能力依存性
十二
築年数の古い木造のボロアパート。
カートン買いされた煙草のパッケージと、室内を埋め尽くし壁の如く聳えたつフィジーウォーター入りのボトル。折りたたみ机の上には、無惨にも貪り食われたであろうジャンクフードの空容器がそのまま散乱している。
現在この部屋の主たる亜鳴蛇筮麽は、部屋の中にいるのにも関わらず、その麗しき唇には煙草が咥えられ、煙を漂わせている。しかし、驚くことに部屋の中は煙草特有の悪臭ではなく、ブルーベリーの澄んだ香りが広がっている。以前まではアロエの香りを出す能力により、室内の香りはアロエで満たされていたが、結構前に鴨紅柄長からリクエストされた「次はブルーベリーの香りが良い」という要望にようやく応えたのか、新たにブルーベリーの香りを出す能力を作り出した。
なお、相変わらず能力の共有にて、病気にならない能力を柄長へ共有する、という当初の目的は果たせていない。正確に言えば完成はしているのだが、脳の異能受容領域に直接能力を刻み込んでしまう、という欠陥を解消するのにえらく苦労しているからだ。これでは例え柄長に二つ目の能力を宿せても、マルチプルスキル症候群発症不可避。友人にそんな疾患を背負わせる訳にはいかない為、現在なんとかこの疾患を回避しつつ能力共有を果たせる方法を模索中。
「これはどう?」
筮麽が、煙草の紫煙を燻らせながら言うと、眼前の虚空にぽん、と軽快な音を立ててメロンパンが顕現し、空に浮かぶ。そしてそのまま、目の前にいる柄長の眼前まで浮遊させ、固定させた。
「食えと?」
「うん。味見してよ」
「……いや、つってもな。筮麽、これ」
致死量の砂糖がまぶされたそれを見つめつつ、柄長は不満げに眉を顰めた。
無理もない。こんな劇物をひと口でも体内へ納めようものなら、即座に血糖値スパイクを起こし、糖尿病にでもなりかねない。
あれから筮麽は、視認した能力を行使する能力にて、莎我夜美奈と望まぬ能力戦をしてまで、苦労して手に入れたお菓子を実体化させる能力を、自宅にて試した。
だが、莎我本人の言っていた通り、能力者本人にはその菓子はとんでもなく不味いとしか感じないその致命的な欠陥。試しに出現させたドーナツを、恐る恐る口へ放り込んだその刹那、この世に存在を許して良いとは思えぬ不味さをその身に感じ、即座に吐き出した。口腔を満たす、腐った乳製品の如し激烈な刺激臭と、砂利を噛んでいるような不快感。とてもじゃないが、食えたものでは無い代物。
しかし、その後も諦めの悪い筮麽は、その欠点を補おうと、数多の保有能力を総動員し、繰り返し能力の改良・再構築を続けていた。
燃費の悪さから特に糖分を大量に必要とする筮麽にとって、この能力を使えないと諦めるのは中々覚悟が出ない。
だが、折角なので、友人たる柄長にもその味見をしてもらおうと、彼女は長野県からいつも通り、一緒に瞬間移動する能力にて遥々東京の筮麽のアパートにまで連れて来られ、その試食会に半ば強制的に巻き込まれた、という訳だ。
そして、柄長は色々な種類の菓子類を食わされる羽目に合う。筮麽の生み出すその菓子類は確かに一流のパティシエが精魂込めて作り上げた様な一級品の美味を誇るのだが、こうして食べさせられ続けられたら溜まったものではない。自分は、莫大な数の異能を保有しているため無尽蔵にエネルギーを欲する筮麽や、いくらでも食べられる能力、食べた食材を即座に消化・吸収し、文字通り無限に食物を摂取可能な大食い系能力を持つ、あの地女大の伽羅部瞰とは人体の構造が違いすぎる。
大食い系の異能の持ち主でも無ければ、生来の大食いでもなく、その小柄な見た目と同調するように小食な柄長には、いくら美味であろうと、この砂糖濡れ濡れの菓子を食べまくらなければならないのは、ぶっちゃけきつい。
「……仕方ないな。ほんの少しだけだぞ」
柄長が、指からパチリと電気を発生させ、器用にそれをペッパーナイフの形に変形させる。
電波でテクノロジーを操る能力。
さく、とメロンパンの一部だけを切り取り、そのまま磁界による擬似念動力で口に放り込んだ。サクサク、という食感より早く、脳髄が痺れる程の爆発的な甘みが口に広がった。
もそもそと咀嚼していた柄長だったが、
「ぐはぁっ!」
嚥下した後、即座に吹き込む。
「ん? もしかして、不味かった? 色々弄りすぎてついに夜美奈の能力もポンコツになったのかな」
筮麽が、見当違いな事を言うが、答える余裕がない。
机の上に置いてある、ティーカップに注がれたインスタントのブラックコーヒーを胃の腑へと流し込んだ。なんて事だ。苦味が強いはずのブラックコーヒーが、角砂糖を山のように押し込んだみたいに異常な甘さに感じられる。どれ程の甘味爆弾に設定したんだ、この美女は。
「筮麽、んだよこれっ! 甘すぎるわっ!」
柄長がまだ甘ったるい口内を誤魔化すためコーヒーを飲みながら言うが、
「あー、なんだそっちか」
筮麽は、能力が変質した訳では無いと悟り、煙を吐いて安堵の声を出す。
「あ、あんたね。これ、もはや兵器だろっ。どんだけ砂糖ドバドバにしたらこんな甘味爆弾が出来るんだよ。アメリカのお菓子じゃないんだから」
「んー、まぁ私専用のものとして作ってるから、多少の甘味増加はそりゃあね」
「多少じゃないわっ。これ、ひとつ丸々食ったらカロリーどんくらいよ? 糖分の量も半端なさそうだし、即糖尿病なるわ、こんなんっ!」
文句を言いつつ、磁界念動力でメロンパンを突き返した。
メロンパンが迫る。
筮麽は無言で、能力を脳内から抽出し発動させる。
煙を固める能力、物質の質量を増加させる能力、密度を増やす能力。
三つの能力の併用により、煙は反発性を備えたクッションと化し、メロンパンがぼすっと受け止められる。
「全く、なんてものを食わせるんだ、あんたは」
柄長は文句を言いつつ、iQOSのデバイスを取り出す。
最近は節約も兼ねてめっきり電子煙草はやめていたが、このでろでろの甘みをかき消すべく、メンソールで口をリセットしたかった。
「いや、でも不味いよりはマシでしょ? 私が食べたらこれ、本当に信じられない程不味くなるんだから」
筮麽が、メロンパンを再び浮遊させ自身の眼前にまで持っていき、忌々しげにメロンパンを眺める。
もちろん、口を付けようとはしない。
地獄の様に不味い、という理由もあるが、わざわざ口にしないとならぬそのリスクを排除出来る、便利な異能を最近入手していた。
食べ物の味が分かる能力。
この能力は、視認した食べ物が、その能力者当人にとって美味と感じるか、不味いと感じるか分かるという能力。
単純に〈美味い〉〈不味い〉しか分からず、詳細に把握することは出来ないと、特に好き嫌いのない筮麽にとって実用性は皆無に近い能力だったが、こんな形で役に立った。
今も相変わらず、目の前の菓子は、不味い、としか感じ取れない。
「ほら、筮麽も食べてみなよ。今度は美味しいかもよ」
柄長が、ラズベリーの蒸気を吐き出しつつ、嫌味ったらしく口にするが、
「いや、不味いって私の能力が言ってる。やっぱりダメだな、何度改良を重ねても私だけは食べれたもんじゃないや」
筮麽は、小さく口を開ける。
ヴォン、という重低音が響くと、口元の空間が歪曲し、ビー玉ほどの漆黒の球体が顕現する。
空間を抉る玉を出す能力。
それをメロンパンへふっ、と吹きかける。
メロンパンに当たった瞬間、パン、と乾いた破裂音を立て膨張し、虚数空間へと放逐され、現世からは完全に消え去った。
流石の柄長もぎょっとし、目を見開いた。
「筮麽……それさ、確か昔のテロ組織リーダーの能力じゃん。そんなものまで持ってたのか」
「うん。持ってるよ。能力に罪はないから、有難く使わせて貰ってる。とは言っても、ゴミを処分する事にしか使ってないけど。他に使い道もないしね」
飄々と語る筮麽に、柄長は微笑した。
かつて日本を震撼させた武装テロ組織リーダーの男の能力が、まさかこんなライフワークの為に行使されているとは。地獄の彼も浮かばれないだろう。
「それより、やっぱり夜美奈の能力はダメだなぁ……あれからずっと、なんとか私も美味しく出来ないか改良を続けてるんだけど、そんな都合よくいかないみたい。一生お菓子食べ放題だと思ったのに。それに、効率よく糖分を摂取出来る手段が手に入れられれば、能力をまとめる面倒な作業もしなくていいのに」
筮麽が、諦観の声を漏らして項垂れる。
柄長がくすっとにやけ、
「私はちょっと安心したよ。神みたいに万能なあんたでも、思い通りに行かない事があるんだってね」
「そりゃそうだよ。……あ、そうだ。能力の共有が完成したら、このお菓子能力もあげるよ。そうしたら、柄長が私にいっぱいお菓子を作れるし」
「いや、いらんわ……あの莎我みたいに戦闘狂じゃあるまいし」
「ちぇっ」
筮麽がダメか、と不満げに口を尖らせる。
「あー、こんなに苦労したのは夏の課題ぶりだけど、こっちはいくら頑張っても花が咲かないからなぁ。私の努力が浮かばれない」
ジトっとした目を柄長に向ける。
夏のあの〈課題が終わるまでの接近禁止令〉を今だ根に持っているようだ。
「いや、あれは当然だからな? あんた、どうせ私の課題丸写しする気だったろうし、私まで教授に怒られて単位貰えなくなったらたまったもんじゃないし。……あと筮麽は、いくら何でも能力に依存しすぎだと思う」
友人からの、鋭い指摘。
「そ、そうかな? そんなに依存はしてないと思うけど……」
「どの口が言うかっ! 筮麽、一日何百個も能力無駄に使い潰してるだろうがっ」
珍しく、しつこい。いつもなら適当に流せば引き下がってくれるのだが。
能力依存性なのは、否定出来ない。
事実、模倣した無数の能力を日常的に無意味に行使し自堕落な生活をしている。とはいえ、筮麽にとっての能力という概念は、常人とは根本的に認識が違うのだから仕方がない。普通の人間にとって能力はひとりひとつ、というのが大原則であり常識なのだが、筮麽にとって能力とは、辞書で新しい単語を覚え、日常会話で使用するに等しい。
それをするな、と言われても厳しいものがある。
「あー、無駄に能力使いすぎて脳が疲れた。柄長、今から何か食べに行かない? すごいお腹減ってきた」
誤魔化すべく、目を泳がせ言った。
「……話を逸らしたな。その提案、却下。毎回奢らされてちゃ私の財布が泣くし、そもそも今、私が全然お腹減ってないし。筮麽が食べてるのを眺めるだけなのは御免こうむる」
「けち」
筮麽がむすっと頬を膨らませ、ごろんと布団に寝そべった。ぶつぶつと、念仏と間違えるような譫言の数々。
このままだと、面倒くさい。
また妙な能力でちょっかいをかけられかねない。
柄長は肩を竦め、
「あー、わかったわかった。なんか作ってあげるからさ、それで機嫌直して?」
腹を満たしてやるべく、発したその提案に、
「やった。柄長の手作りご飯、美味しいから好きなんだよね」
先程の態度は反転、明るい声を上げた。
計ったな、こいつ。
立ち上がり、冷蔵庫の前にまで移動する。
「冷蔵庫の中に食材あるから、何でも使っていいよ」
筮麽が、冷蔵庫を指さす。
冷蔵庫を開ける能力。
ぎい、と触れてもないのに、ひとりでにその扉が開かれる。半額シールの貼られた牛乳、肉類、卵、蕎麦などが収められている。筮麽は普段スーパーへの買い物は閉店間近にギリギリまで値下げされた食品を狙うため、見事に半額品ばかりだ。
「おいっ。まーた能力無駄に使って……まぁいいや、何がいい? リクエストある?」
柄長は文句を言いつつ、冷蔵庫の中を眺める。
「またオムそば作ってよ。柄長が前作ってくれたオムそばの味が忘れられなくて」
「おっけー」
「あ、材料は豚バラひとパックと、キャベツ半玉、卵五個、焼きそばは三袋全部使っちゃって。今、空腹でとにかく死にそうで」
「はいはい。相変わらずの大食女ですこと」
小言を並べつつ、材料を取り出した。
フライパンを用意する。
「あ、電気は」
「私の能力で、だろ」
「わかってるじゃん。電気能力者なんだし、電気代節約はマストでしょ」
筮麽の発言を背中で受けつつ、柄長は能力を発動させた。
パチリ、という水色の電気スパークが頭部より現れ、ガスコンロが水色の電磁フィールドに覆われると、コンセントが繋がれていないのにも関わらず、電子の脈動を受け、稼働を始める。
「柄長もなんだかんだ自分の能力使いまくってるよねー。私に小言いっておいて、自分が能力依存性だったりして」
食材を選出していると、筮麽が呟いた。ホロフォンを展開し、ニヤニヤ動画を開き適当な動画を流し始めている。
「馬鹿言うな。あくまで日常利用に留めてるよ。どっかの誰かさんと違って能力ばっかで物事解決してないの」
フライパンに油を敷いて、十分に熱されるのを待つ。
熱を感じつつ、少し思う。
もし自分が筮麽と同じ能力だったら、能力依存性に陥らないという保証はないのではないだろうか? 他の人らにとって、自分だけの特別な力も、模倣能力にかかれば、ただ選別できる、便利な道具に過ぎない。筮麽にとって、能力とはなんら特別なものではないからだ。なんでも出来る。どんな能力だろうが、等しく模倣し自分のものとして使うことが出来る。そこにはなんら特別という認識もないだろう。個人だけの能力も、才能も、全てが自分の力になる。筮麽の能力共有で、その視認コピーを貰えたら──。
(やめとくか。意味のないこと考えてもしょうがないし。それに、同じ能力貰えても燃費が悪くなって食事代が嵩みそうだし。病気にならないやつだけで十分だわ)
そんなことを考えつつも、ひとつ結論に至る。
「ま、確かに能力依存性にもなるかな」




