第3話「強制執行」
第3話「強制執行」
「な……馬鹿な、俺の『城壁』が……!」
轟音と共に、刑事の背後にそびえていた象兵の巨体が崩落する。
過剰なマブイ出力を一点に集中させすぎた弊害だ。支えを失った盤面が黄金の砂となって弾け、刑事の足元を掬う。
「……言ったはずです。経費の使いすぎだと」
俺の声は、自分でも驚くほど冷えていた。
成ったばかりの「将」が、光の長槍を構える。借り物のマブイ――死者たちの叫びが、槍の穂先に白熱した殺意となって集束していく。
【マブイ残量:5】
「待て! 待て、"ゼロ"! 交渉だ。裏金の隠し場所を教える。お前、梓とかいう女を救いたいんだろ? 金があれば最高級のデバイスが――」
「業務外です」
俺は一歩、踏み出した。
脳内で、昨日の記憶がふわりと消えた。
仕事帰りに見かけた、夕焼けの色。それがどんなに美しかったか、もう思い出せない。視界はさらにモノクロームへ近づき、色彩という概念が俺から剥がれ落ちていく。
「あんたが今朝の窓口で踏みにじったのは、金で買えるようなものじゃない」
俺は、震える右手を真っ直ぐに突き出した。
それは、今日、何百回と繰り返した「受理」の動作と同じ形だった。
「――アンリミテッド・レギュレーションに基づき、本件の対局を終了する。主文:被告、蟹座の刑事。マブイ全損による『死』を執行する」
放たれた「将」の一撃が、刑事の胸にある蟹座の紋章を貫いた。
叫び声はなかった。
ただ、強烈な光が地下室を白く塗り潰し、次の瞬間には、刑事の体は実体化した駒と共に霧散していた。
静寂が戻る。
黄金のラインが消え、コンクリートの床が元の無機質な表情に戻る。
そこには、一着の制服と、粉々に砕けた警察バッジだけが残されていた。
【マブイ残量:0】
ドサリ、と膝をつく。
激しい虚脱感が全身を襲う。心臓の横が、氷を押し当てられたように冷たくなった。
ふと見ると、刑事の制服があった場所から、淡く輝く「玉」が一つ、俺の懐へと吸い込まれていった。
……一つ目。
梓を救うための、十二の欠片の一つ。
「……う、げっ……」
込み上げる吐き気を抑え、俺はふらつく足取りで地上へ戻った。
市役所の通用口を出ると、夜の街が広がっていた。
自販機で買った缶コーヒーを口に含む。
ふと、路地の奥が気になった。
暗がりの中に、対局の残滓に似た光が漂っていた。ただし色が違う。金色ではなく、濁った赤だ。
近づくと、それは消えた。
地面に、砕けた駒の欠片が一つだけ落ちていた。どの紋章にも属さない、素材不明の破片。触れると、指先から何かが逃げていくような感覚があった。
俺は、それを拾わなかった。
業務外だ。
苦くない。熱くもない。
ただの「無味無臭の液体」が喉を通り過ぎていく。味覚と嗅覚。俺は今日、二つの感覚を戦いの燃料として使い果たした。
翌朝。
俺は、いつもと同じ時刻に出勤した。
第三窓口の椅子に座り、端末を立ち上げる。
「――次の方、どうぞ」
呼び出されたのは、年配の男性だった。
差し出された書類には、見覚えのある名前が記されている。昨夜、俺が殺した刑事の名前だ。
『死亡原因:対局による全損』
『場所:市役所地下二階』
俺は、震える指を抑えながら、ルーチンワークをこなす。
自分の手で、自分の犯行を「公的」に受理する。
【からくり戦棋条項・第四条】に基づき、免責の判を押す。
カチ、カチ、カチ……。
事務的な音が、誰もいない俺の心の中に響いた。
「……受理、いたしました。本件の手続きはこれで終了です」
男性が去った後、俺は自分の引き出しをそっと開けた。
中には、真っ白な「ブランク体」の駒が一つ。
その表面に、うっすらと蟹座のハサミのような文様が浮かび上がっていた。
残り、十一戦。
俺の中に「俺」が残っているうちに、全てを終わらせなければならない。




