぞ。」
「………………………。」
「待つんだろう?」
「…………うん。」
「じゃあ、倒れられないぞ。」
「……………………。」
「水分不足はドロドロ血になって、血圧も上がって、脳梗塞になる………
かもしれない!
だから! 水分を摂れ!
忍さんを待つんだろう。
待つ身が元気でないと待てないぞ。
それに、謝るんだろう?
無事に帰って来た忍さんに謝りたいんだろう?」
「………うん、謝りたい。」
「じゃあ、飲めよ。
これから、謝罪しないといけないんだ。
先ず、忍さんのお母さんに……。」
「…………うん。」
「僕も謝罪しないとな。酷い態度だった。
忍さん、無事に帰って来て欲しいな。」
「………うん。」
顔を上げられないままの数馬の隣に、海を見つめる新が寄り添っていた。




