マルチプルスキル症候群
「……で、お前はどうなんだ? そもそもこの奇妙な話題の言い出しっぺはお前だろう。その平和な頭脳で導き出した最強の能力とやらを、一つ聞かせてくれよ」
次は紫吳が、僅かに残ったコーヒーの香りを楽しみながら、悪戯っぽい視線を向けて問いかける。
星ヶ咲はメロンパフェを掬うスプーンを一旦置き、うーんと可愛らしく唸りながら、必死に思考の海を巡らせる素振りを見せる。やがて、何か天啓でも得たかのようにポンと手を打ち、ターコイズブルーの瞳をキラキラと輝かせて口を開く。
「あらゆる能力をコピー出来る能力かな!」
「なにぃ?」
あまりにも自信満々で大仰な発言に、普段は冷静沈着な紫吳も思わず素っ頓狂な声を張り上げる。
能力のコピー。それは旧時代の娯楽である能力バトル漫画やアニメ等において、最終局面で立ちはだかる最強格の敵役が有する陳腐にして王道の異能。
「そ、一目見たりした相手の能力を、何でもそのままそっくりコピー出来ちゃうの。集めるのに時間はかかるだろうけど、いくつも能力をストックしていけば、そのうち絶対に最強になれるんじゃないかな! さっき紫怨の考えた人を操る能力もそのままコピーしちゃえるし、何千、何万って能力を自在に扱えれば、軍隊の現代兵器も凌げる無敵の強さになると思うっ!」
親友は夢見がちな少女のように興奮気味にまくし立てるが、紫吳は即座にその非論理的な妄想を両断する。
「んな能力があってたまるかっ!」
「え? まぁ私の勝手な想像だけどさ、もしかしたらこの広い世界のどこかには、そういう凄い人がいるかもしれないよ?」
「……あのな星ヶ咲、さっきも口酸っぱく言ったけど、もし仮にそんな万能の能力があったとして、それを行使する本人の肉体的な性能が追いついてないとダメだろ……。なんせ、幾千万の能力をその場の状況に合わせて、瞬時に脳内で処理して発動しないといけねぇんだ。並のスーパーコンピュータ以上の演算能力を持つ、相当頭が良くないやつじゃねぇと使いこなせねぇだろ。てか、それ以前の問題として、脳細胞が負荷でパンクして廃人化待ったなしだ。二重属性や多重属性とは別で、複数異能症候群って先天的に複数の能力を持っちまう厄介な遺伝子疾患があるだろ? 異能ってのは、その出力の強弱や規模に一切関係なしに、ひとつとして脳のキャパにカウントされる。で、それが二つ以上脳内に並列存在すると、脳内物質の分泌異常による意識の混濁、異常な眠気、記憶力の著しい低下に人格面への悪影響、さらには常に頭をカチ割られるような頭痛……他にも様々な神経症状を引き起こす。もちろん、とてもじゃないが苦痛でまともに異能なんて使えたもんじゃない。これが三つ以上ならさらに悲惨だ。良くて重度の癲癇のような意識障害、最悪の場合は脳細胞が完全に焼き切れて廃人化するか植物状態、それか合併症とかでそのまま死んじまう。だから、こんな魔法みたいな超常の力がそこら辺に溢れ返っている異能普遍社会でも、一人の人間が複数の能力を保持するなんてのは完全な夢物語だ。人間の脆弱な有機物の体は、お前の想像みたいに都合よく出来てねぇんだよ」
聖神大学医学部にて人体の神秘と異能の因果関係を専攻する紫吳が、専門的な知見を交えて長々と現実的な指摘の弾丸を撃ち放つ。
マルチプルスキル症候群は、およそ十万人に一人程度の確率で発症するとされる、世界指定の難病中の難病。
複数異能、と聞けば無知な者にはとてつもなく魅力的な響きに感じられるが、現実は当人の脳神経に致命的な損傷と修復不能なエラーを与え続け、まともな日常生活すらままならなくしてしまうという、呪いにも等しい最悪の疾患。さらに恐ろしいことに、成長過程で後天的にもうひとつの能力が突如として目覚め、マルチプルスキル症候群へと陥ってしまう悲惨な症例も報告されている。本来ならば一生涯深い眠りについて目覚めないはずの休眠状態の能力遺伝子が、環境的要因か精神的要因か、なんらかの原因で強制的に目覚めてしまった、などと権威ある医療学会では予想されているが、発症する患者の年齢層、性別、あるいは育った環境も全くの疎らであり、現代の最高峰の医学を以てしても未だにその明確な原因と治療法は判明していない。
「おおー、さっすが医学部っ! 説明がすっごく分かりやすい! ……ってことは、私の考えた最強の能力は……」
「数個コピーした時点で、脳髄が真っ赤に焼き切れて死ぬな」
「そっかぁ、じゃあ能力コピーはダメかぁ。最強への道は険しいね」
星ヶ咲は心底残念そうに肩を落とし、パフェのメロンをつつく。
「あ、でも高校の頃の友人で、他人の能力をコピペさせる能力、ってのを持ってる少し変わったやつがいてな。本人曰く、他の人の能力をコピーして別の人間に貼り付けて、一時的に別の能力を持たせられるって能力らしいんだと」
「え、すごいっ。でも紫怨のさっきの説明だと、それは相手の脳みそ的に大丈夫なの?」
紫吳の口から出た特異な事例に、星ヶ咲が純粋な疑問符を浮かべる。
「脳の神経系に直接能力を刻み込むんじゃなくて、そいつだけが視認できる異能概念素的なもんを実体化させて、対象の体の表面に纏わせてるって仕組みらしい。この外付けの拡張能力なら、脳の処理領域に一切の負荷もかからないから、安全に複数能力を使えるって話だ。つっても、その異能概念素とやらは数分もすればすぐに空気中へ霧散しちまうらしいから、いくつも能力を永続的に持つのは物理的に無理っぽいけどな」
「あー、やっぱりそういう厳しい制約があるんだね……」
「しかも致命的なことに、肝心の能力者本人は、自分自身に対して他の人の能力を貼り付けられないっていうクソみたいな性質っぽくてさ。他人のサポートしか出来ないから、本人は自嘲気味にハズレ能力って言ってたよ」
紫吳が、かつての友人のぼやきを思い出したようにふっ、と軽く笑みを零す。
「仮にもし能力コピーなんてもんがこの世にあっても、そういう一時的かつ限定的なもんだろうなぁ。それに、そいつの能力も元が強い能力だと、情報量が多すぎて一部の欠片しか切り貼り出来なかったり、複雑な能力でも一部しかコピペ出来ないって色々厳しい欠点もあったし。んな都合の良いチート能力なんて、現実の物理法則が許容しないってこった」
「まぁそれもそっか。……あ、ちなみに紫怨はそのお友達から、どんな能力を切り貼りして貰ったの?」
星ヶ咲は、その友人の数奇な体験談にすっかり興味を惹かれたようで、目をキラキラと輝かせて身を乗り出す。
一切の身体的害のない複数能力の行使は、全人類が密かに抱く究極の夢。星ヶ咲自身も少なからずそう言った好奇心を持ち合わせており、ごく一時的とはいえ未知の複数能力の体験には強いロマンが湧き上がる。
「あー、なんだっけな。確か……視界をサーモグラフィーに変える能力だったな。赤外線カメラの映像。蛇や爬虫類から見た世界ってあんな奇妙な感じなんだなって、なかなか新鮮な体験だったぞ」
「へぇー! 面白そう! 全く別の能力かぁ、私も一回くらい使ってみたい気もするなぁ。一体どんな感覚なんだろう」
「おいおい、お前のその規格外の天候操作なんて、実質何個も強力な能力を持ってる様なもんだろ。雷撃から暴風雨、日照り、雪や雹の操作まで出来る多重属性のバケモノな分際で、何をごく普通の一般市民ぶってんだ」
「それはそうかもだけど、そういう物理的な強さの話じゃないんだよー。私じゃ絶対に逆立ちしても出来ないことを、ちょっとだけ体験してみたいって言うか。ほら、変身願望みたいな?」
星ヶ咲が、むすっと頬を膨らませて不貞腐れてみせる。
「ま、くだらない長話になっちまったけどさ。とっととその溶けかけのパフェ食っちまいな。せっかくの最高級メロンの味が台無しになっちまうぞ」
「あっ、そうだね。ねぇ紫怨、このパフェ食べ終わってお会計済ませたら、私たちもあのシャボン玉の中に入りに行こうよっ! ほら、あの人たち、まだあんなに楽しそうにやってるみたいだしっ!」
星ヶ咲が、キャンパスの芝生の上で巨大なシャボン玉のアトラクションに群がり、和気藹々と歓声を上げている生徒たちを指差しながら弾んだ声で提案する。
「……ったく、ガキかよ。仕方ねぇなあ」
紫吳は口では面倒くさそうにそうぼやきつつも、至福の表情を浮かべて甘いパフェを頬張る親友へ、春の陽だまりのように温かく優しい眼差しを向けた。




