驚倒
苑奈の明晰な頭脳が、一瞬にして完全に凍結した。
目の前に立つ煮麼筮の真の能力は、対象の能力を模倣するという、神の領域に踏み込む如き禁忌の力。
それは理解した。
理解はしたが、彼女の口から放たれた言葉の細部に、苑奈の論理的思考は一つの大きな点を見出し、すぐさまその返答へと行き着く。
「れ、劣化だと?」
「はい。視認した能力を劣化行使する能力、それが私の本当の能力です。ただ、他者の力をコピーする為には、相手が能力を使用している瞬間を一度視認するのと、その本質を少しでも理解出来ないと、能力発動条件が満たせないんです。ふたつめの条件は結構緩いんですけど、苑奈さんのナノテク変換は内部プロセスがかなり複雑すぎたのか、今までは模倣不可能でした」
「ああ、そこはわかった。だが、劣化という表現ならおかしいぞ。今、君が使った私の能力は、物質のナノテク変換の速度が私のそれとなんら遜色なかったし、その後のナノテクの操作も色味の違い以外、出力の差が分からなかった。一体どの辺りが劣化したと言うんだ」
「それを補う為の手段がちゃんとあります。まぁ、小難しい理屈を説明するより、実際に見てもらった方が早いですね」
煮麼筮が、スッと右手を目の高さまで上げた。
すると、掌からは渦巻く旋風が生じ、光る大小様々な形のエフェクト群が虚空より現れては空を舞い始める。さらに親指は金属質な鋭利な刃物へと変化し、人差し指からは妖しい紫色のオーラが立ち昇る。植物の太いツルがニョキニョキと伸びて中指に螺旋型に巻き付き、薬指は煌びやかな光を放つ硬質な宝石と化し、小指は漆黒の鋭い茨へと変わる。
とはいえ、その発現した能力のひとつひとつは、まだ未発達の子供の能力の様に、限りなく弱々しく、ささやかな規模のもの。
だが、苑奈は先程よりも遥かに深く驚天動地の極みに陥り、もはや声を発することも出来なかった。
「まぁ能力の模倣なんですが……このように、コピーした直後はオリジナルより遥かに劣化した、不完全な状態でしか使用できません。文字通りの劣化コピーなんです。戸籍上に登録している指からちっさい火が出る能力も、オリジナルはもっと広範囲を焼き尽くす強力なものでした」
自嘲気味にそう呟きつつ、煮麼筮はふっ、と息を吐いて展開した全ての能力を瞬時に解除した。
「なので、オリジナルと同等か、あるいはそれ以上の出力や精度で使用するには、別途保有する他の強化系の能力で底上げして補強してあげないといけないんです。苑奈さんの仰った通り、模倣した単体の状態では出力が微力過ぎて、あの硬いフラスコのナノテク化には、恐らく数十分単位の時間がかかってしまったでしょうね」
「つまり、君は無数とも言える能力を模倣し、その脳領域に同時に宿せるというのか」
「はい」
苑奈は、息を飲んで押し黙る。
煮麼筮が先程言った通り、苑奈の初期の予想は大きく外れていた。
能力の模倣という反則的な異能が存在するとしても、保持できる能力の数は己の枠組みに収まる一つまでで、次に別の能力をコピーした瞬間、以前までの能力は上書きされて使用不可になるものと推測していた。人間という脆弱な器が複数の異能を同時に宿してしまうと、脳神経が焼き切れ、正気ではいられなくなる明確な医学的理由が存在する。
だが、目の前の女は、明らかに、複数の能力を同時に使用している。
助手たる星ヶ咲針我の天候操作に見られるような多重属性などという、既存の枠に収まる陳腐なものではない。
彼女の言い分をそのまま受け入れるなら、劣化とはいえ、模倣した多種多様な能力を幾つも同時に使用可能という、神のごとき究極の異能。
苑奈は、目の前の常軌を逸した現象が信じられないが、すぐさまその理性で冷静な態度を取り繕った。
そして、最も根本的な疑問符を口にする。
「大学時代に能力研究サークルに所属していたというなら、複数異能症候群の存在は知っているだろう?」
「あぁ、マルチプルスキル症候群。ええもちろん、よく知っています」
「なら説明は不要だな。この致死性すらある精神疾患の症例通り、人間は複数の能力を宿すと、脳の処理野がパンクしてとてもじゃないが正気ではいられなくなる。だが、君は見る限り全くと言っていいほど精神的・肉体的な異常は見られない。私が今まで確認しただけでも、既に九つもの能力を平然と使用していたぞ」
「あぁ、それは研究者として至極真っ当な意見ですよねぇ。単刀直入に結論を言うと、ただの体質です」
「体質だと?」
「はい。ほら、保有する能力によって、人は肉体の構造や体質まで劇的に変わるじゃないですか。炎使いなら超高熱に強くなったり、冷気使いなら極寒の地でも平気になったり。でないと、自分の放つ能力で真っ先に身を滅ぼしますからね。人間の体って、案外上手く出来ているものです」
煮麼筮は、自分の側頭部をトントンと指先で叩いて続ける。
「本来、脳の異能受容領域には、一つしか能力を保持出来ません。もし許容量を超えて複数能力が存在すると、激しい苦痛や意識混濁や様々な神経症状を引き起こす……件のマルチプルスキル症候群を発症しますが、私の場合は根本的な構造が違うんです。模倣した段階で能力の概念が自動で変質して、私の元からある能力の枠内にスッと収まるんです。つまり、無数のファイルをひとつの大容量フォルダーにまとめて保存している様なもの。なので、無数の能力を宿しても、脳への負荷は一つ分とカウントされて、なんら問題がない」
なるほど、と苑奈は深く納得した。
確かに、能力の模倣という異能があっても、従来の人体機能のままでは発動した瞬間に脳が焼き切れ、ショート不可避。しかし、取り込んだ異能を一つのフォルダとして統合管理する体質であれば、重篤な症状が出ない理屈は通る。こんな特異体質は、苑奈でも完全にお初にかかる代物で信じ難い。だが現に、目の前の煮麼筮がなんら異常なく思考を巡らせ、健康的に活動している事実がそれの実在を雄弁に物語っている。
「……なるほど、それは確かに能力を偽装し、隠蔽しなければならないな。そんな神をも恐れぬ能力が世に知れ渡ったら、世界中のあらゆる国家機関や組織が絶対に黙っていないだろう。国家指定危険能力という枠組みだけでは、到底済まないだろうな」
「そうですよね。私の特異体質を研究して、マルチプルスキル症候群の画期的な治療に役立てる──という人道的な目的だけでは絶対に終わらないと思います。世界中の暗部から血眼で追われる身になれば、私の愛する自由も、平穏な日常も完全に失われてしまいます」
「最悪、有益なデータを抽出された後に、証拠隠滅のために消されるかもな」
「それはどうでしょうかね? ……あ、そうだ」
煮麼筮が、苑奈の顔にかかる丸メガネを指さした。
「それ、今すぐ使ってみてくださいよ。どうでしょう、今の私の異能出力は」
「……なんだと?」
その全てを見透かしたような口ぶり。
まさか、この秘匿された精神波動可視化機構の存在と機能に気付いているのか。いや、あらゆる能力の模倣と言うならば、何でもありの反則技。隠し持っていた測定機器を看破されても、おかしくはないのか。
そう内心で冷や汗を流しつつ、苑奈はメガネのテンプルに指を伸ばし、恐る恐るスイッチを押す。
「──ッ!?」
その瞬間。
ずあっ、と。
煮麼筮から発せられた莫大な薄紫色のオーラが、苑奈の視界を、そして広大な第六実験棟の空間を完全に覆い尽くし、さらには分厚い防壁を透過して、窓の外から見える外界の景色まで、途方もない広さで伸びている。
「どうでしょう。今の私は」
煮麼筮が涼しい顔で言う。あの日、スクランブル交差点で見た時よりも、遥かに強大で密度を増した、絶望的なまでの異能出力。苑奈が慌ててスイッチをオフにすると、通常視界に戻った煮麼筮の瞳が、薄紫のオーラで妖しく纏われていた。
「……信じられん。まさか、こんな異能出力があるとは……」
「その眼鏡の機能も元を辿れば、似たような能力の持ち主がいたんでしょう。そういう人に私の異能出力を見られて目を付けられたらまずいので、少しばかり細工を」
煮麼筮が、おどけるように指を揺らす。
「しかし、どうやってこれを看破した。それに、その目のオーラは……?」
「あ、これは心眼系の、相手が何をしているのか分かる能力です。かなり便利でしてね、嘘発見器としても役に立ちます。単純な事象しか分からないので、苑奈さんの様な複雑な能力の解析には使えませんが。……この前、あのバーで苑奈さんを信用して秘密を打ち明けたのも、この能力で敵意がないと判断したからですね。ただ、外で使用する時はオーラを不可視化する能力を併用してカモフラージュしていたので、苑奈さんには紫のオーラは見えてなかったでしょうが」
煮麼筮のあっけらかんとした説明で、苑奈の脳内で幾つもの点と点が線として繋がった。
つまり、今まで苑奈がこっそり能力の詳細を知ろうと詮索していた意図や、誤魔化すために吐いた数々の嘘、もしもの時はジャミング・ストロボで対抗しようとしていた事など、全て彼女には最初から筒抜けだったという訳だ。
あの森公園での邂逅の時も、苑奈が測定機器で自身の異能出力を探っていることを瞬時に察知し、何らかの隠蔽能力を使ってそれを意図的に隠したという事か。
待て、そうなると、この場に彼女を招き入れる前に着いた、あの見栄っぱりの嘘は……。
「あー、なので苑奈さんが、普段から実験棟内をチリ一つなく綺麗に清掃してる、って堂々と言ってたのも、本当は直前に慌てて能力で片付けただけの嘘だって分かっちゃった訳ですが……なんだか大人の威厳を傷つけて申し訳ないです」
煮麼筮が、心底申し訳なさそうな顔をして、ハの字に眉尻を下げた。
苑奈は、自身の破滅的な怠惰さと、大掃除の泥縄対応が完全にバレバレだったと知り、流石に顔から火が出るほど気恥ずかしくなり、咳払いをして視線を明後日の方向へと背けた。
「まぁ、これはこういう警戒が必要な時にしか使わないですよ、いちいち他人のプライバシーを詮索するなんて、悪趣味で性格悪そうですし。ちなみに、私のオリジナルです」
「待て、オリジナル、だと?」
「はい。〈能力を行使する〉という概念そのものが、私の能力の真の本質でして。単なる模倣に留まらず、他の取り込んだ能力を変質させたり、能力同士を複雑に混ぜ合わせて全く新しいオリジナル能力を作り出す事も出来るんです」
「……ははは、もう完全に何でもアリの異能だな」
「大元は、能力を行使するという概念だけなので、属性カテゴリーで言えば単一属性に分類されますが」
無数の異能を際限なく模倣し、自在に使いこなし、あまつさえ合成まで行えるのに、その本質は至極単純な単一属性。異能を行使すると言う理屈なので理解は出来るが、天才の頭脳ですら激しく痛くなりそうだ。
「……凄まじい、の一言に尽きる異能だな。何の物理的・精神的デメリットもなく、あらゆる異能の行使と創造が自在に出来るとは。私は研究者として世界中を回り、多種多様な能力の極致を見てきたが、間違いなく君の持つそれが飛び抜けて神がかった最強の能力だ」
「あー、いえいえ。とはいえ、あまりに常時ストックしている能力の数が多いと、私自身の燃費が極悪に悪くなるって致命的な欠点もありますけどね。なので、直ぐお腹が空いたりします。そういう時は、能力を属性カテゴリー別で一纏めに圧縮して対策します。そうすれば、ひとつの能力としてカウントされるので、総数は減って燃費が良くなるという訳です」
「……ははは。ちょっと待ってくれ。あまりにも規格外、荒唐無稽過ぎて、頭の中で情報の整理が追いつかん。しかし、非常に興味深い。これほどの事象を、詳細なデータ記録を取ったり、個人的に研究出来ないのが心底残念だ」
苑奈としても、個人的にこの亜鳴蛇煮麼筮に対する知的好奇心は、もはや抑えようのないところまで膨れ上がっていた。これまでに観測した数多の異能の中で、最も興味深く面白く、そして圧倒的に最強の能力者。
一体彼女が保持する異能の総数はどれ程のものなのか。もしストックされた全てを一気に解放したら、どうなってしまうのか。苑奈自身は現代の異能普遍社会において兵器優位論を推してはいるが、彼女ひとりの武力で、国家の保有する最新鋭の現代兵器群にすら容易く打ち勝ててしまうのではないか。
探求の興味は、湧き水のように尽きなかった。
「まぁ、でも私にこの世界をどうこうしようとか、支配しようとか、そういう物騒な意思は一切ないので安心してください。ただ、美味しいものを食べて、普通に生きて、平穏な人生を送りたいだけなんです」
「それを聞いて心底安心したよ。君も、平和を愛する善良な一市民に過ぎないのだな」
苑奈は、ようやく緊張の糸を解き、大きく溜飲を下げた。
煮麼筮の様に相手の発言の真偽を読み取る便利な能力なんてものは持ち合わせていないが、彼女から放たれる雰囲気には微塵の悪意も害意もなく、ただ平和を愛する小市民であることは、言葉でなく心で確かに理解出来た。
「ついでに言っておきますが」
「え?」
「苑奈さんが以前持ち歩いていた道具ですが……いざって時に使おうとしてましたね? 私に対して」
苑奈は、若干身動ぎした。
口ぶりからするに、ジャミング・ストロボの事だろうか。
「光を発して能力の波長を狂わせる……なるほど、確かに効果的だ。でも、あれは、私には効きませんので」
「な、なぜそう言い切れる」
「光を反射する能力です。念の為、常時発動させてました。もちろん、私への害があった場合のみ自動発動するように」
深い息を飲んだ。
この女の前では、何もかもがお見通しで、そして全て対応可能らしい。
「……敵わないな、君には」




