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オール・ギフテッド  作者: Paracoccidioidomicosisproctitiss
第一部 第二章 夏休み

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筮麽と煮麼筮

          七


 帝都、東京。

 真夏。昼下がり。

 天頂に鎮座する太陽。

 容赦のない凶悪な白光を地表へと叩きつける。

 凄絶なる熱波が蜃気楼を生み出し、焦熱の舗装路(アスファルト)が歩く人々の体力を無慈悲に奪い去っていく。全人類が何らかの超常的異能を身に宿す異能普遍社会にあっても、自然の猛威というものは未だに鬱陶しい障壁として君臨し続けている。

 そんな阿鼻叫喚の様相を呈する雑踏の片隅、僅かな木陰に設置されたベンチに深く腰掛け、一人悠然と紙巻煙草の煙を燻らせる女の姿があった。亜鳴蛇筮麽。

 肌。一滴の汗すら浮かんでいない。

 体温操作系の能力を行使し、自身の肉体の気温を最適に保ち、四十五度にも迫らんとする外気を完全に凌いでいる。

 その表情。泰然自若そのもの。

 しかし、その内面に渦巻く感情は、決して穏やかなものではない。いや、むしろ絶望という名の暗雲が脳髄を重く覆い尽くしている。事の発端は数日前、自身の生殺与奪の権──主に食費という観点でそれを握る無二の友人、鴨紅柄長から下された、血も涙もない非情なる宣告。<大学の夏季課題が完全に終わるまで、一切の面会を禁ずる>。この悪魔の如き仕打ちが、現在の筮麽を苦境へと追いやっている元凶。

 フランス語などという言語は既に習得済みも同然。その気になれば、莫大な量のレポート課題など僅か一日、いや数時間で完璧に片付けることなど容易い。だが、ここに彼女の致命的な欠陥が顔を出す。果てしなく底無しに怠惰な性格。

 その先天的な面倒くさがりな性格が災いし、課題を片付けようと決意しても数分後にはホロフォンでだらしなく動画を眺めたり、ただ天井の木目を数えたり、タバコを吸いジャンクフードを貪るなどと、無為な時間を浪費し続けた結果、課題の進捗は未だ絶望的な数値を叩き出している。

 だが、このまま課題を放置し続ければ、夏休み明け教授の説教を食らうし、柄長との面会謝絶期間は無限に延長される。それは即ち、柄長の財布の紐に寄生し、高級な食事を奢ってもらうという彼女の生命線が絶たれることを意味する。柄長に会えないという精神的苦痛もさることながら、肉体的な飢餓の恐怖が彼女を苛む。

 彼女の保有する多種多様な異能群は、その圧倒的な力と引き換えに、燃費という概念が絶望的に劣悪。能力を一纏めにしたとはいえ、常に莫大なカロリーを要求するその肉体は、満腹中枢など存在しないかのように食物を欲し続ける。柄長の庇護を失い、自費のみで外食を続ければ、彼女の貧相な銀行口座の残高など瞬く間に底を突き、現在居住するボロアパートの家賃すら滞納し、最悪の場合は路上生活へと転落しかねない。

 無論、彼女の持つ無数の模倣能力の中には、光合成で栄養を摂取する能力や、水だけで生きれる能力のような食事不要の異能も存在する。だが、それらを使用することは彼女の矜持が絶対に許さない。食事、それ即ち生命の至上の喜び。それを放棄するなど、自身の存在意義を否定するに等しいという、極めて次元の低い、しかし彼女にとっては譲れない哲学がそこにある。

 結果として、一向に進まない課題から逃避するため、気分転換と称して東京の街を徘徊。目ぼしい能力者を視認しては、その異能を次々と自己の内に模倣しストックもといコレクションをしつつ散歩を敢行していた。

 だが、歩けば歩くほど無慈悲に空腹は加速するのみ。腹の虫が雷鳴の如く自己主張を繰り返し、気晴らしどころか精神は疲弊しきり、その端正な顔立ちはげんなりと土気色に染まり果てている。

 ふぁ、と紫煙を深く肺に溜め込み、虚空へと吐き出す。

 短くなった煙草の吸い殻。携帯灰皿へと押し付け、火を揉み消した。ニコチンの作用による一時的な覚醒など、この底無し沼のような飢餓感を誤魔化すには到底至らない。このままでは狂乱の獣へと成り果てそうだ。

(仕方ない)

 苦渋の決断。

 最終手段にして、彼女が最も避けたかった選択肢。実の姉、煮麼筮の元へ赴き、食事を強請るという屈辱の道。あの太陽のように暑苦しく、そして小言の多い姉と顔を合わせるのは精神衛生上よろしくないが、背に腹は代えられない。餓死よりは、姉の説教を選ぶしかない。

 決意を固めたものの、ホロフォンを起動し、連絡先を検索してトークを送信する、という一連の動作すら現在の彼女にとっては途方もなく面倒。故に、ここでも己の内に眠る便利な能力を無駄遣いする。

『姉さん、今大丈夫? 今日は仕事休みだっけ』

 脳内だけで言葉を紡ぎ、特定の周波数を持ったテレパシーとして空間へと放つ。

 しばらくの静寂の後、脳内に直接、あの底抜けに明るい声が反響した。

『筮麽ー? あぁうん、平気平気。家だけど。どしたん?』

 煮麼筮からの返答。その声色。

 休日の昼下がりを謳歌する余裕が感じられる。

『お腹空いた。なんかご飯作って』

『えぇ?』

『お願い、このままじゃ炎天下の中で餓死するっ』

『しゃあねぇーなぁ。んじゃあうちおいでっ!』

 呆れ果てたような、しかしどこか嬉しそうな、甘やかしの響きを含んだ快諾。

『ん』

 筮麽は安堵と共に短い思念を返し、通信を切断した。

 思念波を送信する能力。

 まだ彼女が小学生だった頃、クラスメイトの女子生徒からこっそりと模倣した能力。その性能は極めて特異。文字通り、頭に思い描いた思念をそのまま相手の脳へと直接送り届けるというものだが、その有効範囲は驚愕の東京都全域。

 しかし、この破格の広域通信能力には、世にも奇妙で限定的な欠陥が存在する。それは<自分と血が繋がった親族であり、かつ全く同一の能力を保有している相手>にしか思念が到達しないという、通信手段としては致命的すぎる制約。オリジナルの持ち主であった女子生徒は、双子の姉妹が偶然にも全く同じ能力を発現させていたため、<二人だけの秘密の会話手段>として大変満足げに活用していたという代物。

 そして当時、それをなんとなく模倣した筮麽。その後、姉の煮麼筮もまた、妹の能力を劣化コピー能力を用いて自身の内へと取り込んでいたのだ。煮麼筮の能力は、視認した能力を著しく劣化した状態でしか再現できないという大きな枷がある。しかし、彼女は生来の器用さと研究熱心さにより、他の微弱な拡張性能力を何重にも複雑に組み合わせ、パッチワークのように補強することで、この思念波の有効範囲をオリジナルと同等、あるいはそれ以上に広げることに成功。結果、こうして遠く離れた姉妹間で、ホロフォン不要の極秘通信網が確立されている。

「よし」

 重い腰を上げる。

 ベンチからすっくと立ち上がる。

 足。

 けだるげに引きずる。

 のそのそと人目を避けるように薄暗い無人の路地裏へと足を踏み入れた。コンクリートの壁に囲まれた袋小路。筮麽はまず、周囲の生体反応や監視カメラ等を読み取る探知系能力を起動。半径数十メートル以内に他者やカメラの存在がないことを完璧に確認した後、空間の座標を歪曲させる。瞬間移動。

 シュン、という微かな大気の切断音と共に、筮麽の姿は灼熱の路地裏から完全に消失した。


     ◆❖◇◇❖◆


 次に靴底が踏みしめたのは、見慣れたフローリングの床。姉の住むアパート。玄関。

 虚空からふらりと現れた筮麽は、靴を脱ぎ、ずかずかと遠慮なく奥へと上がり込む。

 短い廊下を抜け、広めのリビング・ダイニングへと足を踏み入れる。いた。対面式のシステムキッチンの前。身長二メートルにも迫らんとする、規格外の巨大な背中。姉の煮麼筮。

 彼女の体の周囲には、微力ながらも確かな冷気が薄氷のように纏わりついている。その影響で、室内は外の狂乱する猛暑とは無縁の、秋口のようなひんやりとした快適な空間へと変貌していた。煮麼筮の能力は劣化行使。故に、妹のようになんでもござれの万能ではないが、彼女もまた途方もない数の能力をストックしている規格外。客人が訪れる時以外は、無駄な電気代を徹底的に節約するため、空調設備には一切頼らず、こうして微弱な冷気系の能力を常時発動させ続けることで、厳しい夏をエコに、そして快適に凌いでいる。

「姉さん、来たよ」

 気怠げな声をかけると、

「おーす、筮麽。これから飯作ってやるところだよ」

 巨大な姉が、振り返りざまに朗らかな笑みを浮かべた。

 筮麽はそのままリビングの中央へとすたすたと歩み寄り、定位置である革張りのソファへとどすんと重々しく腰を沈めた。

「夏休み、いいねぇ、学生は気楽で。課題はどうよ? 筮麽。それと、柄長ちゃんとも」

 早速、予想通り、いや予定調和とも言える煮麼筮の鬱陶しいお小言が幕を開ける。包丁で手際よく野菜を刻む小気味良い音を背景に、鋭い追及の矢が飛んでくる。

 筮麽はバツが悪そうに視線を泳がせ、クッションを抱き抱えながら、

「あー、実は柄長とは今接近禁止命令が下されてて」

「はえ? なんでさ」

 包丁の手が止まる。煮麼筮が怪訝な顔でこちらを覗き込む。

「その……課題が終わるまで会ってくれないって……」

 つんつんとわざとらしく指同士を続きながら、いかにも自分が被害者であるかのような哀れな雰囲気を演出してみせるが。

「筮麽ぁー。だってあんた、柄長ちゃんの課題丸写しする算段だったんでしょ? そりゃあ柄長ちゃんもそう言うわさ。筮麽、たまにはやる気出して片付けなって」

 姉の目は誤魔化せない。

 妹の姑息な企みなど、手品師のタネのように容易く見透かされている。

「う、うぐぐ……。いや、これにはのっぴきならない事情があって」

「どうせ面倒くさくてやってないだけでしょ」

 ぐうの音も出ない正論の剛速球。

 完全に言葉に詰まる。

「……Pff. Toi, tu ne peux faire que des copies bas de gamme et inutiles...<……ふんだ。姉さんなんて不便な劣化コピーしか出来ないくせに……>」

 痛いところを突かれた腹いせに、唇を尖らせて不貞腐れ、意地悪くフランス語で悪態をついてみせる。どうせ姉には理解できまいという、ささやかな抵抗。

 しかし。

「C'est dommage pour toi. Je comprends un peu le français. Et puis, quelle que soit la puissance, ma précision est bien supérieure à la tienne, n'est-ce pas ?<残念だったねぇ。少しは分かるんだよ、フランス語は。それに、出力はともかく能力の細かい操作精度は私のが上なんだよ?>」

「げえっ」

 流暢な発音。完璧な文法。そして、勝ち誇ったようなドヤ顔。

 通じない、と高を括っていた言語の壁を軽々と越えられ、痛烈なカウンターを食らってしまった。

「能力性能は天と地の差だけどさ、筮麽はその才能にあぐらかいて昔から努力とか全然しないじゃん? そんなんだからこういう所で差が着いちゃうんだぞー」

 フライパンに火をかけながら、煮麼筮の説教は勢いを増していく。

「ぐぬぬ……」

「ま、能力でズルしてやらないところは褒めてやるけどさぁ。でも、日常生活でぽんすか能力ばっかり使ってるらしいけど、それはどうかと思うぞー? バカにならないかお姉ちゃん心配だよー」

 煮麼筮の言葉の波状攻撃は淀みなく続く。妹の怠惰な生活態度への懸念が、言葉の端々から溢れ出している。

「ひとりの時は良いかもしれないけどさ。表じゃ複数能力なんて使う訳にもいかないし、社会に出たら基本自分の力でやらなきゃいけないんだぞー? わかってるぅ?」

 耳にタコができるほど聞かされた、社会の一般常識。

 だが、筮麽の様子がどうもおかしい。

 さっきから反論の声を上げず、完全に沈黙を守っている。

 怪訝に思い、煮麼筮がコンロの火を弱めて振り返る。するとそこには、奇妙な姿勢を取る妹の姿。

 筮麽は、両腕を胸の前に持ち上げている。

 そして、両手の十本の指を浅く交差させ、仏教における掌印、帰命合掌印きみょうがっしょういんを結印し、目を閉じて何事かを祈るような荘厳な姿勢を維持していた。

 煮麼筮は無言のまま、その胡散臭い妹の姿をじっと見つめる。突如始まった謎の宗教儀式めいた行為、そして不自然なまでの静けさ。長年連れ添った姉として、この怠惰の塊のような妹の思考パターンは大体把握している。まさか急に仏門に帰依し、有難い説法を聴聞するかの如く、姉の説教を真剣に心に刻み込もうとしている、などという奇跡は万に一つも起こり得ない。

 となれば、結論は一つ。

 煮麼筮は深い深呼吸と共に長いため息を吐き出し、静かに己の能力を励起させる。ぼやん、と。彼女の神秘的なヴァイオレットの瞳の周辺に、薄い紫色のオーラが揺らめき、纏われた。

 相手が何をしてるのか分かる能力。

 これは、他者の思考や能力の発動状況を読み取る数十種類もの微弱な精神分析系の能力を、煮麼筮自身が複雑なパズルのように組み合わせ、一つの巨大な知覚網として完成させた彼女のオリジナル能力。当然ながら、その主たる開発目的は、息を吐くように能力を悪用するこの怠惰な妹の行動を監視・看破するための対抗策に他ならない。

 紫の瞳が、筮麽の周囲の空間の歪みを克明に捉える。

「遮音ってわけ? まーた妙な能力コピーして」

 煮麼筮は瞬時に現象の正体を看破した。筮麽の身体の周囲一メートルを覆うように、極めて薄く、しかし強固な目に見えない透明な膜が球状に展開されている。この不可視の膜が、外部からのあらゆる音波を物理的に遮断・減衰させ、完全な無音空間を作り出しているのだ。大方、その合掌のポーズを取り続けることが、この能力を発動・維持するための絶対条件なのだろう。説教を聞き流すためだけに、わざわざこんな能力を使うあたり、彼女の怠惰への執念には恐れ入る。

 煮麼筮はやれやれと首を横に振り、右手を軽く頭上に掲げた。そして、鋭い呼気と共に、空気を切り裂くように手刀を振り下ろす。

 シュパン、という空間そのものが裂けるような硬質な音が室内に響き渡った。

 妹の展開していた堅牢な防音の膜が、まるで薄皮を剥がされるように真っ二つに斬り裂かれ、霧散する。

 手刀で切断する能力。

 物理的な対象のみならず、エネルギーすらも強制的に断ち切る、単純にして強力な切断事象。

「はい、そういうことしないの」

「うげっ」

 絶対の安全圏を破壊され、突如として耳に飛び込んできた外界の音に、筮麽は顔を顰めて大きく身体を仰け反らせた。

「ほらほら。筮麽ぁ。人が大事な話してる途中になーに能力で音消してんのさ。お姉ちゃんそういう小賢しい真似は良くないと思うよー」

 煮麼筮が、腰に手を当ててジロリと妹を睨みつけ、軽く戒めの言葉を投げる。

「い、いやー、最近街ブラしてる時に新しくコピーしたんだよ。合掌で遮音バリアを作る能力。ちょっと実戦で試してみたくて……」

 視線を明後日の方向に彷徨わせながら、見え透いた苦しい言い訳を口走る筮麽。

「言い訳しないのっ。全く、こんな調子じゃ先が思いやられるよ。柄長ちゃんも、さぞかし苦労してるだろうなぁ……可哀想に」

 あっけなく遮音バリアを剥がされたことで、姉の容赦のない説教の第二ラウンドが高らかに再開のゴングを鳴らしてしまった。

「……そ、それはもういいからっ。早くご飯作ってよー、お腹空いて本当に死んじゃいそう。なんでもいいから早く早くー」

 これ以上の追及は部が悪いと悟った筮麽は、強引に話題の軌道を修正すべく、クッションを抱きしめたまま頬をぷくっと膨らませて、子供のように食事を急かした。

 今日は決して、この暑苦しい姉の有難い説教を拝聴するために、わざわざ暑い中を移動してきたわけではない。あくまで己の生存権を賭けて、美味しい食事を集りに──いや、可愛い妹としての当然の権利として、手料理を振る舞ってもらいに来ただけなのだから。

「はいはい。ほんと、食い意地だけは一丁前で、世話が焼ける妹だよ」

 煮麼筮は呆れたように大きく肩をすくめ、しかしその口元には優しげな笑みを浮かべると、再びコンロの前に立ち、愛する妹のための手料理作りを再開するべくキッチンへと向き直る。

 香ばしい匂いが部屋に広がった。

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