苑奈の開発実験
五
【調査対象 No.6731 光で能力を狂わす能力】
【対象者氏名 皁莢堅矢】
・カテゴリー 光系能力
・赤い光を放ち浴びた対象の能力を狂わし、制御不能にさせる
・光と精神干渉の二重属性
・光は一種のストロボ波に相似している
・念動系、肉体変化系全てに効力あり
「これは?」
ありとあらゆる機材と未整理の書類が散らかりまくった、第四実験棟。星ヶ咲針我は、その華奢な両腕に抱え込んでいた二十キログラムもの重いポリボトルを床にどんと乱暴に置きつつ、執務机の上に無造作に置かれている小型映像投影装置から空中に浮かび上がる青白いホログラム映像を見て小首を傾げた。
「ああ、それは去年、本人の特別許可を取り付けて詳細に調べさせてもらった、山梨県在住のある現役警察官の持つ特異な能力だ。君はまだ知らなかったな」
苑奈アゲハは、だらしなく羽織られたよれよれの白衣の襟元を正しながら、得意げな口調で答えた。その白衣の下に着込まれた、胸元が大きくV字のラインを描いて開いた漆黒の衣服。彼女の豊満な胸と抜けるようにきれいな肌に、深い谷間がひどく強調されている。よく目を凝らして見ると、その漆黒の服は彼女の能力により極小の機械群が編み込まれて形成されており、表面はまるで呼吸するかのように微細なウェーブ状に波打っている。彼女自身の圧倒的美貌と完璧なプロポーションを誇示するかのような扇情的な服装なのだが、星ヶ咲は常々、自分がもし男の目を惹きたいと思っても、果たして同じような破廉恥な服装をするのだろうか? と大いなる疑問を抱いている。
「対象者の能力名通り、この世界では非常に希少とされる、他者の能力そのものに直接作用するタイプの異能だ。あの波長の赤い光を浴びた対象は、自身の能力の出力系が一時的に破綻し、上手く使えなくなり、意図した使用が著しく困難となる。あらゆる人間が超常の力を有するこの異能普遍社会において、これほど対人戦において強力で厄介な能力はない」
苑奈は知的好奇心を満たされた子供のように嬉々として解説をしながら、両手の指先から銀色にうごめくナノテクの触手を無数に生やし、机上のなにやら複雑怪奇な回路が組まれた基盤装置を前に精密作業を続けている。彼女の顔には、同じくナノマシンにより構築された特殊な防護ゴーグルが装着されており、溶接の閃光からその美しい目を保護している。
星ヶ咲の目を引くのは、その物質をナノテクノロジーに変換する能力の圧倒的な汎用性だ。手指から伸びる無数のナノテクアームの先端は、それぞれ極小のピンセット、鋭利な刃物、そして高速回転するドリルの形状に随時変化しており、顕微鏡レベルの精密な作業で微小部品の組み立てや研削加工を同時並行で行っている。その動きは極めて複雑かつ精密無比で、一本一本のアームがまるで独立した意思を持っているかのように、休むことなく別々の工程をこなしていた。
「見ての通りだが、その警察官の持つ、光で能力を狂わす能力を人工的に、かつ擬似的に再現するための携帯型装置を秘密裏に作っていてね。実は去年から基礎開発を続けていたのだが、途中でひどく面倒になってサボっ……じゃなくて、理論構築が難解を極めた故に、やむを得ず一時的に制作を中断していてね。劣化を防ぐために二億円もする特注の物質恒久保存函にぶち込んで保管して置いたから、装置の状態はその時のままだ。だから今、後の細かい仕上げ作業をするだけで全てが終わる」
苑奈は如何にも計画通りといった風を装い淡々と言うが、今の言葉の途中、明らかに「面倒になってサボった」と言いかけた致命的な失言が混ざっていた。
「完全に面倒になってサボってたんですね? と言うか言いかけましたよね?」
星ヶ咲はジト目を向け、その痛いところを鋭く指摘する。
「……い、いやいや。何を根拠にそんな失礼なことを言っているんだね、針我くん。この世紀の天才たる私が、自身の研究活動に枢要な画期的装置の発明を無断でサボるなどと思うのかね?」
「はい、思いますけども」
苑奈の苦しい反論を、星ヶ咲は柳に風とばかりにあっさり流して返す。
彼女との付き合いは、自身の制御不能だった感情で天候を変える能力を制御するための治療で関わってから、助手のアルバイトとして雇われて現在に至るまで、すでに三年の月日が流れている。正式にアルバイト兼助手として働き始めてからは一年ほどだが、この美しき天才の破綻した性格は隅々まで十分に把握しているつもりだ。
大方、眼前の地道な作業よりも、己の知的好奇心に身を任せ、さらに興味を惹かれた全く別の能力者の調査だとか、突発的な新発明に現を抜かして放置したというのが事の顛末に違いない。
「……と、とにかくもうすぐ完成するっ」
見事に図星を突かれたのか、苑奈は気まずそうにすっと目を逸らした。コホンと咳払いをして再び基盤への作業を開始するが、その精巧かつ緻密な組み立て技術だけでいえばまさに圧巻の一言で、星ヶ咲も思わず感嘆の吐息を漏らして見入ってしまう。やはり、私生活のずぼらさを除けば、目の前の博士は正真正銘の天才そのものだ。生活能力が皆無に等しいというポンコツ具合がたまに、いやかなり深刻な傷だが。
「そもそも、この装置は何に使うんです?」
素朴な疑問を口にした。
「ん? もちろん、純粋な護身用だよ。学会や調査などで海外に赴くことも多いが、向こうは日本と違い、攻撃的で野蛮な輩も多いからね。いざとなれば私の能力なら暴漢の制圧など容易いが……この私が操るナノテクの厄介な性質は君もよく知っているだろう? ほんの一ミリでも私の生体電流のネットワークから切り離されれば、即座に機能を失い、ただの無価値な金属のガラクタと化してしまう。激しい戦闘状態になれば、その損耗は避けられないだろう。いくらでも周囲のガラスや機械類を変換して体内に内包出来るとはいえ、あんな野蛮な連中の為に私の美しいナノテクを無駄に消費したくないし、何より衣服を血で汚すような流血沙汰が無いのが一番だろう」
「あぁ、なるほど。相手の能力さえ装置の光で狂わせてしまえば、その隙に安全に逃げたり、博士のナノテクで無傷のまま簡単に縛り上げて制圧できそうですもんね」
得心がいったように深く頷く。確かに、己の能力に絶対の自信を持ち、そればかりに頼り切っているような輩ならば、その根本を狂わされた瞬間に大きな隙が生まれ、簡単に無力化出来るだろう。
そんな会話を交わしているうちに、装置の複雑な内部回路が完全に組み上がったのか、苑奈は用意していた剛重幻亜合金の堅牢な外殻パーツを基盤の上から被せた。バラクノイドとは、現代の高度な異能と最先端科学が奇跡的に融合したことによる未知の新たな特殊合金で、既存のどの金属や装甲材よりも圧倒的に高い硬度と、そしてほぼ永久的に錆びず劣化しないという驚異的な性質を持つ。その常軌を逸した硬度故に加工は非常に困難を極め、さらにその市場価格もわずか一グラムで数万単位の金が飛ぶという、一般人では到底手が届かない圧倒的値段を持つ代物だ。だが、数多の特許収入と国家から得た莫大な特別報酬などによる、一生使い切れないほどの圧倒的資産を誇る苑奈アゲハにとっては、そんなコストなど痛くも痒くもない些末な問題だ。
彼女は液状に変化させた極少量のナノテクで即席の小型レーザー筒を器用につまみ上げ、それから発生させた超高温の極細レーザーを、装置の接合部に巻かれたバラクノイドに向けて正確に発射する。一切の歪みもない、完璧な溶接が瞬きする間に完了した。
「よし、とりあえず基幹部分はこれで完成だ。名前は異能撹乱装置とでも名付けようか。英名はジャミング・ストロボで」
苑奈は満足げに頷き、用済みとなった無数の触手をシュルルと体内に引っ込め、装着していたナノテクゴーグルも液状化させて皮膚の下へと収納する。完成したばかりのそれを素手で掴み上げ、空中で軽く振ってみせた。
その外見の形状は単純な円筒状で、正面に光を放つための分厚いライトレンズが取り付けられている。見た目だけで言えば、どこにでもある少し頑丈な手持ちライトにしか見えない。
「おおー、お見事です」
パチパチと軽い拍手をする。そして苑奈は装置を机に置き、
「ま、これはあくまで機能確認用の試作品だがね。洒落た塗装なんかは、全ての検証が完成してからでいいさ。さて、これからすぐに地下の実験場で実証実験に移るわけだが。その前に、一つだけ隣の部屋に重要な用がある」
立ち上がりながら、先程星ヶ咲が苦労して運んできた大きなポリボトルを指さし、
「君が持ってきてくれたその重いボトル。針我くん、悪いが隣の部屋までまた運んでくれないか」
「ええーっ。あのぉー、私、これでもか弱い女子大生なんですよ? 遠くにある第五倉庫から、炎天下の中わざわざ台車も使わずに運んで来たんですよ、これっ。博士のその便利なナノテクで、ささっと運んでくれませんかー?」
「やれやれ、仕方ないな。まぁ、非力な君にわざわざ遠くから運ばせてしまったのは事実だしな。わかったよ、私がやろう」
呆れたように肩を竦め、よれた白衣を少しだけ捲り上げる。すると、中の黒いナノテク繊維で編まれた服の一部がうごめき、そこから太く強靭な金属のアームがニュルリと生え出した。瞬く間に形成された小型のクレーンアームが、二十キログラムあるボトルの持ち手をがっちりと掴み、まるで羽毛でも扱うかのように軽々と空中に持ち上げた。
「博士、そもそもこれは何に使う薬品なんですか? 次亜塩素酸ナトリウムってラベルに書いてありますけど」
星ヶ咲は、宙に浮くボトルの文字を読み上げ、純粋な疑問に思い訊ねた。ボトルの色褪せたラベルには、はっきりとNaCIOという化学式が印字されている。
「隣の部屋に入ればすぐに分かるさ」
「そういえば、隣の部屋って一度も入ったことなかったですねっ」
少しだけ声が弾むのを感じた。ここで助手──という名の体のいい雑用係として働き始めてからとうに一年が経ったが、この広大で迷路のような巨大ラボの全貌は、未だに全く把握出来ていない。厳重にロックされた、初めて入る未知の部屋となれば、自然と好奇心が刺激され楽しみになる。
苑奈が、重厚な電子ロックのパネルを操作し、分厚い防音ドアを開ける。
プシュッという気圧の抜ける音と共にドアが開けられると、一気に巨大な機械の稼働音が耳に飛び込んできた。
そこに広がっていたのは、まるで小さな工場のプラントだった。まずは天井に届くほどの巨大な原水槽のタンク。そこから血脈のように複雑に絡み合う太いステンレスパイプの群れ。不純物を吸着する活性炭濾過塔、水温を一定に保つための巨大な熱交換器、強力な光を放つ紫外線殺菌装置、水中のイオン成分を取り除くイオン交換樹脂塔、そして何本も並んだ限外濾過膜やマイクロフィルター、仕上げのファイナルフィルターなどが整然と並んだ──つまり、極限まで不純物を除去するための、大規模な超純水製造装置のシステムが並べられていた。
「あっ。これって」
星ヶ咲も、流石は国内トップクラスの聖神大学に通うエリート学生と言った所か。流石に化学プラントは専門外なため細かな機構まではわからないが、それが水を浄化するための純水装置であることくらいは直ぐに察しがついた。
「ああ。ご察しの通り、先程作った異能撹乱装置のクリーンな動力源は、ここで精製された超純水だ。環境に優しくエコでいいだろう? 実際のところ、かつて君の暴走する能力を完璧に制御した思念波動鎮静式霊環の動力も、この超純水で動かしていた。高出力の科学バッテリーを使う度に、嫌な化学的な臭いや有毒なガスが発生するのは、個人的に非常に嫌なものでね」
「なるほどなるほど。そういえば、博士の数々の奇抜な発明品からは、どれだけ激しく稼働しても変な機械の臭いや焦げたガスが一切漏れないのは、そういうクリーンな動力の理由がありましたか。いかにも潔癖なアゲハ博士らしいです」
星ヶ咲は、過去の記憶と結びつき、深く納得した。
苑奈アゲハは、自身の作った発明品の動力は、主にこの超純水を動力源とする特殊な機構を組み込んでいる。不快な臭いもだが、有害物質を含む排気ガス、すなわち一酸化炭素や窒素酸化物を極端に嫌うため、彼女の所有する流線型エアカーも、ガソリンではなくこの純水で静かに動く純水駆動車。
だが、彼女が言ったこの次亜塩素酸を持ってきた意味までは分からなかった。そもそも専門外だ。
「それで、持ってきたこの次亜塩素酸はどうするんです?」
「ん? あぁ、それはただの原水の殺菌用だよ。ほら、あそこの中央にある円筒形の逆浸透膜───つまりROフィルターが見えるだろう? 外部の原水槽からポンプで送られてきたただの水道水には、微細な細菌類が必ず混入している。事前にこの次亜塩素酸で強力に殺菌しておかないと、菌類が繁殖してバイオファウリングを起こし、要であるRO膜がすぐに詰まってしまう。そこの薬液タンクにこの次亜ボトルを設置すると、自動計算された適量がパイプ内に常に供給される仕組みになっている。センサーがそろそろ補充の時期だと知らせてきたのでね」
器用にナノアームを操り、重いボトルを所定の床に静かに置き、用済みのアームを衣服の中へと引っ込める。着崩れた白衣を整えつつ、嬉々として専門用語を並べ立て、稼働する装置の各部を指さしつつ早口に解説をし始めた。苑奈は部屋の脇に設置されている備品の収納ボックスから、作業用の透明な保護ゴーグルと厚手の薬品用手袋を取り出し、慣れた手つきで素早く身につけた。
「は、はぁ……」
とりあえず相槌を打って返事をするが、流石に純水装置の専門的な維持管理の知識など知る由もなく、その表情はただただ微妙だ。苑奈は手袋越しの手で次亜塩素酸のボトルの固いキャップを空け、次亜薬液の供給タンクから伸びる細い吸引管をボトルの底まで深く入れ、所定の位置にカチリと設置した。これであとは、機械のポンプが自動で適量を吸い上げ、次亜塩素酸のタンクに絶え間なく補給される。
「まぁ、ここの設備はあくまで私の個人用だから、だいぶ簡素な一次純水システムに留まっているのだがね。流石に私一人じゃ、これ以上巨大化すると日々のメンテナンスが大変で管理しきれない。もしもっと純度の高い、極限の超純水を作りたいと欲するのなら、この一次純水システムだけでなく、さらに後段に二次純水システムやサブシステムに連結させれば、そのプロセスでRO膜やマイクロフィルターでも残ってしまった極微量のイオン類や、全有機炭素を徹底的に除去し、さらに抵抗値の高い高純度の超純水が出来るのだが──」
「はいはい、その熱い講義はもういいですから。補充の用が済んだのなら、さっさと目当ての超純水だけ採水して元の部屋に戻りましょ」
また自身の得意分野で専門用語を並べ立てた博士の止まらない饒舌が発揮され、長時間の立ち話になるのを防ぐため、星ヶ咲は強引に言葉を遮り口を挟んだ。
「おっと、すまない。つい有意義な講義の方へ脱線しそうになったね」
苑奈は少し名残惜しそうにしつつも、ゴーグルと手袋を取り外して元のボックスへと片付けた。そして、慣れた足取りで配管の一部に向かい、まずは活性炭濾過塔の出口に設けられた小さなバルブから少量の水を採水し、ジエチルパラフェニレンジアミン法すなわちDPD法の試薬を用いて残留塩素の厳密な測定を行った。
「次亜塩素酸で原水の菌を殺すが、その塩素が後段のRO膜に触れるとポリアミド素材が酸化劣化してしまう。だから、その手前の活性炭で塩素を完全に吸着除去するんだ。これは、塩素が抜けているかの重要な確認作業。よし、ピンク色に発色しないな。残留塩素ゼロ、問題なしだ」
独り言のように解説しながら安全を確認すると、そのまま部屋の奥にある剥き出しのユースポイント、すなわち超純水の最終出口の採水バルブへ向かった。専用の容器に極めて純度の高い純水を確保し、手に持っていた異能撹乱装置の給水口のパッチを開け、そこに並々と補充した。
「だが純水装置の不安要素はまだ残っているな、塩化カリウムやミネラルの結晶化が懸念だ。スケール防止剤なんかも入れて良いかもしれない。それに──」
「はーかせっ。戻りましょうよー」
「…そうだな。この講義はまた今度聴かせてあげよう」
「それは遠慮しておきます」
「何故だっ!?」
すべての用が円滑に済んだ後、二人はそんな雑談を交わしつつ。分厚い防音ドアを閉め、再び静寂に包まれた元の第四実験棟へと戻っていった。




