強盗に遭遇-前編-
そんな有意義なる就活談義を終え、旺盛な食欲を満たした充足感が肉体を支配し始めた頃合い。
「動くんじゃねぇぞてめぇらっ!」
突如として、平穏なギウヤホの店内空間を切り裂くように、鼓膜を震わせる粗暴な怒号が響き渡った。
ざわざわ、と波紋が広がるように店内がどよめきに包まれる。
「えっ、なに!?」
西圓寺。
驚愕に目を見開く。
きょろきょろと周囲の状況を把握すべく視線を巡らせる。
柄長も同じく、音源の方角へと首を巡らせた。
数メートル離れた区画のテーブル席。そこには、周囲の視線を一身に集める二人組の男の姿。
ひとりは土足のまま座席の上に仁王立ちとなり、店内全体を威圧するような極めて目立つ姿勢を誇示している。
「ご、強盗だぁっ!」
恐怖に引き攣った客の悲鳴が空気を切り裂く。その男の右手。無骨で黒鈍い光を放つ、殺傷能力を持った確かな銃器が握られていた。
どよどよ、と店内を満たす客たちの間に、逃れようのない恐怖と動揺が瞬く間に伝播していく。
二人の男は銃口を向けた腕を店内全体を舐め回すように旋回させ。
「俺は人の動きを察知する能力だっ! 誰かひとりでも変な動きしやがったら、てめぇら全員ぶち殺してやるからなっ!」
もう片方の男が、血走った眼で咆哮を上げた。
一気に空気が張り詰め、これは洒落にならない事態なのではないかという絶望的な雰囲気が蔓延し、他の客たちも息を潜めて押し黙り、一切の身体的挙動を停止させる。全人類が何かしらの特異性質を宿す社会と化した現代。その恩恵に胡坐をかいた怠惰な性格の持ち主も多く、日常的にこのような小規模の強盗事件や騒乱が発生したとしても、大抵の場合は<またなんかやってるよ>という弛緩した空気に支配されることが多い。しかし、生命を容易く刈り取る実物の銃器が眼前に提示されているとなれば、話は全く別次元へと移行する。
「け、警察をっ……!」
勇敢にも、ひとりの店員が震える指先でホロフォンを起動し、外部への連絡を試みようとするも。
ドガン、という耳を劈く爆音が店内に木霊した。
座席に乗り上がっていた男が、威嚇のために天井へ向けて容赦なく拳銃を放った結果。外観はどこにでも存在する一般的なオートマチックピストルに見受けられるが、その発砲音はまるで規格外の破壊力を持つ大口径拳銃、デザートイーグルが如し重低音を響かせていた。
「ひっ!?」
その圧倒的な暴力の音色に、店員は魂を抜かれたように怯え、動作を完全に静止させる。
「おれは物質の質量を倍にする能力だっ! ただの安物の銃と思うんじゃねぇぞ。次、妙な動きをしたら、その脳天ぶちまけてやるからなっ!」
男が重々しい音を立てて床に降り立つ。
「ほら。店員。黙ってレジの金、全部袋に詰めな? そうしてくれたら、痛いようにはしないからさ」
もうひとりの男が、不気味な笑みを浮かべながら店員へと詰め寄ろうと歩を進めた。
「え……柄長、ご、強盗だよ……。これガチでやばいんじゃ……?」
西圓寺が硬直した首を僅かに動かして向き直り、額に冷や汗を滲ませながら、極限まで押し殺した小声で柄長に問うた。帝都東京の中でもとりわけ治安の悪化が著しい地帯──新歌舞伎町等に足を踏み入れれば、このような粗暴な輩を見掛ける頻度は決して低くないが、実際に自らの生命を脅かされる現場に巻き込まれるとなると、その恐怖は計り知れない。
しかし、柄長。彼女は手元のグラスに注がれた水を、至極呑気な様子で喉へと流し込んでいる。
「はぁー、都会は物騒なこった」
その表情。
一切の慌てや恐怖の感情が読み取れない、見事なまでの無表情。自身の故郷である長野という長閑な田舎と比較して、帝都は随分と物騒な場所であるという、心底どうでもよさそうなそのままの感想を口にした。
「柄長っ! き、君、なんでそんなに平然としてんのさっ」
信じられないものを見る目で、再び小声で問い詰める。
「え? あー、まぁ……この異能社会ではよくある事というか……?」
柄長は少しばかり言葉を濁し、視線を泳がせる。真実として、普段からあらゆる異能を制限なく模倣し自在に操るという世界最強の能力者、亜鳴蛇筮麽の常軌を逸した所業を日常的に見慣れているせいで、無意識の深層において精神的防壁が強固に鍛え上げられたのか、よほどの危機でも訪れない限り、彼女の感情が激しく動揺することはなくなってしまっていた。
(筮麽なら、あいつらの能力なんてどっちも既に保持してるから<要らない>って一蹴するだろうなぁ……。あいつ、ただでさえエネルギーの消費効率を抑えるためとか言って、同系統の能力を一つに統合して桁違いの化け物じみた力を手に入れてるんだし……いや、案外暇潰し感覚でなんとなくコピーするんかね?)
張り詰めた非常事態の中にあって、彼女の脳細胞は友人の奇行についての推論を巡らせている程度に余裕を保っている。
だとしても、目の前で進行している凶悪な犯罪事象を、ただ黙って傍観するつもりは毛頭なかった。
(警察に通報くらいしとくか)
自らを正義の味方や街の自衛団気取りと勘違いしているわけでは決してない。自らの危険を顧みず身を挺して強盗の行動を実力で阻止するような、蛮勇という名の馬鹿げた真似はしない。
柄長は、体外に可視化されるスパークが一切発生しないほど、極めて微弱な出力で自身の能力を励起させた。生来の金色の瞳が、淡く神秘的な水色へと変色して輝きを放つ。能力を発動した明確な合図。
テクノロジー操作の有効射程距離は、現在自身の肉体を中心とした半径四百メートルという広大な領域に達している。この広々としたギウヤホの店内構造物や配置された電子機器など、彼女の知覚網にかかれば赤子の手をひねるより容易く掌握可能。店内奥に設置されているであろう事務所のサーバーを脳内で詮索。即座に発見に至る。
所持しているホロフォンは、起動した瞬間に空中に目立つホログラム映像を投影してしまう仕様であるため、強盗らの視界の死角となる店内奥の端末を遠隔操作で乗っ取り、一方的に警察機関である百十番へと緊急事態を知らせる無音の電子文書を送信しようという算段。
そう、せめて、自身の能力で現状打破に貢献できる最小限の行動は起こしておこう、と冷静に踏んだ。
結果的に所有者の許可なく店舗の電子機器を不正に操作することにはなるが、人命に関わる緊急事態ゆえ、そこは後程寛大な心で勘弁してもらいたい。そして、自らの手をテーブルの下に隠してこっそりと通報しないのは、通報の第一発見者として面倒な事情聴取や現場検証に巻き込まれたくないという、小市民特有の極めて自分勝手な理由に基づく行動選択だが……。
しかし。
「はい、そこぉっ! 妙な動きするんじゃねぇっ!」
先程の、人の動きを察知する能力を誇示した強盗が、突如として柄長の方角へと鋭く振り向いた。
「げっ」
どうやら、その能力の知覚対象は、単なる物理的な肉体の動きのみならず、異能を発動する際の不可視のエネルギーの流動にまで適応されるという、存外に厄介な代物らしい。
「あぁ? いい度胸してるじゃねぇか。大人しくしてろって言ったのが聞こえなかったか?」
男が靴音を荒々しく鳴らし、ずかずかとこちらのテーブルへと距離を詰めてくる。
「や、やばいやばいっ! 柄長っ、何してんのさっ!」
西圓寺は全身を硬直させつつ、引き攣った小声で必死に焦燥を伝える。
「お前かぁ? 水色髪のガキ」
男が容赦なく冷酷な銃口を柄長の眉間へと向ける。柄長。しかし、その態度は依然として少しも乱れていない。
「言っとくが脅しじゃねぇぞ。本気でぶち殺──」
男が殺意を込めて銃の引き金に指を掛け、力を込めようとする。だが。突如として、彼の手にある黒鋼の銃器が、目にも留まらぬ速度で発生した水色の電磁波の渦に包み込まれた。微動だにしない。
「あぁ? ん、んだこりゃぁ……」
男は力任せに引き金を引こうと手首に筋を浮かべる。しかし何故か、物理的に強固な安全装置が作動したかのように、全く稼働する気配を見せない。西圓寺が恐る恐る、隣で平然としている柄長の横顔を見つめる。
「悪いね、ここで理不尽に殺されるのはご免なんだ」
「なっ……!?」
柄長が冷徹に告げた瞬間。バラバラ、と男の手の中で、精密な金属部品の塊であったはずの銃が、無惨にも解体され、床へと降り注いでいく。
電波でテクノロジーを操る能力。
彼女が最近の暇潰しの中で会得した、電磁力によって人為的に作り出した強固な磁界による、擬似念動力を発動させるという荒業。これにより、単なる電子回路の技術的制約を超越し、こうして物理的な質量を持つ物体を分子レベルで分解・干渉することすら容易に可能となる領域へと到達していた。
「お、おいっ! そっちで一体何が起きてんだっ!?」
異変を察知したもうひとりの強盗が鋭い声を上げ、威嚇の姿勢を取りながらこちらへと接近してくる。
「あー、仕方がないな。こっちもやるか」
「なっ……てめぇ、得体の知れない事をしてるなっ!?」
柄長は再び微弱な能力の波長を放ち、もう一方の男が所持する銃器も同様に分解しようと試みる。だが。ドカン、と再び空気を引き裂くような発砲音。タイミングが悪いことに、物理的な分解が完了する僅かコンマ数秒の直前で、衝動に駆られた男によって引き金が引かれてしまった。物質の質量を倍にする能力によって運動エネルギーを飛躍的に増大させられた、凶悪な質量倍の弾丸が回転しながら打ち出された。人体に直撃すれば、間違いなく致命傷に至る必殺の一撃。
しん、とギウヤホの店内空間が氷点下まで凍りつく。強盗殺人という最悪の結末。西圓寺は全身を小刻みに震わせつつ、凶弾が向かった柄長の方を絶望の目で見やる。




