能力格差
十
国際信州学院大学。
鬱蒼と茂る針葉樹の隙間から差し込む秋の陽光が、静寂に包まれたキャンパスの回廊を淡く照らし出していた。
この日の午後、本来ならば熱気を帯びた学術の議論が交わされるはずの大講堂は、教鞭を執る予定であった講師が急激な体調不良に見舞われたという突然の報せにより、急遽休講の憂き目に遭う。
思わぬ形で空き時間を手にした鴨紅柄長は、特に予定も目的もなく、どうしようかと思っていたが、ちょうど自身の講義を終えたばかりの鬨波海香と合流を果たした。
二人は、秋風の吹き抜ける校舎内を当てもなくぶらつき、気怠い午後の時間潰しに興じていた。
「ああっ、ちょっと。故障してるんじゃない、これっ!」
ふと、無機質なコンクリートの曲がり角を曲がったところで、聞き覚えのある甲高い声が廊下に木霊する。
柄長が声の出所へと視線を巡らせると、そこには火位カルナの姿。その後ろでは、呆れ顔を隠そうともしない十文字奈由が腕を組み、二人は自動販売機の前に立ち尽くしていた。
「いよう」
「奇遇だね、こんなところで」
柄長と鬨波は、軽く手を上げ、立ち往生している二人に気さくな声をかける。
背後からの声に、すぐさま二人が反応を示す。
十文字が小さく肩を竦め、
「あ、海香。……と柄長? 講義あるんじゃなかったっけ?」
「いや、なんか講師が急遽休んだから休講になってね。で、どしたんよ。そんな無機物相手に喧嘩腰で」
「柄長っ! ちょうどいい! ユーの力が今こそ必要だった!」
火位が、ぐるりと柄長の方に顔を向けてでかい声を上げる。
「飲み物買おうとしてるんだけど、反応しないんだよ、これっ!」
憤慨する火位が、ハンド・ペイにて電子的な支払いを完了させようと、自販機の波紋認証装置に何度も手を翳している。しかし、無情にも液晶画面は沈黙を保ち、一切の反応を示そうとはしない。
「え、カルナ、まだ現金持ち歩いてないん?」
その光景を目の当たりにし、思わず鬨波が呆れたような声色で零した。
「らしい。だから普段から、もしもの時の為に現金くらい持ち歩けって口酸っぱく言ってるのに。キャッシュレス決済も確かに便利でいいけど、何かあった時に、こうやって馬鹿をみちゃうんだよ」
「うるさいなぁ、あたしはスマートがいいんだよ」
「なにをいうか。現に今困ってるじゃん」
「……財布持って小銭でじゃらじゃら鳴らすなんて、現代っ子の美学に反するのっ」
十文字が隣で鋭い戒めの言葉を投げかけるも、火位は唇を尖らせ、不貞腐れた態度で全く聞く耳を持たない。
「よしっ、じゃあ柄長、よろしくっ」
「あー、はいはい理解。私が必要ってそういう事ね」
柄長は、友人の魂胆を瞬時に察知した。
自らの有する、電波でテクノロジーを操る能力を行使し、この自販機の波紋認証システムの異常を物理的に直せという要求。
パチリ、と柄長の頭部に微小な水色のスパークが弾ける。
同時に、沈黙していた波紋認証装置の周囲が、淡く輝く水色の電磁オーラに包み込まれる。柄長の不可視の力覚が機械の深部へと潜り込み、断線した電子信号や軽微なバグを瞬く間に探り当てる。やはり、内部伝導回路の一部で電子信号が途絶している。
瞬時にテクノロジー操作の異能を振るい、乱れた電子の奔流を整え、見事に信号を修復せしめた。
「はいよ。これで大丈夫」
「お! 直ってる! さっすが柄長、現代の電子社会じゃ敵なしの万能能力だねぇ」
火位が、再び掌を波紋認証のパネルに翳す。
今度は小気味良い電子音と共に、機械は正常な反応を返し、決済完了のグリーンランプを点灯させた。
「ほぉー。相変わらずのチート能力だこと。便利すぎて引くわぁ」
鬨波が、半ば呆れつつも感心したように声を上げる。
火位は、そのまま意気揚々と電子決済を行い、ガコンという重たい音と共に排出された微糖の缶コーヒーを二つ、取り出し口から掴み上げた。
「ほい、これ人件費」
二つのうち、ひとつを柄長に向けてぽいっと軽く放り投げる。
柄長は、空中で弧を描いたそれをぱしっと受け取る。
「お、ありがと。気が利くね」
「あれ、カルナ。私の分は?」
十文字が、空っぽの両手を広げ、恨めしそうな顔をして友人を睨みつける。
「いやいや。奈由は何もしてないで、横であたしに小言と文句言ってただけじゃん。欲しいなら自分で買いなよ」
「ちぇっ。ケチカルナ」
あからさまに不満そうな顔をし、十文字は渋々自分の財布から小銭を投入口に入れ、漆黒のブラック缶コーヒーのボタンを力強く押した。
「海香は? なんか飲む?」
「私はいいかな。自販機の飲み物は割高だから、買わないんだ」
「ほー、こりゃ偉いこった。ブレないねぇ」
極度の節約家として知られる鬨波は、こういった定価販売の高値の自販機類には決して手をつけない。日々の飲料水は激安の大型卸売店で箱買いすると決めているし、値が張るコンビニエンスストアも極力使わないという、強固な経済理念を徹底している。
「にしてもさ、柄長」
「うん? まだなんか機械のトラブルでもある?」
手に入れた缶コーヒーをちびちびと飲みながら、火位が急に声のトーンを落として話しかけてくる。柄長も、プルタブを開けようとした手を止めた。
「うんにゃ、機械の話じゃないんだけどさ。ネットで見たんだけどさ、あの亜鳴蛇、マジでヤバすぎない? 国指能力者相手に勝っちゃうとか、理解の範疇を超えてるんですけど」
「見た見た。私、震えたよ」
「分かる。国信大ナンバーワンの実力者とは言え、まさか国家指定危険能力者に勝つとか、ヤバすぎでしょ。次元が違いすぎる」
火位の言葉に、十文字、鬨波も深く同意するように続いた。
少し前のこと。
柄長は、地雷系女子大学、通称地女大へ、亜鳴蛇筮麽と共に足を運び、その魑魅魍魎の蠢く魔境で起こった大立ち回りの出来事を友人らに話していた。
当初、筮麽がキャンパス全土を巻き込む巨大な菓子・パンデミックを起こした元凶に、激絶な能力戦の末に完全勝利したという柄長のやや冷めた発言に、三人は「それは流石に話を盛りすぎ」と笑い飛ばしていた。
だが、どうやらあの常軌を逸した戦いを、キャンパスの地上からホロフォンで撮影し、ネットに投稿した地女大の女生徒がいた。つい最近、そのセンセーショナルな映像を見つけたらしく、ようやく柄長の信じ難い発言が揺るぎない真実であると信用したらしい。
現在、ネット上では〈正体不明な謎の触手能力者vs激可愛いお菓子の国家指定危険能力者〉という煽情的なタイトルで、激しい空中戦の様子が拡散され、特にあの紫色の触手能力者が一体何者なのかと、大きな話題と議論を呼んでいる。
世間一般からしたら全くの正体不明、謎に包まれた能力者。だが、国信大に所属し彼女を知る生徒たちからすれば、あの禍々しくも美しいヴァイオレットの触手は、亜鳴蛇筮麽のもの以外に絶対に有り得ないと、映像を見た瞬間に気付いたわけだ。
「……だから言ったでしょ、筮麽があの女子生徒に圧倒して勝ったって」
最近は何でもかんでも、すぐにネットの海に放り上げる軽薄な輩が多いな、と内心で冷たく思いつつも、柄長は自身の発言が証明されたことで、少しばかり溜飲が下がった。
「はぁー、なんだよあの反則みたいなチート能力。めちゃくちゃ速く動く上に数も威力も機動力もバグってるじゃん。ほんと嫌になるなぁ、同じ人間なのに格差がひどすぎるっ」
火位が、深い絶望を孕んだため息を零した。コーヒーとミルクを分離させる能力という、極めて限定的で、実生活において一切役に立たない悲しき弱能力を抱える火位は、自身の能力に対する強烈なコンプレックスを常に抱いている。
「にしても、あそこまで強いとは思わなかった……いや、亜鳴蛇の能力が色々と異常で底なしなのは知ってるけどさ。私らが今まで知ってた亜鳴蛇の力なんて、氷山の一角に過ぎなかったんだね……」
十文字が、映像の記憶を反芻したのか、ブルリと恐怖に身震いした。
それも無理もない。国がその危険性を認める国家指定危険能力者にすら、余裕綽々で勝利してしまう筮麽の底知れぬ実力。口の中に水を出す能力という、これまた弱能力者である彼女からしたら、あの触手の乱舞はもはや、人の形をした歩く天災にしか見えないようだ。
「あんなの、もし怒らせでもしたら絶対一瞬で殺されるって……。柄長、あいつとよく一緒にいるみたいだけど、本当に気を付けなよ。流石の柄長でも、亜鳴蛇には絶対勝てないでしょ」
十文字が、真剣な眼差しで柄長に忠告した。
彼女なりに、お調子者で危なっかしい友人の身を心から心配しているらしい。
「ははは、まぁ大丈夫だって。あの筮麽が顔を真っ赤にして怒ってるところなんて、天地がひっくり返っても想像できないし。あいつなら多分、誰かに喧嘩売られても『怒るのすら面倒くさい』とか言って寝転がりそうだよ」
柄長は、友人の過剰な心配を軽く笑い飛ばして、冷たい缶コーヒーをぐびりと飲んだ。
正直なところ、常に怠惰を絵に描いたような生活を送り、ぼけーっとしているあの筮麽が、感情を露わにして激怒するところなど全く想像できない。
どんなに腹立つ暴言を吐かれようが、いつもの虚ろな目で聞き流し、一切の言葉が頭に入っていないであろう間抜けな姿が容易に想像できる。
視認コピー能力という、世界最強の能力者故の絶対的な余裕……というよりは、もはや彼女本人の生来の極度に面倒くさがりな性格が起因しているのだろう。
「ま、なんだかんだ言っても、あいつも根は無気力な平和主義者らしいから、無駄な心配することないでしょ。能力なんてのは、日常生活の些細なことだろうと、全く意味なかろうと、平和に楽しく使うのが一番ってこった。こんな風にね」
鬨波が裏拳で、何もない虚空を軽く殴りつけた。
空間を叩く能力。
パリンッ、と硝子が派手に割れるような鋭い音と共に、何もない空中に蜘蛛の巣状のヒビが入る。
廊下の蛍光灯の光がその空間の亀裂に乱反射し、まるでダイヤモンドを散りばめたように美しく、そして幻想的に輝く。
「んー、能力が便利だからって、それに頼りすぎるのもよくないと思うけどね。最近じゃ能力依存性なんていう精神的な病気もあるんだし、将来能力なしじゃまともに生活出来ないダメ人間になっても嫌でしょ」
柄長が、自身の能力の万能さを棚に上げて滔々と語るが、その言葉を聞いた火位は、絶対零度のジト目で柄長の顔をじっと見据える。
自身の能力は日常での使い時すら皆無に等しく、天と地がひっくり返っても能力依存性になどなり得ない火位からしたら、今の柄長の発言は、強者の余裕から来る贅沢極まりない嫌味そのもの。
「あっ、いや、ごめんっ。今のは完全にデリカシーなかったわ、本当にごめん、カルナ」
柄長は、火位の刺すような視線を受け、すぐに自分のノンデリ発言の重大さに気付き平謝りした。
たまに、自身の強力な能力故の無意識の驕りや慢心が、ふとした拍子に出てしまうことがあるのを、最近になって深く自覚するようになってきた。地女大で出会った莎我夜美奈が自信満々に執筆していた、あの底抜けにつまらない小説に出てくる、空気を読まない無自覚系チート主人公のように、自身の不用意な発言で他者、ましてや友人を不快にさせる訳にはいかない。
「ほら、カルナ。喧嘩しないの」
空気が不穏な緊張感に包まれる前に、十文字がまだジト目を崩さない火位の肩を軽く小突いて宥めた。
「ん、ごめごめ。柄長は普段から能力自慢とか、嫌味なマウントして来ないしさ。あたしもちょっと、能力格差に過敏になりすぎた。そんな本気で怒ってないから気にしないで」
火位も、柄長の素直な謝罪を受け入れつつ、自身の心の狭さを反省して謝罪し、いつもの明るい笑顔を見せた。彼女とて、こんな些細な言葉の綾で、友人との関係を悪くしたい訳では決してない。
「……ま、みんな平和が一番、ラブアンドピースって事だね」
鬨波が、綺麗に割れた空間のヒビを触りながら、和やかに場を締めくくった。
柄長、火位、十文字の三人は、その言葉に「それもそうだね」と深く頷き、秋の深まるキャンパスの廊下で、朗らかに笑いあった。




