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オール・ギフテッド  作者: パラデミコプス
第一部 第三章 強能力

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その女は

 人波という名の不規則な海流へ身を投じ、一定の距離を周到に保ちつつ、紺桔梗色の長髪を揺らす女の背を追跡した。

 群衆の海に紛れようとも、苑奈の瞳を覆う丸メガネの機能、すなわちオーラ・ヴィジュアライザーのレンズ越しには、天を衝くような薄紫の巨大なオーラが明確な座標を示し続けている。見失う道理など微塵も存在しない。

 周囲の雑多な歩行者たちへと視線を巡らせれば、彼らもまた、前を行く長身の女へとちらほらと探るような視線を投げかけていた。だが、彼らが眼球を動かす理由は、天才学者たる苑奈のそれとは決定的に次元が異なるものと推測される。

 女性としては規格外とも言える圧倒的な長身。それのみならず、先程すれ違いざまにちらりと横顔を盗み見ただけでも明確に理解できるほど、その目鼻立ちは神仏の精緻な細工を思わせるほどに整い切っていた。あのような規格外の長身美女が白昼堂々と闊歩していれば、凡俗な群衆が本能的に首を巡らせ、一瞥をくれてしまうのも道理というもの。

 自身の絶対的な美貌と、神が定規を引いて設計したかのような完璧なプロポーションに対し、宗教的なまでの自信を抱く苑奈アゲハ。彼女の胸の奥底で、同性に対する仄かな対抗心と嫉妬の炎が小さく熾ったのは事実。とはいえ、今の彼女の最優先事項は己の美を誇示することではなく、対象の能力の全容を解明するという底無しの知的好奇心を満たすことにある。

 しばらく大通りを歩き続けるうち、喧騒は次第に遠退き、周囲の人波は嘘のように引き潮を迎えた。

 周囲の気配がすっかりと途絶え、静寂が支配し始めた頃。女はコンクリートのジャングルにぽつりと取り残されたような、鬱蒼たる緑が群生する区画へと足を踏み入れた。元は都市開発から保護された樹木地帯をそのまま利用した、広大な森公園。広大な敷地面積を誇る割には、これといった遊具も施設も存在しない、ただ木々が立ち並ぶだけの空虚な空間。

 苑奈もまた、足音を極力忍ばせつつ公園の敷地内へと潜入し、木立の影を利用しながらしばらく女の背後を追跡し続けた。周囲の視界は完全に幾重もの木々に遮られ、苑奈の眼球に映る動く対象は、前方を行く紺桔梗髪の女ただ一人のみとなった。

 太い樹木の幹の裏側へと女の姿が隠れる。

 その長身が視界から完全に消失した。

 まさにその瞬間。

 苑奈のレンズに映り続けていた、あの天を衝くほどに巨大な薄紫のオーラまでもが、まるで朝靄が太陽に焼かれるように、前触れもなく完全に霧散した。

(なに……?)

 思考が氷結する。姿形はおろか、生命の根源たるオーラまでもが一瞬にして消え失せるなど、あり得ない。

 もしや、空間そのものを跳躍する、瞬間移動の類いのような能力の持ち主か。

 苑奈は慌てて木立の影から飛び出した。

 土を蹴って駆け出した。

 周囲を激しく見回す。

 索敵に努める。

 だが、どれだけ視線を走らせようとも、あの規格外の長身の姿は公園の何処にも存在しない。

「何か用ですか」

 唐突に、自身の真後ろ。

 それも、頭上という異常な高い位置から、女の声が降ってきた。

 ばっ、と弾かれたように背後へと振り向いた。

「なっ……」

 視線を向けた途端、レンズ越しに再びあの濃密で毒々しい薄紫のオーラが爆発的に可視化され、苑奈の全身を津波のように呑み込んだ。そして、そこには音もなく背後を取っていた女の姿。

 百七十五センチメートルという女性としては十分に恵まれた身長を誇る苑奈でさえ、大きく首を上へと向けねばならないほどの圧倒的な威圧感。優に二メートル近くはあろうかという、規格外の長身がそこに見下ろすように立っている。

 間近で見上げるその顔立ちは、やはり先程の直感通り、ルネサンス期の巨匠が大理石から彫り出したかのような凄絶な美形。ゆったりとしたルーズなスウェット生地越しであっても、重力に抗うように隆起した豊満な胸の存在感は隠しきれていない。

 自身の美貌や肉体美において右に出る者はいないと自負していた苑奈は、図らずも強烈な対抗心を刺激された。だが、現在の切迫した状況は、そんな見当違いの嫉妬心を燃やしている場合ではない。

 眼前を覆い尽くす薄紫のオーラの圧迫感に精神的な落ち着きを奪われそうになった苑奈は、丸メガネのテンプルへ指を這わせ、スイッチを物理的にオフへと切り替えた。

「さっきからずっと、私の後ろを着いてきてましたよね。一体、なぜそんな真似を」

 感情の起伏を一切感じさせない。

 平坦で冷ややかな声色。

「い、いや……それはだな」

 世界最高峰の頭脳を誇る大天才の口が、情けなくも吃音を漏らす。

 女の視線。深淵を覗き込むかのような、冷たいヴァイオレットの瞳が、獲物を値踏みする捕食者のごとく苑奈を射抜いて警戒の光を放っている。

「君の背が、あまりにも高かったもので……物珍しさというか、つい興味を惹かれてな」

「それだけの理由で、わざわざこんな人目のない所まで、長距離に渡って尾行しますかね」

「う」

 我ながら、あまりにも杜撰で幼稚な言い訳。

 己の知性の欠如に絶望し、苑奈は口ごもった。

 これではまるで、欲望のままに女性の後をつけ回す、悪質なストーカーに対する尋問そのもの。

 女は言葉を発することなく、疑念に満ちた瞳で苑奈の全身をじっと見据え続けている。

 不測の事態に備え、苑奈は密かに物質をナノテクノロジーに変換する能力を励起させ、肩に掛けたナノテク製の黒いバッグの内部構造を無意識に変形させ始めていた。いざとなれば、ジャミング・ストロボを即座に取り出し、起動できる体勢を整える。

 極度の緊張感。二人の間の空間を張り詰めさせた、その時。

「んん? ちょっと待って。あんたの顔、どこかで見覚えがあるような……?」

 女が突如として警戒の眼差しを解き、不思議そうに小首を傾げた。

「あっ! 思い出したっ! あなた、苑奈アゲハでしょっ! あの帝都幻創神統大学をブッチギリの首席で卒業したっていう、超有名な天才科学者の!」

 先程までの氷のような冷酷な声色はどこへやら、表情は花が綻ぶように明るく、ひどく親しげなものへと急変した。

「え? あ、あぁ……そうだが。私のことをよく知っているな」

 あまりの態度の落差に、苑奈は完全にたじろいだ。

 思わず一歩、後ずさる。

 自身が数多の特許を持ち、メディアにも度々取り上げられる有名人という自覚は十分にあるし、街角で素性を当てられた程度で驚きはしない。

 苑奈を困惑させたのは、目の前に立つ、規格外の危険な異能を隠し持っているであろう正体不明の怪物が、まるで助手の星ヶ咲のように屈託のない、人懐っこい表情へと変貌を遂げたという事実。

「へぇ~、すんごいな、本物だっ。まさかこんな所で、あのドクター・苑奈アゲハにお目に掛かれるなんてっ」

「は、ははは……そりゃあ光栄なことだ」

 女の底抜けに明るい、ミーハーな声色に、張り詰めていた気が急激に抜けていく。

「美人ですね~。ネットの画像や映像で見たことはあるけど、実物は段違いだわー。お肌もすっごい綺麗だし」

 長身を少し屈め、ジロジロと遠慮のない視線で苑奈の顔を見て、阿るような声。

「私、大学時代は能力研究サークルに所属してたんですよ。その当時は、すごいなぁー、天才だなぁーって感心して、あなたの書いた難解な論文とか、実験映像のアーカイブをよく拝見してました」

「そうなのか。ならば君も、その研究の道へ進んだのか?」

「いいえ、あくまでサークル活動の一環でして。卒業後は全然違う職に着いちゃいましたけどね」

 女は明るく軽快な口調のまま、視線を苑奈の胸元へと移した。

「もしかして、今着ているその漆黒の服も、あなたの能力で編み上げてあるんです?」

 興味津々といった様子で、苑奈が羽織るコートの奥、扇情的なラインを描くナノテク製のシャツを眺めてくる。

「あ、あぁ。私の能力で構築した、ナノテク製の服だが」

「すんごい便利ですよねぇ。自分の体から、自在にナノテクの金属アームとかも生やせるんですよね? ネットの実験動画で見ましたよ。背中から何本もメタリックなアームが生えてて、精密作業をこなしてるの、すっごいカッコよかったです」

 純粋な尊敬の念を込めた、女の屈託のない笑み。

「えーと、で、どうしてそんな凄いドクター・苑奈さんが、しがない私をずっと尾行なんてしたんです? 確かに私、見ての通り背は高いですけど、それだけでこんな長距離追いかけ回したりしませんよね。私、なんか失礼なことでもしましたかね」

 突如として、鋭利な刃物のような本題が切り出された。苑奈は顔を引き攣らせる。

「いや……実はだな」

 規格外のオーラを放っていたから探りを入れたのだなどと、馬鹿正直に吐露する訳にもいかない。かと言って、君の完璧な容姿に見蕩れたのでつい追いかけてしまいましたなどという、取ってつけたような言い訳を展開する訳にもいかない。同性と言えど、初対面の相手にそのような妄言を吐けば、薄気味悪い変質者として通報されかねない。

 ここは、高名な能力研究者という立場を最大限に利用し、それらしく学術的な理由で誤魔化し切るしかない。

「最近だな、人間の性別ごとに、身長の高低によって保有する異能の出力や性質に差は生じるのかという統計調査を行っていたんだ」

「身長別、ですか?」

「あぁ」

 もちろん、息をするように吐き出した完全な嘘。

 だが、苑奈は、この苦し紛れの嘘を最後まで涼しい顔で突き通すことにした。

「だが、女性のサンプルとなると、百七十はおろか、百八十センチメートルすら超える被検体は滅多に存在しない。百九十超えとなると、もはや統計上皆無に等しい。そんな難航していた研究の最中、偶然にも街角で君ほど見事な長身の女性を発見してね。だから、一体どのような特殊な能力を保有しているのか純粋な学術的興味が湧き上がり、つい後を追ってしまったというわけさ」

「なるほどー、そういう深い理由があったんですね」

「そういうことだ。不快な尾行をしてしまったことは、素直に謝罪しよう。すまなかったな、君の醸し出す威圧感ゆえに、却々正面から話しかけづらくてね」

「あー、まぁそうですよねぇ。昔から初対面の人には威圧感があるって、よく言われてますから」

 にまーっ、と。女は人懐っこい笑みを深めた。どうやら、機転の利いた言い訳は上手く相手を騙しおおせたようだ。

「いやぁー、これで追いかけてきたのが気味の悪い男だったら、全力で振り切って逃げてる所でしたけど。女性の気配だったので、一体何事かと思いましたよ。だから、直接顔を見て目的を確かめようと、わざとこんな人目のない公園まで誘導して来たというか」

 尾行などとうに見破られていた。

「すまんすまん。大人げない真似をしたな」

「それで」

「ん?」

「身長別の調査でしたっけ? 私、百九十八センチもあるんですよ。あとたった二センチあれば大台の二メートルだったのに、なんとも中途半端で止まったもので」

「随分と大きいな。私も女性の中では長身の部類に属していると自負していたが、世界は広いな。上には上がいるのか」

 ようやく張り詰めていた緊張の糸がほぐれる。

 いつもの理知的で傲慢さを含んだ冷静な口調を取り戻した。

 数秒の沈黙を意図的に置き、相手の反応を伺う。

「……それで、君の有する能力についてだが」

 核心たる本題へと言葉を滑らせた。

 長身を見上げる。

「もちろん、異能の詳細は極めて個人的な機密情報だ。悪用するつもりなど毛頭ないし、無理に聞き出すつもりもない。答えたくないのであれば、黙秘してくれて一向に構わんよ」

 現代社会において、自身の能力の全容を明かすことは、最大のプライバシーを曝け出すことに等しい。警戒心を解いたばかりの今、強引に真実を引き出すような愚策は取らない。

 女の表情。先程までの太陽のように明るい表情が、ほんの一瞬だけ、微かに曇りを帯びた。

 その極めて繊細な感情の揺らぎを、苑奈アゲハの観察眼は見逃さない。

 女の顔はまるで精巧な仮面を付け替えるように、瞬時に元の明るい表情へと戻った。

「あー、なんだか天才博士を前にして、ひどくハードルが上がっちゃってますけど……私の能力なんて、本当に大したことない、ありふれたものですよ」

「構わんよ。あらゆる能力に、優劣など存在しない」

「では、お見せしますね」

 女が、長い右腕をスッと前に出し、人差し指と中指をピタリと揃えて見せた。

 ぽっ、と。

 指先の先端から、極小の赤い火種が生み出された。

 まるで誕生日のろうそくの火のように、春風に吹かれてゆらゆらと頼りなく揺らめいている。

「指からちっさい火が出る能力ですねー。こうやって二本の指をピシッと揃えると、百円ライターくらいの火力が出るんですよ。タバコに火をつける時くらいしか役に立たない、ポンコツ能力です」

「……なるほど。発火系の異能か」

「はい」

「それだけかね」

「そうですね、単一属性なんで、他のことはできないです」

「なるほどな」

「ま、私はこれで満足していますが」

 女が指を離して火を消し、てへへと照れ隠しのように笑った。

 嘘だ。即座にその陳腐な虚偽を見破った。

 先程、太い樹木の裏でまるで瞬間移動のように完璧に姿を消した不可解な現象。そして何より、あの天空を焦がすほどの規格外な薄紫のオーラ。こんな百円ライター程度のちんけな能力が、あれほどの莫大な精神波動を放つはずがない。絶対に。

「いやー、なんかしょぼい能力で申し訳ないですねぇ。天下の苑奈博士も、さぞかし拍子抜けしましたよね」

「いやいや。貴重なサンプルデータを教えてくれただけでも、研究者として深く感謝する。大いに助かるよ」

 内心の疑念を隠蔽し、軽く笑い平静を装って返答した。

 この女が致命的な嘘をついているのはもはや確実だが、これ以上無理に追求して相手を刺激する訳にもいかない。

「この身長別の調査、いつか正式な論文として学会に出すんですか?」

 女からの、無邪気な問いかけ。

「いや、発表の時期は未定だ。なにせ、極端な長身女性の情報収集が困難を極めていてね。十分なデータが集まらなければ、到底論文として世に出せるレベルには至らない。お蔵入りになる可能性も高い、微妙なところだ」

 もちろん、そのような無為な研究は一切行っていないため、適当な理屈を並べて煙に巻く。

 そうですか、と女が一息おいて、

「あっ、申し遅れました。私、普段はこんな者です。ディスコでしがないバーテンダーをやってまして」

 衣服のポケットから一枚のカードを取り出し、苑奈へと差し出した。指先。受け取る。

 意匠の凝らされた名刺。

 名前と職場の店舗名がはっきりと表記されている。

 職場は<ジュリアナ東京改>。百五十年以上前の旧時代たる二十世紀のバブル期に存在したという伝説のディスコ<ジュリアナ東京>。人々の異能の開花により世界経済が再び爆発的な上昇を迎え、かつての狂乱と繁栄の復興を強く希望する者たちの手によって、異能黎明期に東京のど真ん中へ華々しく再築されたという、有名な巨大娯楽施設。

 しかし、苑奈の注意を惹いたのは店舗名よりも、その下に印字された人物名の方。極めて難解な、当て字のような漢字の羅列で表記されている。

「ええと、君の名前だが──」

「あぁ、初見じゃ絶対に読めないですよねぇ。アナタです。アナタ・ニマゼと申します」

「アナタニマゼ……」

 視線を再び名刺の文字列へと落とす。

 亜鳴蛇煮麼筮。

 前半の苗字の読みは字面から何となく推測できたが、後半の名前の読みまでは、流石の天才頭脳をもってしても初見で看破することは叶わなかった。

「あっ、いけない。もうこんな時間。すみません、私、この後ちょっと野暮用がありまして……」

 亜鳴蛇煮麼筮は、思い出したかのように告げた。

「いや、勝手な都合で、わざわざ貴重な時間を食わせたのは私の方だ。こちらこそ、不躾な真似をしてすまなかったな」

 苑奈も、大人としての礼儀を以て素直に謝罪の言葉を紡いだ。

「では、私はこれで失礼します。よかったらうちのバー、遊びに来てくださいね。美味しいお酒、たくさん揃えて待ってますよ」

「あぁ、機会と暇があったら、寄らせてもらおう」

 煮麼筮はにまっと口角を上げ、人懐っこい笑みを残したまま、踵を返して公園の出口へと向かって歩み去っていく。

 苑奈は、木々の間を縫うようにして遠ざかるその長身の背中をじっと見つめながら。

 丸メガネのテンプルへ指を伸ばし、再びスイッチを静かにオンへと切り替えた。

(なんだと……?)

 レンズの奥、苑奈の瞳が驚愕に見開かれる。

 先程まで天空を覆い尽くしていたあの暴力的なまでの巨大な薄紫のオーラが。今はまるで、本当にちっぽけな火種を操るだけの微弱な能力者のそれと同等レベルの、取るに足らない極小のオーラへと完全に変貌を遂げていた。

 何か、特殊な偽装工作を施したのだ。

 ただ指から小さな火を出すだけの、単純な発火能力であるはずがない。二重属性なのか、精神波動の出力そのものを自在に操作し、隠蔽する術を持っている。あるいは、多重属性か。とにかく、もっと底知れない、異質で強大な力。それは間違いのない事実。

 煮麼筮の姿が公園の木立の奥へと完全に消え去り、視界から僅かなオーラの残滓までもが完全に消失した。

 どっと、苑奈の肩から重い力が抜け落ちる。

 肺の底に溜まっていた熱い空気を、大きなため息と共に外界へと吐き出した。

「亜鳴蛇煮麼筮、か……」

 天才科学者の呟き。

 誰の耳に届くこともない。

 静寂の森公園へと虚しく吸い込まれていく。

「何者なんだ、あの女は」

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