くだらない能力行使で終わっちゃったね、また
「本格的な電気制御の特訓は、まだ始めたばかりなんでしょ? これからだって、これからっ。千里の道も一歩からって言うじゃない」
黒角も優しく笑い、肩を叩いて励ました。その裏表のない屈託のない笑み。
荒んでいた心も少しだけ楽になった。
「おらああああっ! 食らえっ、亜鳴蛇ぁぁぁっ! この恨み、晴らさでおくべきかぁぁっ!」
二人の和やかな会話をぶち壊すように、場違いな怨念の籠もった絶叫がルーム内に響き渡った。相も変わらず、河海は仮想の敵を思い描きながら元気に鉄の棍棒を全力で振り回していた。
そんな単細胞な友人の背中。
呆れ半分、感心半分で見つつ。
黒角は、ぽつりと言った。
「本当に、体力だけは無駄に元気だねぇ、あの子は」
普並木と黒角の間で交わされる、微弱な電気能力を巡る些細な葛藤と励ましのやり取りなどいざ知らず。無慈悲な打撃の雨霰を浴び、ボコボコに原型を崩された哀れなサンドバッグ。その巨大な物体を前にして、ようやく凶器たる棍棒を下ろした河海。彼女の額からは玉のような汗が止めどなく伝い落ちる。そして、紅潮した頬を熱い雫が滑り落ちていった。
ぜえぜえと肺葉を極限まで酷使した荒々しい息切れを起こしつつ、彼女は傍らの機材机の上に置かれた、専用の操作リモコンを乱暴に手に取った。無造作に解除ボタンを押し込む。シュン、と短い電子音が鳴り響き、先程まで物理的な質量と強靭な反発力を誇っていた巨大なサンドバッグは、まるで幻影であったかのように虚空へと溶け込み、完全に消え去った。
これも、先程黒角が自身の指先の力、すなわちピンチ力を誇示するために使用した仮想霊子実体化投影機構と全く同じ最先端技術で作られた疑似物質。現在、この島国たる日本の総人口は、おおよそ二億七千万人に達している。その爆発的な人口増加に伴い、当然のことながら、そこに暮らす人々の数と等しいだけの千差万別な能力がこの世には蔓延しているのだ。
数多の異能が入り乱れるこの異能普遍社会において、もちろんのこと、全く同じ性質や酷似した効果を持つダブり能力の数もとてつもない規模で存在している。局所的な身体強化や、炎、水、氷、あるいは普並木のような電気と言った、古典的かつ分かりやすい自然属性のみを操る能力は、道端の石ころのようにありふれている。だからといって、能力の枠組みが同じであれば強さも同じという単純な話ではない。当然、その生み出す火力、精密な操作性、日常生活や戦闘における汎用性、または発動条件などの細かな特徴には、雲泥の差とも言うべき残酷な個人差が大きく存在している。
ゆえに、このジムのような巨大な能力開発施設において、会員の個々の能力特性や威力に完全に合致した物理的なトレーニング器具をいちいち買い集め、専用に配置していたら、それこそ広大な敷地があってもキリがないし、現実的に考えれば経営を圧迫し予算的にも極めて厳しい事態に陥る。だが、その頭の痛いインフラ問題を一挙に解決し、経費を劇的に抑えた魔法のようなシステムこそが、この仮想霊子の実体化システム。
あらかじめメインフレームのAIに実在する様々な道具や材質のデータを登録し、必要な時にのみ一時的に三次元空間へと実体化させられる。これならば、河海のような破壊衝動の塊が過酷なトレーニングにより機材を完全に破壊したとしても、データさえ破損しなければ、スイッチ一つでいくらでも替えがきく。施設の経費的にも、無駄なゴミを出さない地球環境的にも、極めて優しく合理的なシステム。
「ふぃー。つっかれたぁ!」
過酷な鍛錬を終え、未だ黒光りする重厚な棍棒を小脇に抱えたまま、ふぁ、と乱れた前髪を無造作に撫でつけた河海。その眩いばかりの金髪が、室内の冷気を切り裂くように揺れ動いた。
「おつー」
「お疲れ河海」
傍らで休息を取っていた黒角、そして普並木も、短いながらも労いの言葉を返した。
「見てた? 二人とも。私のキレのある動きを。もう完全に亜鳴蛇なんて目じゃないねっ」
河海は鼻高々に、自信たっぷりの笑みを浮かべて言う。
「うんうん、ちゃんと見てたよ。キレッキレだった。サンドバッグが可哀想なくらいに」
「まぁ、体力作りの運動としてはいいんじゃない? 振り回してるものはどう見ても物騒な凶器だし、完全に街の不良のそれだけどさ」
二人は呆れ半分に、適当な相槌を打つ。河海は友人の生返事にも全く動じることなく、自身の圧倒的な成果に満足したようにうんうんと大げさに頷いた。そして、不敵な笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「ふふふ。驚くのはまだ早いよ。今日私が成し遂げたのは、ただの筋トレやストレス発散だの、それだけじゃないのさ。実は、私の愛すべきこの棍棒、とんでもない新しい性質に気づいてね」
「新しい性質? ただ出すだけじゃなくなったってこと?」
普並木が、少しばかりの興味を惹かれたように甲高い声をあげた。
「見てな。腰を抜かすほどびっくりするから」
河海はもったいぶるように、両手で黒光りする巨大な棍棒を天高く掲げた。先程まで、親の仇のごとく硬牢なサンドバッグを幾重にも乱打し続けたため、元々は滑らかだったその表面は酷く傷付き、威圧感を与える鋭利なスパイク部分も、金属疲労により所々が無惨に欠け落ちている。そして彼女は、突如として顔を真っ赤に染め上げ、なにやら重々しい声で呻き始める。
「ぐおぬぬぬぬ……!」
周囲の空気がビリビリと震える。ゴゴゴゴ、という地鳴りのような効果音が鳴っていそうな、異常な緊迫感が空間を支配する。
ただならぬ気迫。
二人は思わず息を飲む。
「どりゃああああああっ!!!」
河海は、腹の底から絞り出すように力強く叫んだ。瞬間。シャキン、と微小な金属音が鳴ったかのように、棍棒の先端で無惨に折れ曲がっていたスパイクが一つだけ、見事に元の鋭い形状へと戻った。
ぜひゅー、ぜひゅーと突如としてひどくげっそりし、激しい息切れを起こす。どうだ、私のこの神がかった新技を見たか、と言わんばかりの得意げな目つきで二人を睨みつける。
だが。
「うん? 今、何が起きたの?」
黒角は目を瞬かせる。
極めて微妙な反応を示した。
「……え? それだけ?」
普並木からも、気泡の抜けた炭酸水のような声が漏れた。
そう、河海があれほどの莫大なエネルギーを消費し、顔面を朱に染めて気張った結果起きた事象は、折れた小さなスパイクがたったひとつ、申し訳程度に直っただけ。
「まさか、これだけ? 他になんか隠し玉があるんでしょ?」
普並木が信じられないという顔で、思わず率直な感想を口に出してしまう。
「ちょっ、こ、これだけって何さっ。節穴かお前らの目はっ。よく見ろっ! 直ってるんだぞ! 見事に欠けた部分が、元通りの美しい姿になってるんだよっ。世紀の大発見だよっ」
滝のような汗をだらだらと流しながら、必死の形相で自身の偉業を豪語する。
「え、まじかよ。いや、だってさ。あんなに顔真っ赤にして、気合い入れた雄叫びまであげたもんだから、てっきり棍棒が巨大化するとか、黄金に進化するとか、もっと何か凄まじいことが起こると思ったんだけど……」
気付いた。
たはは、と力なく乾いた笑いを漏らす。
普並木もその言葉に釣られて、クスクスと肩を揺らして笑う。
「あ、あんたらねぇ……バカにしてるけど、これは本当に凄いことなんだからねっ!? 今まで、私はこの棍棒を虚空から出したり、用が済んだら消したりすることしか出来なかったんだから! それが、自己修復機能を手に入れたんだよ!? これって、能力の歴史的進化にして、凄い進歩でしょうがっ!」
息も絶え絶え。酸欠になりかけながら叫ぶ河海。
そう、彼女が有する棍棒を出す能力は本来、単なる無機物の召喚能力。鉄の塊である棍棒を己の意志で虚空より出したり、消したりするだけの極めてシンプルな能力。そこに、顕現させた棍棒自体の形状を変化させたり、損傷を修復したりと、自在に操作するような高度な特性は一切付与されていない。つまり、河海の主観においてこれは、自身の能力の枠組みを根底から覆す、とてつもない能力の拡張に等しい事象。なので偶然これに気付き、彼女は大いに狂喜乱舞したのだが。
「いや、でもさ。苦労の割に結果がしょぼくね?」
「……うん、控えめに言ってもすごくしょぼい」
黒角の身も蓋もない評価に、普並木までもが容赦なく追随した。先程までサンドバッグ相手に何十分も激しく動き回っていた時より、遥かに甚大な体力を一瞬で消費し、長い溜めの後、満を持して発動された奇跡の御業がこれ。まるで老衰で死にかけるような圧倒的な疲労感と引替えに得た対価が、欠けたスパイクがたったひとつ直るだけ。あまりにも非効率極まりない、しょうもない結果。
「いやいやいやっ! これはまだ最近偶然出来るようになったばかりの新技だから、コツを掴んでないだけだからっ! そのうち特訓を重ねれば、一瞬で全体をピカピカに直せるように進化するはずだよっ! 私のポテンシャルを舐めるなっ!」
乱れた息を懸命に整えて、見栄を張るように言う。
「てかさ、そんなに疲れるなら、一回棍棒を消してから、また新しいのを出せばいいんじゃないの? そうすれば新品の元通りになるって、前に自分で言ってたじゃん。だからいくら折れても問題ないって」
黒角が、論理的かつ極めて真っ当な正論のツッコミを入れる。
「あのねー黒角ぃ。私のこの棍棒、ただ出すのもまぁそれなりに体力を使うわけさ。で、この特訓のおかげで更にいかつい黒光りする見た目になってから、重さも硬さも段違いになった分、もっと召喚に体力がいるようになったの。だから、そう一日に何度もポンポンと気軽に出したり消したりできなくなったんだよ」
口を尖らせてそう愚痴る。
確かに、ジムに通う前までのただ無骨なだけの鉄パイプに毛が生えたような棍棒と比べれば、現在の高密度な黒光りする鉄製へと進化したことにより、その打撃の威力、そして敵の攻撃を防ぐ防御力共に飛躍的に上がった。その強大な恩恵の代償と言ってはなんだが、能力の質量の増加に伴い召喚のコストが跳ね上がり、武器の顕現には以前よりも多くの精神力と体力がいるようになったのだ。
だが、それでも彼女はその可愛らしい小柄な見た目とは裏腹に、中高と運動部に所属し、無尽蔵のスタミナを誇るスポーツ系女子として地域に名を馳せていた。なので、その常人離れした有り余る体力により、この進化した重厚な棍棒を最初に出す際も、息切れひとつ起こさない。なのに、今さっきまで激しい運動で動き回ってたとは言え、少し棍棒の先を直しただけでこの無惨な死にかけっぷり。どう論理的に考えても、一度棍棒を空間から消去し、再度新品を出した方が圧倒的に効率的であり、理にかなっている。
「それにね、一回武器を消してまた出したら、その切り替えのタイムラグの間に致命的な隙が出来ちゃうじゃんっ。実戦でそんなことしてたら、亜鳴蛇みたいなバケモノには一瞬で首を飛ばされるわっ。だからこう、持ったまま一瞬でシュバッ! って魔法みたいに直したいわけ!」
負けじと実践的な理由を並べ立てるが、普並木は冷ややかな目を向ける。
「……でもさ、直すのにさっきみたいにめっちゃ長い溜め時間いるし、てか修復した後にそんな死にかけのヨボヨボ状態になったら、それこそ戦いの最中なら完全に隙だらけでダメじゃない?」
「うっ……そ、それは……これから鍛えれば隙はなくなる予定だから……」
図星を突かれ、河海はしどろもどろに口ごもる。そう、彼女自身も薄々勘付いている致命的な欠陥。そもそも、何故彼女がたかがスパイク一つを直すために、これほどまでに激しく疲労したのか。その真実は、彼女が信じて疑わないような能力の都合の良い拡張や、棍棒の自己修復機能などでは決してなかった。
河海が有する棍棒を出す能力は、一度に二つまで棍棒を同時に顕現させることが可能。先程彼女が無意識に行った荒技は、その二刀流の力の無自覚な応用。既に手に持っている損傷した棍棒の存在する空間座標に対し、寸分の狂いもなく重なり合わせるように、全く新しい二つ目の棍棒を新たに上書き召喚しただけなのだ。そして、ただ新しいものを出すだけでなく、彼女の深層心理が「直したい」と強く願った結果、元々持っていた棍棒の傷や欠け具合までもを無駄にスキャンし、新しい棍棒にそのまま再現してしまった。彼女の無意識下における強烈な補正により、念じたスパイクの一部分だけが新品状態に戻った訳だが。結果的にその複雑怪奇で無駄だらけの再現プロセスと、物質の強制的な重なり合いによる空間の反発を強引にねじ伏せたせいで、通常の何倍もの膨大なエネルギーのコスト消費が重なってしまったという訳だ。もちろん、直感だけで生きているような単細胞の本人には、そんな複雑な能力のメカニズムなど知る由もない。




