亜鳴蛇筮麽vs鴨紅柄長
六
東京。
摩天楼。
高く聳え立つ鋼鉄と硝子の巨大な高層建築群の谷間。
鴨紅柄長は、冷たい無機質なガラス面に映る己の姿を静かに見つめた。
サイドテールに結われた薄びやかな水色の髪。意思の強さを思わせる黄金色の瞳。紛れもなく、それは普段見慣れた自分自身の姿そのもの。
だが、この眼前に広がる大都市は、現実のそれとは決定的に異なる異常な点に満ち溢れている。
まず仰ぎ見る空は、雲ひとつない快晴の様相を呈しながらも、生命力の一切を排したかのように陰鬱な灰色に酷く濁りきっている。周囲に乱立するあらゆる建造物は、色彩を剥奪されたかのような均一で無機質な灰色。そして、都市の血脈たる電力設備が全く稼働していないのか、夕闇が迫ろうとも電気による人工的な照明の瞬きは皆無。極めつけには、世界有数の人口密集地帯であるはずのこの空間に、自分以外の人間の息遣いが一切存在せず、東京特有の喧騒も、車両の騒音も、全てが漆黒の静寂に呑み込まれている。
あまりにも異質で、死の匂いすら漂う無人の虚無空間。
だが、周囲の灰色の建物は一部分が所々無惨に破壊されており、崩落したコンクリートの瓦礫がアスファルトの上に無秩序に散乱し、辺りには焦げ臭い硝煙の香りがうっすらと漂っている。
柄長は、静かに己の異能、電波でテクノロジーを操る能力を発動させた。研ぎ澄ませた意識を周囲の空間へと円状に波及させると、約三百五十メートル先の座標に、微弱な電子の脈動を放つ対象を発見した。
彼女の保有するテクノロジー操作の有効射程距離は現在五百メートル。空間の奥底に潜む、対象の保有するホロフォンの固有周波数を正確に探知。
「そこか」
右手をその座標へ向け、人差し指と親指で無骨な指鉄砲の形を作る。
意識を極限まで一点に集中。
バチバチという凄まじい放電音が虚空を切り裂く。
周囲。大気。
高圧のエネルギーに耐えきれず細かく震える。
莫大な水色の電流が雷鳴を伴って発生。
荒れ狂うエネルギーを指先へと集束。圧縮。
瞬く間に、バスケットボール程の巨大な質量を持った青白い電球が形成された。
その極限まで圧縮された破壊のエネルギーを、一条のレーザーとして躊躇なく一気に放出。耳を劈く爆音が空間に響き渡り、放たれた閃光は、目前に立ち塞がる灰色の建物を熱されたバターの様に溶解しつつ突き破り、一直線に直進した。着弾地点で大地を揺るがす大爆発が起こり、天を衝くような巨大な煙の柱が発生する。
「これならどうかな?」
ひと言だけ低く呟く。
次に、柄長は反磁性浮遊を発動。
全身がバチバチと跳ねる水色の電気で美しく纏われ、身体は重力の楔から解き放たれてふわりと空中に浮遊する。そのまま上体を前傾姿勢へと横に向け、ロケットの如く急加速し、先程の着弾地点の上空へと一瞬で接近した。
上空百メートル程の地点で停止し、眼下でまだもうもうと立ち上る硝煙の渦を見下ろす。
その瞬間。
シャッ、と風を切る鋭い音と共に煙の壁が内側から突き破られ、禍々しいヴァイオレットの色彩を放つ太い触手が無数に現れ、柄長へと牙を剥いた。
「……まぁ、そりゃこんな子供騙しじゃ無理か」
まるで意志を持つ大蛇のように、触手群は空中の柄長へ向かい容赦なく直進する。だが、その切先が彼女の身体の三十センチほど手前に迫った瞬間、柄長が常時自分の周囲に纏っている不可視の電磁フィールドが瞬時に反応。強大な物理法則を捻じ曲げる電磁波の網に触手が完全に捕縛され、ピタリと空中でその動きを停止した。
「うわっ、なんちゅーバカ力だよ。少しは加減ってもんを知らないのかっ」
網を突破しようと軋みを上げる触手の圧力に、柄長は思わず冷や汗を流してぽつりと零す。
自身の身に物理的な危害が及びそうになった際、能力のシステムが自動で危険を感知し、向かってくる物質の相対速度や質量に合わせて瞬間的に最適な防御出力を上げるようプログラミングされている、このオート機能のバリア。その防御の出力限界値は開発者である彼女自身にとっても未知数だが、少なくとも数十トン程度の質量兵器なら余裕で防げるほどの出力はあると思う。それにも関わらず、眼前の触手はギリギリと嫌な音を立てながら、力任せにバリアを押し込んでくる。一体全体、どれほど馬鹿げた力なのか。
「さっきの光線、ちょっとだけ凄かったよ。私の触手が少し欠けちゃったし。柄長ってば、案外結構容赦ないね」
横から響く、気の抜けた平坦な声。
その方向へと視線を向けると、肩ほどまである艶やかな濃桔梗色の髪を風に揺らす長身の女、亜鳴蛇筮麽が空中に佇んでいた。
荒々しい稲妻を纏い、反発力を利用して浮遊する柄長とは違い、筮麽の姿勢はまるで空間そのものに固定されているかのように、何の予備動作もなく自然にふわりと浮遊している。
彼女の代名詞たる、身体から触手が生える能力。
左手の五指の先端から無造作に生えた禍々しい触手が、向かいの柄長に向かって不気味に伸びている。
「それはこっちのセリフだわっ。筮麽、こんなの、もしバリア貫通して直接当たったら、擦り傷とか怪我じゃ絶対すまないんだけど。死ぬでしょ、これ」
柄長は、空中で蠢く筮麽の凶悪な触手を指さして不満の文句を垂れる。
「一応、触手の表面はマシュマロみたいに柔らかくしてるから、直撃してもクッションみたいになって大丈夫なんだけど。ただ、トリモチみたいにベタベタ引っかかるだけだよ」
「ほーう? にしては、随分な押し込みですこと。いくら表面が柔らかくても、こんなの絶対安心できんなぁ」
「まぁ、ここで例え体がミンチになって本当に死んだとしても、現実の肉体が滅びることはないんだし、細かいことはいいでしょ」
「ミンチとか怖いこと言うな」
「例えだよ、例え。流石にそんな事にはならないから安心して。ここはあくまで、私が作った仮想空間なんだし」
筮麽が、平坦な声色で言った。
そもそも、現在二人がいるこの荒廃した灰色の空間は、現実に存在している本物の東京の街ではない。
事の発端は数時間前。
いつも通り、筮麽は東京から長野県の柄長が住むアパートまで、一度訪れた場所に瞬間移動する能力で遊びに来ていた。
その際、筮麽は自身の真の異能、視認した能力を行使する能力にて、これまで収集してきた何百もの精神系能力をパズルのように混ぜ合わせ、あるひとつの全く新しい特異な異能を創り出したという話を、柄長に得意げに語った。
その新たに生み出された異能こそが、仮想空間を作る能力。
筮麽の説明によれば、自身の脳内に広大な仮想の世界の基盤を創り出し、そこに限りなくリアルな東京の街並みの三次元データを投影し、再現したという代物。
要するに、脳を直接ハッキングする超高度な仮想現実空間だ。
創造主である筮麽本人は目を閉じて念じるだけで容易くその空間へダイブ出来るが、柄長はそうはいかない。その為、筮麽は友人もこの箱庭へ自由にアクセス出来るように、別でもうひとつの便利な能力をわざわざ拵えた。
それが、仮想空間に入れる結界を作る能力。
直径二メートルほどの紫色の丸い結界が筮麽の足元を中心に展開され、その円の中に他の人間が入り、静かに目を閉じれば、筮麽と同じ様に仮想空間へ精神をログインさせることが出来るという仕組み。これにより、柄長をこの仮想の東京へと招待することが可能となった。
柄長は、ほぼ現実の物理法則と遜色のない精巧な仮想空間に入るや否や、「あんた、またとんでもない能力作ったな」と深く呆れつつも、その圧倒的な仮想空間に感心した。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。五感へのフィードバックも全て鮮明で、現実世界と全く遜色がない完成度だと最初は思った。だが、周囲を観察すると、風のそよぎや気温の変化といった自然現象が一切存在せず、木々などの植物のテクスチャも存在しない。流れるはずの川の水すら干上がったように存在していない。また、数キロ先の遠方の景色は処理落ちを誤魔化すようにうっすらと白いモヤでしか表現されておらず、確かにここが現実世界では無いということを否応なく認識させた。筮麽が言うには、あのモヤはゲームにおけるマップの端、境界線だとか。
全てが灰色に統一されていることや、街を行き交う人、つまりNPCが一人もいないのは、筮麽曰く「まだ調整中。正確には作るの途中でやめたから、ほとんど未完成」らしい。そして、どうやら筮麽自身が現実で一度も中に入ったことの無い建物は、内部構造のデータが存在しないため作られておらず、扉を開けても中が暗闇で何も無くスカスカの状態だった。林立するほとんどの巨大建造物が、同じく外見だけのハリボテだとか。
説明の途中、言葉の端々から何度も「めんどくさくて」と言いかけては咳払いをする筮麽を見て、柄長は絶対にこいつ、面倒臭がって途中で構築を放棄したな、と確信した。全人類が何かしらの特異な異能を保持するこの異能普遍社会において、あらゆる異能を模倣できる異能に加え、その本人の基礎スペックすらもカンストしているという、何でも出来る万能な神に等しい能力者の癖に、その怠惰な精神性だけは底無しの限界値がないらしい。
「まぁ、まだ開発途中の未完成世界だけど、この世界なら何をしても誰にも怒られないから、今日はここで一緒にストレス発散して楽しもうよ」
と、筮麽は無邪気にそう言った。
とはいえ、この何でもありの空間自体には強い物珍しさを感じ、柄長は案内役の筮麽と共に散策を楽しんだ。
何せ人が一人もいなければ、エアカー専用の複雑な空中交通機関も一切機能していない。能力自由行使法はこの世界かでは適応されない。周囲への甚大な被害や倫理感を一切気にせず、強力な能力が使い放題と言うこと。筮麽は空中浮遊する能力で重力を無視してふわりと浮かび上がり、「名所を案内するから着いてきて。柄長も飛べるんでしょ」と柄長に空の旅を促した。柄長も反磁性浮遊で筮麽の背中を追い、無人の街中を飛び回り、仮想東京の空中散歩を満喫した。
全てが灰色のテクスチャとはいえ、有名なスクランブル交差点、地女大の広大な校舎や、ジュリアナ東京改、その他お上りさんが喜ぶ観光地など、東京の象徴的な外見は見事に再現されていた。空間の広さは直径五キロほどであり、端は真っ白なモヤの壁で包まれている。筮麽に続いてそのモヤの壁に恐る恐る飛び込むと、空間がループしているのか、向かいの端のモヤからスポンと抜けた。
その後、一通り機能の説明を終えた筮麽と一旦別れ、柄長はひとりで自由な散策を楽しんだ。
しかし、案外すぐに飽きが来た。全てが灰色で代わり映えのない無機質な景色。人っこひとりいないゴーストタウンをひとりで彷徨いたところで、廃墟探索のニッチな趣味など持ち合わせていない柄長にとっては、何の面白味もないじゃない。自由度が高すぎるオープンワールドゲームが、目的が無いと割と直ぐに飽きるというのはこういう心理状態か、と妙に納得していたら、同じく「飽きた」と、いつの間にか背後に忍び寄っていた筮麽が気の抜けた声色で言ってきた。
なら、そろそろ満足したし現実に戻ろうか。
柄長はそう切り出し、現実世界への帰還をしようとしたが、筮麽はそこでひとつの物騒な提案を示す。
「ねぇ柄長、ここで私と本気で戦ってみない?」
狂気を孕んだ提案だった。
柄長は、その物騒な言葉にギョッと目を丸くした。能力を利用したお遊びの範疇ではなく、文字通りの物理的な戦闘、と言うことらしい。何でも、あの莎我夜美奈との神話クラスの戦い以来、物理的な能力戦に少しハマったとか。柄長からしたら冗談ではない事象ではあるのだが……。
確かにこの隔離された場所であれば、全力で能力を使っても倫理的、法的な問題は一切ないだろう。しかし、例え相手が化け物染みた筮麽であっても、他人の肉体に向けて直接的に能力で危害を加えるという行為は、彼女の平和的な信条から賛同しかねる。
仮想空間では極端な痛覚のフィードバックはオフに設定されていたり、もし致命傷を負って当人が消滅しても、ただ現実の肉体に意識が戻るだけと言う。
が、それでもだ。
そもそも論、あらゆる能力を自在に模倣し、底無しの力を持つ世界最強の能力者相手に、正面から挑んで勝利することなど、天文学的な確率でも不可能。
すると、渋る柄長に対し、筮麽はさらに舐め切った条件を提示した。
「柄長はどれだけ本気でかかって来ても構わないけど、私はいつもの触手能力しか使わないから。勝利条件は、私が柄長を捕まえたら私の勝ち。柄長は、私に少しでもかすり傷を負わせるか、あるいは私に触手以外の他の能力を使わせたら勝ちってことでどう?」
つまり、圧倒的なハンデを与え、めちゃくちゃに手加減してやる、という傲慢な宣言。そのあまりにも自分を舐め腐った態度と条件に、流石に温厚な柄長も少しカチンと来た。
そこまで言うならば、後悔するほど思い切り能力を振るって、その余裕の顔を歪ませてやろう。
柄長は、勝者はこの後現実に戻った際、敗者に好きな外食を奢らせる、という条件を付け加え、筮麽との物理的な能力戦を開始した。
初めは、例え仮想空間のハリボテとはいえ、現実の街並みを模した建物を破壊することに柄長は強い躊躇いを覚える。だが、攻撃を躊躇う度に筮麽が触手を揺らしながら鬱陶しく煽ってくるので、吹っ切れ、異能を完全に解放。
これは、リアルな洋ゲーの仮想都市で、チートコードを使って思う存分暴れ回るのと同じストレス発散、と割り切った。
高出力の電波をレーザーのように筮麽に放ったり、強力な電磁波による擬似念動力で崩落した建物の重い瓦礫を大量に浮かせ、雨霰と筮麽へ投げやったりと、普段の自堕落で人を食ったような態度で、文字通り食事を奢らせて来て財布を圧迫している筮麽への鬱憤を全て晴らすかのように、徹底的かつ容赦のない破壊攻撃をしかけたのだ。




