屋上へ
時刻は午後十五時。
空中の菓子群がほぼ完璧に姿を消し、狂乱の光景を求めて集まっていた野次馬やメディア陣も徐々に撤退を始め、キャンパス内にようやく一時的な静寂とパンデミックの終息が訪れ始めた頃。
「……あ、そう言えば。肝心の元凶の人って、一体どんな人か知らない? 君ら同じ地女大の生徒だし、噂くらい知ってるんじゃないの、その国家指定危険能力の子」
目の前の菓子を捕食することに夢中になりすぎて、すっかり本来の目的を忘却していた。
ふと思い出した筮麽が、歩みを止めて二人に問うた。同じ学校のこの二人なら、何か有益な情報を握っているかもしれない。
「……あー、あいつか。あの正真正銘の超絶問題児」
「知ってる知ってる。ここじゃ入学早々一年にして実力ナンバーワンの座に君臨してる、あと別の意味でも有名人だし。もちろん悪い意味ね」
二人は、先程までの楽しげな表情から一転し、露骨に苦い顔をして言った。
「お。知ってるの? どんな能力なの?」
筮麽が興味津々に目を見開く。未知の強力な異能への渇望で、声が弾んだ。
「あー、知ってるけど。どんな能力、ねぇ。でも、直接会わない方がいいぞぉ。百害あって一利なし。絶対面倒なことになる」
「そうそう、無闇に関わると本当に精神的にも肉体的にもしんどいんだよね。大体、今回のこの前代未聞のパニック起こした理由だって、信じられないくらい死ぬ程しょうもない理由なんだし。呆れて物も言えないレベル」
「お、なになに? そのしょうもない理由って」
「それはね、実は──」
伽羅部が重々しい口調で口を開こうとした、まさにその時。
「あっ、いたいた、筮麽。それと伽羅部」
目の前からの聞き慣れた声。
柄長だ。
その横には、西圓寺郝躬の姿。片手にシュークリーム。
彼女の保有する異能、中身を抜き取る能力を使っているのか、シュークリームからクリームだけを抽出して食べている。クリーム量が多いため、そのまま齧り付くと漏れてしまうからだ。
「や、瞰、緋羅々。それと亜鳴蛇も。なんかすごいね、他の生徒から噂で聞いたんだけど、君ら三人で協力して、空に浮いてたほぼ全てのお菓子を取って食べ尽くしたんだって? ダイソン・ネオも真っ青の吸引力だね」
西圓寺がシュークリームを嚥下し、感心したようにそう言った。
「まぁね、アタシら地女大が誇る大食いコンビに、かかれば、こんな空の掃除なんて朝飯前よ」
「私は国信大だけど」
「細かいことはいいんだよ。今だけ地女大の大食いコンビ」
すっかり気分を良くし、スイーツの甘味に酔いしれる伽羅部が、酔ったおやじのように筮麽の肩に腕を回している。筮麽も特に気を悪くした様子もなく、ピースサインを掲げてみせる。
「お、柄長じゃん。生きてたか」
「ん、あぁ。相変わらず食いまくってるようであの時と同じだね」
「てかめっちゃ久しぶり。初対面以来じゃん。相変わらず小動物みたいでちっさいね」
「うっせぇやい。ほっとけ。あ、で、そのとなりの銀髪の子が、郝躬が言ってた麤月輪って子?」
柄長が西圓寺に視線を向けつつそう言った。
「ほー、このサイドテールっ子が噂の柄長ね。本当にちっさい。なんだかマスコットみたいでかわいいっ」
麤月輪が珍しい生き物を見るような目をし、柄長に詰め寄る。身長百六十七センチの麤月輪とは、実に十四センチもの圧倒的差。必然的に、この五人が集った集団の中で、最も背の低い最小ユニットは柄長となる。
「ちっさい言うなっ。まぁ、よろしく」
手を差し出す。
「ふふ、長野から遠路遥々ようこそ」
握り返した。
しばし、地女大の話や、国信大というネットミーム大学で起きた爆笑トークに花を咲かせる。他愛のない五人でのそんな軽い談笑をし、互いの無事と近況を報告し合った後。
「あ、で筮麽。さっき郝躬が教えてくれたけどさ。このお菓子パニックを引き起こした元凶の女、今あの第壱校舎の屋上にいるらしいよ」
柄長がふと思い出したように、本題を切り出した。
「そうそう、どうやら屋上からキャンパスの混乱ぶりを高みの見物してるらしいの。性格悪いよねぇ」
西圓寺が呆れた顔で、最も高い校舎の上層部を指さす。見上げれば、巨大なチョコレート掛けのポッキーや、砂糖をまぶしたチュロスが、古代遺跡の柱の如く壁面に直立して張り付いているその屋上に、事の元凶は座しているらしい。
地女大の三人が「まったくあいつは」とやれやれと肩を竦める中、筮麽がスッと上を向く。
「有益な情報ありがと、柄長。……よし」
「ん、どうしたのさ、筮麽。いきなり真顔になって」
伽羅部が怪訝な顔で言う。
「ちょっと挨拶がてら会ってくるね。どんな面白い能力なのか、直接見てみたいし、あわよくばさらに菓子を頂きたい」
筮麽が前触れもなく左手を高く揚げる。その細い指先。禍々しい触手。勢いよく生やす。弾丸の如き速度。上空へと伸ばす。触手の先端。強力な吸盤状の構造へと瞬時に変化。校舎。遥か高所。壁面。ピタリと強固に貼り付けた。
「えっ、ちょっと何してんのさっ!? 会うって、アンタまさかここから直接──」
伽羅部の制止の言葉。言い終わる間もない。
筮麽。体。ぐいんと暴力的な引力によって宙へと持ち上がる。壁面に固定した触手を、極限まで一気に収縮させたのだ。
そのまま触手をしならせる。筮麽。パチンコ玉の如く恐ろしい速度で高空へと投げ出される。屋上。頂点。達した瞬間。左手の触手を引っ込める。右手。指。新たな触手を生やす。屋上。縁。ピッケル状の触手。引っ掛けた。収縮。反動を利用。軽業師のように屋上へとその姿を消した。
残された伽羅部と西圓寺が、ぽかーんとして口をあんぐりと開ける。
「嘘でしょっ!? あんなスパイダーマンみたいな移動方法も出来るのか、あいつの触手っ。フィジカル高すぎでしょ!!」
麤月輪は常識を超えた身体能力に驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げた。
「すごいな、亜鳴蛇は……。ハチャメチャというか、規格外というか。あれほんとに同じ人間か?」
西圓寺が冷や汗を流しながら、隣の柄長にそう言う。
「全く、うちの筮麽のやつめ。相変わらず己の欲望に忠実で行動が早いというか、後先考えてないというか」
彼女の糖類に対する異常な執着心と目的を知っている柄長は、心底呆れたように溜め息をつく。
「あのヤバい筮麽と、うちのヤバいあいつが屋上で直接会っちゃうのかよ……。うーわ、嫌な予感しかしないというか、キャンパスがまた菓子で溢れかえったり大惨事にならないよね?」
「どうする? うちらも追いかけようか? でも、ここから階段で屋上まで行くの死ぬ程面倒だけど。靴も履き替えないといけないし、清掃業者の邪魔になる」
伽羅部と麤月輪が現実的な問題に直面し渋っている中、柄長の凛とした声が響く。
「しょうがないなぁ。ごめんみんな、私ちょっと先に屋上へ行って、あの二人が暴走しないか様子見て来るわ」
パチッ、と空気を焦がす微小なスパーク音が鳴り響く。
柄長の華奢な体。眩い水色の稲妻の高密度なエネルギーを帯びる。
次の瞬間。彼女の体がふわり、と重力から解放されたかのように、完全に空中に浮かび上がった。
「えええっ!?」
突如として目の前で起きた完全なる物理法則の無視に、柄長を除く全員が目を剥いて驚愕した。
「な、何それっ!? 柄長、君のその現象は一体どういう原理で──」
西圓寺が混乱と驚愕をないまぜにしつつ、宙に浮く柄長に問いかけた。
「ん? あぁ、これのこと? ほら、前に郝躬に話したでしょ。強力な磁界を意図的に作り出して、擬似的な念動力が出来るようになったって」
「言ってたね、確かに。あの日は強盗の事件に巻き込まれたし、鮮明に覚えてるよ」
「そそ。ギウヤホね。銃で撃たれたでしょ」
「うん。でも、あれはあくまで磁界バリアとか、金属や物体を動かす力じゃ……」
「で、あの後、ふと思ったのね。この膨大な磁場エネルギーを自分自身に向けたら、私自身を自由に浮かせられないかなって思ってね。で、試したら思いのほかすんなり出来たって訳」
柄長は、まるで新しい自転車に乗れるようになった子供のような無邪気さで、事もなく言う。
そう、柄長は自身の電気能力の方をを極限まで応用し、自身の周囲の空間に数テスラから数十テスラに及ぶ超高密度の強磁場空間を任意に形成。人体を構成する水分子や有機化合物が有する微弱な反磁性を強制的に励起させ、地球の重力に対抗する強大な磁気反発力、すなわち斥力を発生させることで、完全なる空中浮遊すら可能としていたのだ。
本来、反磁性によって人体ほどの質量を浮上させるには、巨大な超伝導電磁石を用いた常軌を逸した莫大な磁場エネルギーの形成が必要不可欠となる。しかし、柄長の保有する圧倒的かつ無尽蔵な異能出力と、ナノ単位でのローレンツ力の精密なベクトル制御にかかれば、己の肉体を空中に留め置くことなど、呼吸をするのと同じくらい容易な離れ業であったらしい。
「す、すげぇー……。理屈はよく分かんないけど、んなこと、こっちの電気使いナンバーワンの威乃森でも多分できないぞ……。電波でテクノロジーを操る能力って聞いた時点で、なんか汎用性高くてチートすぎじゃね? って思ったけど、柄長ってもしかして純粋な戦闘力でも威乃森より強いんじゃ……?」
麤月輪も心底驚いた顔をする。空中に浮かぶ柄長をじっと見据えた。
「へ、へぇ~。高出力の電気使いとは郝躬から聞いて知ってたけど、まさか空飛ぶやつは初めて見た……。あれか、電磁浮遊ってやつ?」
「正確に言えば、反磁性浮遊ってやつだけどね。強磁場で……つっても分かんないか。ま、細かい理屈は置いといて、とりま屋上行ってくるから。お先っ」
柄長がひらひらと手を振ってそう言うと、彼女の身体は水色の残光を引きながらどんどんと鉛直方向へと浮上し、あっという間に屋上へとその姿を消していった。
地上に取り残され、あまりの異能現象の連続にぽかんとする三人。
「なんか、すごいね……。さっきの筮麽の常識外れの能力もめちゃくちゃだったけど、柄長の能力も、同じくらい……いや、それ以上に凄かったりする……?」
伽羅部が、恐る恐る言った。
「あー、実は、噴水の近くで威乃森と柄長が能力戦になってさ。マジで凄かったというか、ドン引きするくらい柄長の圧倒的な圧勝でさ。昼頃、めちゃくちゃでかい落雷みたいな雷音があったじゃん? 二発目のやつね。あれ、威乃森じゃなくて、柄長が放ったやつなんだよね」
西圓寺が、思い出すだけでも恐ろしいとばかりに、冷や汗混じりに真実を吐露する。
「………マジかよ。あのほぼ無敗の威乃森を瞬殺って。あの二人、どっちも国家指定クラスじゃないか……? とんだバケモンがお菓子に引き寄せられたもんだね」
麤月輪も、規格外の女の連れもまた規格外とは思っていなかったようで、驚愕と戦慄が隠せないようだ。
「ねぇ、今からあの屋上で、触手と、雷撃と、そしてあの問題児の能力が入り乱れて、地女大を巻き込む大戦争になったりしないかな……?」
麤月輪が、半分本気、半分冗談混じりに不吉な予言を口にする。だが、伽羅部が笑い首を振って、
「ま、まぁ、あの柄長と筮麽の二人は、うちのあいつみたいに、こんなキャンパスを砂糖漬けにするような馬鹿みたいな真似を率先してやる人種じゃないから。柄長は常識人っぽいしそんな事しないと思う」
「いや、あの筮麽は? 瞰、君あれからそれなりに付き合いあるし、何するか予想できそうじゃない?」
西圓寺が苦い顔で言った。
「筮麽は……た、多分、そこは理性的に話し合いで解決してくれるから大丈夫っしょ……。うん、きっと大丈夫」
「大丈夫とは思えねぇ」
麤月輪が不安を顕にした。
三人は、不吉な暗雲が立ち込める屋上を、ただ祈るような気持ちで見上げた。
伽羅部が長身を翻す。
「とりあえずアタシらも追いかけよう」




