第7話「連帯債務の破綻」
第7話「連帯債務の破綻」
「ひっ——来るな! こっちに来るな!」
鞄持ちの男が、声を上げた。
俺の「将」が、彼の車兵の射線を断ち切る位置に入っている。音もなく、一直線に。男は盤面を見て、次に弁護士を見た。
「先生、防壁をこちらに。先生——」
「……黙って維持しなさい、その五枚を」
女弁護士は手帳に目を落としたまま、答えた。象兵は動かない。それどころか、鞄持ちを前に出したまま、自分の帥の周囲をさらに固めている。
男はその配置の意味を、今になって理解したようだった。
「……共同訴訟の落とし穴です」
俺は、感覚の薄れた喉で言葉を絞り出した。
「あんたの車兵五枚は、今や彼女にとっての負債だ。あんたが脱落すれば、彼女は自分のリソースを傷つけずに済む。民法上の連帯債務——あんたが一人で全責任を負わされている構造だ」
「嘘だ……俺は、あんたのために——」
「うるさいわね」
弁護士が言った。声を荒げない。ただ、事実を処理するように言った。
「無能な鞄持ちは、駒の燃料になっていればいい」
男は一度だけ弁護士を見た。弁護士は見なかった。
俺は将を踏み込ませた。
「……手続きを、簡略化する」
将の一手が、車兵の接続を物理的に断ち切った。致命傷ではない。だが男のマブイ供給経路が遮断され、制御を失った五枚が逆流を始める。
男は声を上げなかった。
ただ、ゆっくりと膝をついた。盤面を見ながら、それからもう一度弁護士を見た。弁護士は手帳を閉じ、次の局面を計算していた。
「……過失相殺だ。主人の不作為が、あんたを殺した」
男の体が、静かに光を失っていく。
【マブイ残量:8】
同時に、腕の感覚が変わった。
盤面の衝撃波で爪の付け根が割れている。剥がれかけているのが視覚では分かる。だが信号が来ない。損傷の情報が、途中で途切れている。
痛覚、消失。把握した。
俺は防犯カメラを見た。
天井付近のレンズの向こうに、影があった。気がした、ではない。見えた。音も呼吸もない、黒い輪郭。鞄持ちが膝をつく瞬間を、この盤面全体を、何かを計算するように見ている存在。
「——あつい」
「——たすけて」
死者たちのノイズが、一瞬だけ音量を上げた。
次のターン、もう一度確認しようとしたとき、レンズは普通のレンズに戻っていた。記録には何も映っていないだろう。
「……次は、あんたの番だ」
俺は弁護士を見た。
彼女は初めて手帳を置き、正面から俺を見た。計算している顔だ。まだ、終わっていない。
「続けましょうか」
弁護士が言った。
「ええ」
俺は痛覚の消えた指で、次の駒に触れた。
味も、匂いも、熱も、痛みも。
すべてをこの盤面に納税して、俺は梓へと近づいていく。




