能力戦-スカッフル- 三
重厚な防錆塗料が塗布された屋上の鉄扉を押し開け、先行した筮麽と柄長を追って伽羅部瞰、麤月輪緋羅々、西圓寺郝躬の三名が足を踏み入れた瞬間。彼女らの眼球を強打したのは、もはや日常の境位を完全に逸脱した、狂気と極彩色の乱舞する異常空間。
超高速で虚空を切り裂き、目にも止まらぬ触手同士の白刃取りならぬチャンバラが、荒れ狂う熱帯低気圧の如く屋上の中央で展開している。
莎我の周囲には、無数の色とりどりな巨大な水飴の玉が、まるで衛星や不可視の軌道に縛られた天体のように滞空。その表面からドロリとした高密度の粘体を伴って水飴の触手が無数に伸び、それぞれが独立した意思を持つタコ足の如く蠢きながら、眼前の標的たる筮麽へと殺到していく。
その暴風の渦中にあって、莎我は可憐な声音を張り上げつつ、まるでオーケストラの指揮者のように大袈裟に腕を振るって攻撃に動きを付けている。
「すごいですっ、亜鳴蛇さん! ここまでやるなんて、想像以上ですっ!」
頬を紅潮させ、純粋な歓喜に満ちた表情で叫ぶ莎我。しかし、その劇的な情動とは対照的に、迎え撃つ筮麽は完全なる無表情。直立不動の姿勢を崩すことなく、ただ少し持ち上げた左手の五指から禍々しいヴァイオレットの触手を幾筋も生やし、全方位から襲い来る無数の水飴の触手を的確に受け止め、弾き返し続けている。
ただ柔らかく甘いだけの水飴という訳ではなく、触手の先端部は極めて頑丈なキャンディの層で分厚くコーティングされているらしく、筮麽の鋭利に硬化した触手と激突する度に、ガン、キン、と金属音とも打楽器ともつかない重く鈍い音を大気に響かせている。
「うわー、早速やってんなぁ、莎我のやつ。……筮麽の方も、ほんと規格外というか」
眼前に広がる、怪獣映画の如きハチャメチャな光景に三人は一時絶句。最初に呆れ混じりの言葉を発したのは、銀髪の麤月輪。
「筮麽ぁー! 大丈夫っ!?」
次いで口を開いた伽羅部が、轟音に負けじと声を張り上げて叫んだ。筮麽は凄まじい攻防の最中であるにも関わらず、ちらりと一瞬だけ後方を振り返り、
「ん? 全然平気だよ、瞰」
「アンタ、その触手ってすごい燃費悪いんでしょー!? あんまり無茶すんなよー!?」
「大丈夫大丈夫。今日はたくさんお菓子食べてチャージしたから」
表向きの能力としている身体から触手を生やす能力のフェイク設定に合わせ、筮麽は平坦な声でそう返した。
「よそ見とは、ずいぶんな余裕ですね、亜鳴蛇さんっ!」
莎我が右腕を大きく天へ向けて振るう。
何も無い虚空から突如として新たな水飴の塊が形成され、鋭い槍の如き触手と化して猛烈な速度で伸びる。
しかし筮麽の触手は先端から瞬時に細かく枝分かれし、幾重もの防御網を展開して難なくその水飴触手を受け止めた。
「あ、みんな来たんだ。こっちこっち、危ないよ突っ立ってると」
緊迫感のない声に視線を向けると、激絶なる能力戦を繰り広げる二人から十分に距離の離れた安全圏。そこに設置されたパラソル付きのガーデンテーブルの椅子に、深く腰掛ける柄長の姿。横には備え付けの灰皿スタンド。既に柄長の手にはiQOSが握られ、この規格外の能力戦の見物がてら、優雅に一服のひとときを楽しんでいるらしい。
「柄長、喫煙者なのか。なんか意外だね。いや、地女大の喫煙率はそら恐ろしいほど高いけど。君は結構見た目が小動物みたいで可愛いからさ、そういうの吸わないタイプかと」
麤月輪が意外そうに目を丸くして言った。
小柄な柄長と紫煙の組み合わせは少しばかりミスマッチに映るらしい。
「こりゃたまらん、巻き込まれる前に避難だ避難」
西圓寺が肩をすくめて言い、早足で柄長の元へ向かう。残りの二人もそそくさとそれに続き、テーブルを囲むように椅子へ腰掛けた。
「おや、先輩方もいらっしゃったんですねっ! 良いですね、ギャラリーは大歓迎ですっ!」
莎我が観客の増加に気づき、さらに嬉しそうに叫ぶ。その隙を突き、筮麽の触手が瞬時に粘着質に変化。鞭のようにしなって莎我の身体を直接捉えようと肉薄するが、莎我は機敏な動作でそびえ立つ巨大なチュロスの柱を盾とし、その後ろへひらりと身を隠した。チュロスに激突した筮麽の触手が、甘い粉砂糖を周囲に撒き散らす。
「で、柄長。今どんな状況な訳さ?」
椅子に深く座り直し、西圓寺が柄長に尋ねる。
「なんかあの莎我って子が、<そちらの触手に私も同じ触手で対抗しましょう!>とか負けず嫌いなこと言い始めて、同じように水飴で触手作ってチャンバラしてるっぽいよ」
柄長が甘いベリー系フレーバーの水蒸気をふう、と吐き出しつつ言った。
「さすが莎我。あいつの能力もかなり万能に近いからなぁ、ほぼなんでもありだわー」
麤月輪が、呆れと感心が入り交じった息を吐く。
「大丈夫なのか? あんな質量が飛び交ってたら、最悪死人や大怪我人が出そうな気がするんだけど」
西圓寺が眉をひそめて言うが、
「いやまぁ、大事にはならないでしょ。いくら莎我が戦闘狂とはいえ、意図的に人に重傷を負わせるようなサイコパスじゃないし。能力戦と言っても、お互い殺意を持ってガチバトルする訳でもないしね」
「それもそうか」
「そもそも能力で人に危害加えるとか能力行使法的に見て立派な犯罪だから。……まぁ、学校を丸ごとお菓子まみれにした時点で法律的にも倫理的にもほぼアウトもいいとこだけど」
「無法地帯な地女大じゃなかったら、普通に警察案件どころか特殊部隊が出動するレベルのテロ行為かもね」
「ま、うちらが悩んでも仕方ないし、とりあえずタバコでも吸うか。ほれ、郝躬」
伽羅部が制服のポケットから紙巻きタバコの箱を取り出し、その下にもう片方の手を添えて差し出す。西圓寺が無言で頷き、箱の前にすっと手をかざす。
「はいよ」
ススス、と微かな摩擦音が鳴る。
フィルターの付いた一本のスティックが、未開封の箱の表面からまるで幽霊が壁をすり抜けるかのようにせり出してきた。
すとん、と。タバコのスティックだけが伽羅部の待つ手のひらに落ちる。元の箱の包装フィルムにも厚紙にも、一切の外傷や破れはない。
外殻に包まれた対象から、特定の内容物のみを抽出する西圓寺の中身を抜き取る能力の、極めてささやかで日常的な使用。
「ん、ありがと。相変わらず便利な手品みたいな能力だね」
伽羅部がライターを取り出し、カチリと小気味良い音を立ててタバコに火をつける。西圓寺も自身のタバコの箱を取り出し、同じように能力で未開封の箱から中身だけを器用に抜き取り、火をつけ深く煙を吸い込み始めた。
「あー、吸うのはいいけどこっちに煙飛ばさないでね。ここにゃ街角にあるような最新式の空気浄化ドローンなんて飛んでないんだし」
非喫煙者である麤月輪が、顔の前で手をひらひらと振って煙を遠ざける。
しばし、四人は、目の前で繰り広げられる常軌を逸した巨大触手同士のチャンバラを、まるで休日の昼下がりにテレビのバラエティ番組でも眺めるかのようにリラックスした態度で見物し続ける。
「で、あれどう思うよ、柄長」
空気を震わす、触手と触手がぶつかり合う凄絶な鈍い音をバックグラウンドに、西圓寺が紫煙を細く吐き出しながら言った。柄長は吸殻を灰皿へと捨て、二本目のスティックをセットしながら、
「んー、莎我の能力、物凄い出力だな。お菓子を実体化させる能力って本人は言ってたけどさ、要するに実体化させた物質を自在に操るタイプね。あの異常な質量、もはや単なるお菓子じゃなくて兵器だな」
「な。実体化能力の持ち主なんて、世間にはたまにいるから別に珍しくはないけど、あいつはその規模と種類の豊富さが桁違いなんだよ。一度でも食べた事のあるお菓子なら、ぽんぽん無尽蔵に出せるってわけ」
「とんでもない能力だな。私の地元の友達にも、お菓子を実体化させて動かす系の似たような能力持ってるのはいるけど、限界まで気張っても一日に飴玉ひとつ出すのが限界らしいからなぁ。スケールが根本から違うわ」
「そう、莎我の能力自体はそんな複雑な構造でもないんだよ。あれで多重属性とかじゃなくてただの単一属性だし」
麤月輪が会話に口を挟む。
「あ、そうなんだ。まぁ確かに、現象としてはただお菓子を出して動かしてるだけだな」
柄長が感心したようにぽつりと言った。
「そ。私や柄長みたいな二重属性じゃないよ。実態は食べたお菓子を具現化するってだけ。ただその出力規模がハチャメチャにデカいってだけで」
「お菓子の種類が限定されてないのが何よりのチートだよね。ほんと何でも出せるんだよ。あの威乃森が放った電撃だって、あの巨大な水飴で簡単に防いじゃったらしいし」
伽羅部がタバコの煙を空に向けて吐きながら言う。
「そりゃ勝てんわな。つーか質量攻めができる時点で強すぎだわ。水飴って絶縁体だから半端な電気も効かないだろうし、電気使いじゃそもそも相性が悪い」
威乃森を打ち負かした張本人である柄長も、客観的な分析を口にして返した。
「ほら、見なよ柄長。筮麽のやつ、あんな涼しい顔してるけど、手数の差でほぼ防戦一方だよ。いくら無表情でも、内心かなり焦ってると思う」
伽羅部が指の間にタバコを挟んだ手で、激闘を繰り広げる筮麽を指さす。
「いやいや、でもよく見てよ。亜鳴蛇のやつ、片手でしか能力使ってないよ。足も一歩も動かしてないし、まだ全然余裕があるんだ。それに、あの水飴見なよ。莎我のやつ、ただ水飴を動かすだけじゃなくて、チョコレートであの触手の表面にストライプ模様を作ったり、中にカラフルなチョコスプレーで装飾する余裕もあるらしいし。莎我の方もまだまだ本気じゃない、底知れない余裕があるんじゃないかな」
西圓寺が鋭い観察眼で両者の状態を分析し、言った。
「ま、どの道私らみたいな一般人が割って入れるレベルの戦いじゃないわ。こんな国家指定能力クラス同士のバケモノじみた戦いなんて、ついていける気がしないね」
麤月輪も肩をすくめてそう言う。
一小市民でしかない彼女たちにとって、目の前の光景は、神話の怪物同士の激突にしか思えない。
しかし、その場にいる誰よりも筮麽の真の恐ろしさを知る柄長だけは、筮麽の立ち回りを見て強烈な違和感を覚える。
(筮麽のやつ……何やってるんだ。莎我の方は創作活動のスパイスとして純粋に楽しんでそうだけど、筮麽はああいう無意味な能力戦なんて、わざわざ自分から進んで楽しむようなタイプじゃないのに)
亜鳴蛇筮麽は、文字通りこの世界で最強の能力者。
表向きは身体から触手を生やす能力という多重属性の異能を偽装しているが、これまで真の能力で無数の人からコピーし蓄積してきた莫大な数の異能による身体強化や、見た目に変化の無い不可視の能力を併用するなど、本気を出せばいくらでも瞬殺できる勝ち筋は存在する。
いくら莎我が国家指定クラスの強力な能力者だとしても、そのスケールが圧倒的に違う。
利き手の左手のみで対処しているのも、つまり単なる舐めプ。相手の力量を測るための手加減。その気になれば、瞬く間に莎我を無力化し、完全に鎮圧出来るはず。
なのにそれをあえてせず、莎我の遊びに付き合い相手をし続けている理由。それは、未だに最大の目的である莎我夜美奈の能力をコピー出来ていないからに他ならない。
柄長はこれまでの付き合いから、そう予想した。
(うーん、ダメか。どうやら、現象は単純でも能力を発動させる本質的なプロセスは結構複雑みたいだ)
筮麽は、自身に迫る脅威に対して肉体が勝手に防御行動を取る自動で反射する能力を密かに併用し、無数の水飴触手をオートマティックに防ぎつつ、脳内を高速で回転させて思った。筮麽が一切の意識を割かずとも、彼女のヴァイオレット色の触手が自動で莎我の猛攻を完璧に防いでくれるので、その余剰リソースを利用して思考を巡らすことに専念していた。
柄長の予想は見事に的中している。
筮麽の本来の予定としては、初手で即座に莎我の能力をコピーし、圧倒的な力をもって一瞬で無力化するつもりだった。しかし、戦闘が開始して数分が経過しても、未だにコピーは完了していない。筮麽の持つ最強の異能、視認した能力を行使する能力は、対象の能力発動の瞬間を視覚に収めることと、その能力の根源的な本質や作動原理を明確に理解する、という厳格な二つの条件を同時に満たさねばならない。
つまり今、物理的な暴力でこの莎我を制圧したとして、能力の<本質>を理解出来ていない以上、お菓子を無限に生み出す魅惑の能力をコピーすることは永久に叶わない。
もちろん、無理矢理に条件をクリアする強引な手段がない訳ではない。
例えば、彼女のストックにある相手の思考を読む能力。文字通りの精神感応能力だが、これは筮麽にとって万能の解決策ではない。能力に複雑な発動条件や精神的なプロセスがあろうと、長年使い慣れた当人は無意識の領域でそれを行使するため、今心を読んだところで莎我の興奮した表面的な思考しか読み取れない可能性が高い。
そもそも、他人の心の奥底まで勝手に土足で踏み込んで読むなど、筮麽の倫理観的にも大いに気が引ける。強制的に自白させる能力や、洗脳と言った禁忌の能力は、言うまでもなく使用NG。これだけのバケモノじみた力を持っていながら、筮麽の根底にあるのは、ただの平和と平穏を愛する善良な小市民の精神にすぎない。私利私欲の為に他人の能力をコピーし勝手に行使するとはいえ、相手に危害を加えてまで強制的にコピーする気は毛頭ない。
先程の柄長や西圓寺らの会話も、聴覚を高める能力と、音を聞き分ける能力を密かに発動させて盗み聞きしていた。<食べたお菓子を実体化させる>という重要な情報を追加したものの、まだ本質には程遠いらしく、コピー発動の兆候には至っていない。
こういう手詰まりの時、筮麽は決まって姉の煮麼筮を羨ましく思う。
姉である煮麼筮の保有する視認した能力を劣化行使する能力であれば、対象の能力を一度ちらりと見ただけで前述の条件は満たし、その後なんとなくフィーリングで能力を理解するだけで、あっさりとコピーが完了する。筮麽の完全再現とは違い、オリジナルより遥かに威力が落ちる劣化コピーしか出来ないという欠点はあるが、その発動条件は筮麽より遥かに緩く融通が利く。
姉のように簡単にコピーは出来ない。
ならば、最も手っ取り早く確実な方法は一つ。本人に直接訊き出せば良い。
「ねぇ、莎我。君の能力の詳しい仕組み、教えて貰えたりしないかな」
筮麽は絶え間なく続く、触手と触手が激しくぶつかり合う轟音の中、少しだけ声を張り上げて莎我に尋ねた。
「あら、私の能力の真髄を詳しく知りたいんですか?」
莎我は攻撃の手を緩めることなく、楽しげな笑みを浮かべて問い返す。
「うん。君の能力、すごく便利で面白いなと思ってさ。是非詳しく教えてくれると嬉しいな」
「いいですよ」
「お、ほんと?」
「……ただし、私に勝てたらですっ!」
莎我が悪戯っぽくそう言い放ち、さらに両手を高く掲げる。ブワッ、と大気が震え、滞空する巨大な水飴の玉がさらに増殖。そこから生え出る触手の数も倍加し、筮麽への圧力を一気に強めた。
「んー、ならそうさせてもらおうかな」
筮麽はこれ以上、戦闘を行いながらちまちまと発動条件を模索する面倒な作業を放棄し、圧倒的な力をもってこの莎我との勝負を強制終了させ、さっさと能力について聞き出すことに決めた。




