結婚のきっかけ
その頃、数馬は大学生だった。
大学生活を謳歌していた。
父が祖父から事業を委ねられて社長になっていた。
父は母を溺愛していた。
母は元大名の家で、明治以降、太平洋戦争が終わるまでは華族だった。
その母が望んだことがあった。
「会社の規模が小さいわ。
貴方の代で今よりも規模を拡大なさいませ。」
溺愛する妻の願いを叶えたいと父は思い、実行した。
祖父が作った戸川グループ。
元々は祖父と祖父の弟が青果店からスーパーへと大きく発展させたことから始まった。
祖父が社長、祖父の弟が副社長になり、会社の規模も大きくなった。
兄弟は地域で一番数が多いスーパーになり、多角経営もするようになった。
祖父と祖父の弟から事業を委ねられた父はスーパーの数を増やし続けたのだ。
日本全国にスーパーを進出させた。
その結果、負債を増やした。
そして、進出した地域の競合スーパーに負け続けたのだ。
撤退せざるを得ず、解雇者を出さない経営が祖父の理念だった会社から、解雇者を出した。
会長職に就いていた祖父には何も知らされていなかったし、第一、祖父自身が息子に委ねたからには経営に口を出さないと決めていた。
祖父は全面的に息子に譲り、名前だけの会長になっていたのだ。
勿論、祖父の弟も関与していない。取締役という名だけになっていた。
知ったのは、解雇された男性が会長職の祖父を襲ったからだ。
包丁を振り回した男性のその刃に倒れたのが、忍の父だった。
重体で搬送され、亡くなったのが事件から1週間後だった。
その時の忍は15歳。
高校1年生だった。
数馬の祖父が忍の為に大学進学の費用を全額持ってくれた。
忍が大学に進学した年のことだった。
数馬の祖父が病床に臥した。
脳梗塞だった。
会社を立て直している最中だった。
祖父は病床から指示をしていた。
そして、家族が集めて「忍を我が家に迎えたい。あの子をこの家で生涯暮らせるようにしたい。」と言った。
養女だと誰もが思った。
だが、祖父は数馬に向かって「数馬、好きな人が居なかったら、あの子を妻に迎えてくれないか? 」と言ったのだ。
誰も反対出来なかった。
祖父の命を助けて亡くなった青木誠二郎の娘を拒否出来なかった。
誠二郎が救ったのは、祖父だけではなかった。
その時、祖父の車に同乗していた数馬も車から降りていた。
刃は祖父と数馬に向けられたのだ。
戸川家は祖父・一郎と孫・数馬の窮地を、命を、青木誠二郎に助けて貰った。
数馬が否とは言えなかった理由が、そこにあった。
忍は父にお弁当を届けた時、数馬と何度か会っている。
初めて会った時に「王子様みたい。」と幼い恋に落ちた。
戸川数馬に恋してしまったと……。
忍は12歳だった。
だから、結婚出来ると知った時は天にも昇る気持ちだった。
戸川数馬の妻になる為には大学を辞めても良かった。
専業主婦になることに躊躇いは無かった。
ただ、祖父・一郎が「大学は出ておきなさい。」と言ったので大学を卒業した。
卒業後は専業主婦になった。
一郎の手腕は優れていて、主たる事業のスーパー部門をⅤ字回復させた。
そして、今は不動産部門、旅行会社部門、医療品部門まで拡げた。
一郎は数馬に期待を寄せ、手取り足取り教えた。
その傍に一郎の弟・次郎が居た。
次郎には子どもが居ない。
後継者は数馬一人だった。
一郎は会長職を辞して、息子・一昌を会長職にした。
そして、数馬を社長の座に座らせたのだ。
一昌は経営に一切関与していない。
一郎と次郎が関与させなかったのだ。
数馬の相談役として傍に居るのは次郎だった。
一郎が数馬の妻に忍を選んだのには、もう一つ理由があった。
それは、「お姫様は駄目だ。スーパーで買い物をする普通の家の子がいい。忍はその点でも数馬の妻に適している。」と次郎には話した。
それを、数馬は知らない。
忍は当然のこと知らない。
数馬は愛していなかったが、忍のことは可愛いと思っていた。
幼さと……僅かなことで大喜びするその姿が愛らしかった。
そう思っていた。
だが……今は………。
忍に復縁を拒否された数馬は陽に電話した。
「どうしたらいい? どうしたら?」
「数馬……愛していなかったって言ってたけど、違うよな。」
「えっ?」
「忍さんのこと、愛してるんだろう?」
「え………そんなはず………。」
「愛していなかったら離婚出来るはずだ。
狼狽えるのは、愛してるからだ。
愛してて手放したくないからだ。」
「………まさか……僕が?」
「気付いてないのかよ。」
「……そうなのか?」
「それしかないだろう。」
「僕が……忍を?」
「遅かったけどな。」
「陽!」
「もう無理だ。離婚届署名しろよ。
僕が出して来てやるから……。」
「……そんな……無理だ。」
「君以上に無理なのは彼女だ。
どう見ても、君は華蓮を大事にし過ぎた。
諦めろ。
執着したら永遠に嫌われるぞ。」
「忍に嫌われたくない。」
「だったら、署名しろ。いいな。」
「……………………。」
数馬は忍が残した物を見た。
それらは戸川家が買った物だった。
それすらも、数馬は分からない。
残されている物は忍が買った物だと思った。
それが違うと分かったのは、忍の実家の固定電話に電話した時だった。
「ワンピースとかバッグとか……残しているよな。
戻って来るからだろう?」
「違うわ。
それらは私が買った物じゃないの。
お母様がご自分の物を買われる時に私の分もご購入されただけ。
私の物じゃないわ。
だから、要らない。」
「………戻って」
「戻らないわ。もう二度と……。
お話はそれだけ?」
「いや……あの………。」
「切るわね。さようなら。」
「忍!」
ツーツーツーという音が空しく聞こえた。




