能力開発ジム
三
広大なる容積を誇る特設トレーニングルーム。最新鋭の空調設備が静音で稼働し、人工的な冷気が肌を刺すように効いている。広々とした空間。所々には、能力者たちの肉体と異能を極限まで鍛え上げるための、多種多様にして奇怪な形状をした最先端のトレーニング器具。
「やああっ!」
鼓膜を劈くような甲高い声が、静謐な空気を切り裂いて響き渡った。ガン、と硬質な金属同士が激突する恐ろしい重低音。無慈悲にぶつけられたソレは、莫大な衝撃をその身に受け、叩かれた方向へと大きく揺れ動く。だが、基部に備わった強靭な反発機構により、すぐさま元の位置へと回帰した。
「うりゃあああっ!」
再びの荒々しい咆哮。ゴォォン、と内臓を震わせる音が響いた。再びサンドバッグが激しく揺れ、また定位置へと戻る。
「はああぁっ!」
絶叫の主。以前、国信大の敷地内にて亜鳴蛇筮麽という規格外の存在に無惨な敗北を喫したばかりの、小柄にして血の気の多いやんちゃな不良女。河海斬呼。彼女が己の魂から発現させているのは、棍棒を出す能力。
彼女は今、自身が生成した黒光りする凶悪な棍棒を両手で固く握り締め、眼前の空中に浮かぶ、特注の鉄製サンドバッグを死に物狂いで叩き続けている。その表面には、軍事産業の粋を集めた衝撃吸収反発性合成霊布なる強化樹脂が分厚く合成されており、金属に匹敵する頑丈さと、強烈な打撃を殺す弾力を完璧に兼ね備えている。どれほど凶悪な一撃を叩き込もうとも、衝撃は全てこの巨大なサンドバッグが吸収し尽くす。力任せに金属製の棍棒で叩こうが、反作用による金属の激突で生じる手の痺れや骨へのダメージが一切出ないような、極めて高度な仕組みになっている。
「張り切ってるなぁ、河海のやつは。あの体力、どこから湧いてくるんだか」
呆れたような、それでいてどこか見守るような温かい声を漏らすのは、彼女の取り巻きであり、実質的な保護者枠を担う女、黒角鏡乎。その右手は、眩いばかりの光を乱反射する金剛石、すなわちダイヤモンドへと完全に変貌している。拳が宝石になる能力。その人間離れした美しい手に握られているのは、一般人向けではない、能力者専用の鉄製ハンドグリッパー。抵抗を生み出すスプリングは恐ろしく太く、到底人間の腕力では一ミリたりとも閉じれそうにない代物。しかし、黒角が少しばかり顔をしかめ、宝石の手に力を込めると、ギギギッ、と金属が悲鳴を上げるような音を立て、それは紙切れのように軽々と閉じられた。それどころか、彼女の握力に耐えきれず、分厚い鉄製のグリッパーそのものが原型を留めないほどにひしゃげ、完全に潰されて鉄屑へと成り果てた。
「ねぇ、杏璃? ちょっと休憩しない?」
「ぐぬぬ……っ!」
潰れた鉄屑を卓上に放り捨て、傍らで苦悶の表情を浮かべる普並木杏璃に優しく話しかける。だが、彼女は自身の内なるエネルギーの操作に極限まで集中しているのか、黒角の気遣いにも全く反応しない。
普並木が持つ、指先から電気を出す能力。彼女の震える両手の十指の先から放たれた、対人制圧用超高圧放電、すなわち高圧スタンガン並の致死性を持たない電気が、ぷるぷると頼りなく畝り、まるで苦しむミミズのように空中の僅かな空間を這い回っている。
「だあああっ! ぶっ潰れろやぁっ!」
そして、背後からは河海の野蛮な叫ぶ声。彼女は親の仇のように、再び巨大な棍棒を猛烈な勢いで振るっている。
ここは、雄大な自然に囲まれた長野県の某街、その中心部に堂々とそびえ立つ、巨大な能力開発ジム。個々の千差万別な能力の性質に合わせ、最新鋭の科学技術と熟練のトレーナーの知識を融合させ、最適なトレーニングメニューを提供する。この異能普遍社会における現代の街には、雨後の筍のように乱立しているありふれた施設の一つ。
以前、河海が打倒・亜鳴蛇筮麽と鼻息を荒くして意気込み、新規応募者はひと月会費が完全無料という甘い広告のキャッチコピーに見事に釣られ、残りの二人も強引に巻き込み、半ば強制的に入会させた。亜鳴蛇への異常な対抗心を燃やして止まない河海と、自身の非力な能力に深い劣等感を抱える弱能力コンプの普並木は思いのほか乗り気だったが、黒角は「また面倒なことに巻き込まれた」と心の中でため息をつきつつ、仕方なく二人の暴走を止める保護者として付き合っている所存だ。
現在、彼女たちが通う国際信州学院大学も本格的な夏休みへと突入し、時間を持て余した二人は河海からの執拗な呼び出しを受け、連日のようにこの冷房の効いたジムへと足を運んでいた。
無我見友成や、取り巻きである二人からの再三にわたる必死の警告により、ひとまず亜鳴蛇への直接的な暴力的アプローチは一旦保留にした河海だった。しかし、このジムで汗を流すことで目に見えて分かる自身の能力の確かな成長には、単純な不良娘らしく素直に喜びを見出し、飽きることなく熱心に通い続けていた。
入会時、まず彼女たちは施設の核となる大型AI、異能出力測定により、自身の能力に秘められたポテンシャルや、今後の成長率を精密に検査される。河海、黒角共に、これまでの人生において自身の能力を本格的に鍛え上げようなどと考えたことすら無いため、その未開拓の成長性は極めて高い数値を叩き出した。なので、それぞれにはまず、この巨大ジムに在籍する数多のスタッフの中から、類似カテゴリの能力を有する専門トレーナーが専属として割り当てられ、個々の特性に合わせた基礎的トレーニングメニューが個別に設けられた。
河海に課せられたのは、その顕現させた棍棒で、ひたすら硬い物質を全力で叩き続けるという、伝統的な空手における部位鍛錬のような極めて単調な内容。そのために、彼女専用の頑丈なサンドバッグが用意された。指導内容は拍子抜けするほど単純極まりないものだが、その肉体と精神に直接訴えかける効果は抜群。見事、ただの無骨なスパイクが乱雑に打ち込まれたたけの安っぽい棍棒は、彼女の闘争心に呼応するかのように密度を増し、今では黒光りする重厚な鉄製の棍棒へと見事な進化を遂げている。
一方、黒角の有する両手が宝石化する拳は、確かな超硬度と絶大なパワーを誇るものの、その変化が及ぶ範囲は手首の関節までという明確な制限が存在する。こう言った物理的な変化部位が遺伝子レベルで完全に固定されている場合、特訓によってその範囲を腕や全身へと拡大させることは理論上ほぼ不可能であり、現実味が全くない。なので、河海と同じような部位鍛錬の要領でサンドバッグを殴り、パンチ力などを闇雲に鍛えようにも、生身のままの手首への強烈な反作用による負担は避けられず、最悪の場合は骨折や靭帯断裂の危険性を伴う。なので、彼女のトレーナーからは、手首から先の筋力を極限まで高める、単純な握力の強化をメインとした安全かつ確実なメニューが出された。
そして、普並木。彼女は自身の戦闘向きではない弱能力に長年深いコンプレックスを抱いていたため、藁にもすがる思いで幼少期からあちこちのジム通いを続けていた。そのため、皮肉なことに能力の成長限界値に既に達しており、出力の面ではこれ以上の劇的な成長は絶対に見込めないという非情な宣告をAIから受けていた。元々は冬場の静電気に毛が生えた程度の微弱な電気しか出せなかったものを、長年の血の滲むような努力により、なんとか高圧スタンガンレベルにまで引き上げ、このジムの最新設備を用いてようやく一人前の護身用スタンガン並への昇華を果たした。だが、悲しいかなそこで火力自体は完全に打ち止め。なので、次に彼女の担当トレーナーから提案されたのは、出力の向上ではなく、細かな電気の方向操作と、その放出の持続性を高めるという極めて繊細なアプローチ。
どれだけ指先からひねり出した僅かな電気を虚空へと長く伸ばせるか、またその直進する形を意志の力で自在に変形させられるか。彼女の目の前には、小型の高度な避雷針装置が用意される。そこに指先から電気を放つと、当然の物理法則に従い、雷は金属へと引き寄せられる。その補助を利用して、自身の生体電流が空間を伸びていくという微細な感覚を脳髄に刻み込む。そして次の段階として、避雷針という誘導装置無しで、己の意志のみで電気を任意の方向へ伸ばせるようにするという、地道で過酷なトレーニングを繰り返した。
当初、本物のスタンガンと全く同じく、ただ指先からバチバチと無秩序に電気を放出することしか出来なかった普並木だが、最近になってようやく、空中にミミズが這うようにクネクネと不格好ではあるが、数センチほど意図した方向へ伸ばせるようになったのだ。
「ぐ、ううう……っ!」
だが、今の普並木は限界の淵に立っている。額からは滝のように大粒の汗が流れ落ちる。過度な集中により顔が茹でダコのように真っ赤に染まり、神経を研ぎ澄ませた指先が痙攣を起こしたように小刻みに震え、肉体と精神の限界を同時に迎える。
プツン、と目に見えない糸が切れたかのように、空中の電気が途絶えた。
「も、もう無理……死ぬ……」
はぁはぁと肩で荒い息をして項垂れ、がっくりと重力に負けて肩を下ろす。
「お疲れ様っ。あんまり根詰めて無理しなさんな」
様子を見ていた黒角が、労うようにぽん、と清潔な冷たいタオルを彼女の肩越しに手渡した。
「ありがと、鏡乎……」
普並木は息切れをしたまま力なくタオルを受け取り、顔面を覆う汗をごしごしと拭う。
「すごいじゃん、杏璃。さっきの電気、十センチは確実に伸びてなかった? 大進歩だよ」
黒角が、友人のささやかな成長を心から喜んで褒めるが。
「ええと、それ、本当に褒めてるの?」
「本気で褒めてるよ。嘘偽りなく」
「なんか、全然嬉しくないなぁ……」
タオルを首にかけ、再び力なく自分の指先を見つめる。少し意識を集中させると、バチバチ、と線香花火のように頼りない小規模な電気が発生した。同じ電気系能力者の枠組みで見れば、これはかなりの弱能力に分類される。戦闘に特化した同系統の強力な電気使いならば、今の普並木が限界まで疲弊して行った程度の電流操作など、寝起きで欠伸をしながらでも朝飯前にやってのける。この国において国家指定クラスの危険度を誇ることは間違いないであろう、あの規格外の雷撃を操る電気使いの鴨紅柄長であれば、街の電力を全て賄えるほどの巨大な電流を、さらに精密に神の如き精度で扱うなど造作もないだろう。
以前、あの底知れない亜鳴蛇筮麽に能力を褒められ、一時は有頂天になって舞い上がった普並木だが、やはりこうして周囲の環境により明確な現実を見せつけられてしまうと、底なし沼に沈むように深く落ち込んでしまう。それほどまでに、能力コンプレックスという呪縛は彼女の心に根深く張り付いている。特に、ただ叩くだけの強力な棍棒を生み出す河海や、手を宝石化し、常識外れの超パワーをいとも容易く発揮する黒角という、身近な二人が目の前でどんどんと目覚ましい成長を遂げる様を見せられると、余計に自身の無力さを気にしてしまう。
「でもさ、杏璃」
黒角が、落ち込む友人を慰めるように穏やかな声でいう。
「なにさ」
顔を上げず、ぶっきらぼうに返す。
「もう少し、考え方の角度を変えてみればいいんだよ。ほら、君の能力って、指先からとはいえ、電気が両手からちゃんと均等に出るわけじゃん?」
「それがなによ。スタンガン二つ持ってるのと同じじゃない」
「あたしがまだ小学生だった頃さ、杏璃と同じような電気使いの男子が同じクラスメイトにいたんだよ。でもね、その男子、足の親指から微弱なスパークが出るだけの能力だったんだよ。足の、しかも親指限定な完全なハズレ能力だって、本人はいつも泣きそうになりながら言ってた」
大げさに自身の足元を指さして見せる。
「だからさ、手の指から、しかも両手の十指全部から自由に電気が出るってなったら、それだけで能力面では結構十分で、恵まれてるんじゃない?」
「う、うーん……」
そうかなぁ? と納得のいかない渋い顔をし、不機嫌そうに眉をひそめた。
「それにさ、あたし、この前暇つぶしにヨーチューブのショート動画でも見たんだけどね? 小指の先から百円ライター位の小さな火が出るだけとか、感情が高ぶると髪が勝手に逆立つとか、そういう笑えないくらい限定的で地味な能力も結構世の中には溢れてる訳。だから、両手の指全部からスタンガンレベルの電気が出るとか、そう客観的に考えると、かなりの当たり枠じゃない?」
黒角はひらひらと両手を振り、世間の広さを説いてみせるが、
「あんたねぇ。両手がダイヤモンドになって、自動車すら持ち上げられそうな能力持ちに言われても、微塵も説得力ないわっ」
普並木は、一切の誤魔化しを許さないジト目で見つめた。目の前の、両手が眩い宝石化をし、防御力も攻撃力も桁違いの超パワーまで発揮する強能力の持ち主に言われても、手放しには喜べない。彼女の性格上、決して嫌味やマウントで言っているのではないのは痛いほど分かっているのだが、どうしても素直に受け取れない自分がいる。
「ま、まぁうん。一生懸命励ましてくれてありがとう。確かに、上を見ればキリがないし、下を見てもキリがないってのは、そうかもね」
だが、普並木ももう立派な二十歳。社会の酸いも甘いも少しは理解し始めた十分な大人だ。
折角の友人の不器用な善意を、意固地になって無下にはしたくない。
それに、黒角は自身の強力な能力を鼻にかけて自慢げにしたり、他者を見下して見せびらかすことも決して無い。強能力持ちゆえの圧倒的な精神的余裕と言ったらそれまでかもしれないが、彼女が他人の痛みを笑うような下劣な性格ではないことは、長年の付き合いで誰よりもよく分かっている。なので、これ以上陰鬱とした暗い気分を見せ続けるのは、気を使ってくれている友人にひたすら申し訳ない。
「で。鏡乎の調子はどうなのさ」
気分を切り替える。
黒角の特訓の進捗を尋ねた。
「ん? あたしね。さっきも言ったけど握力に注視してもらってさ、ピンチ力って言うのがあるのね。指先のつまむ力ってやつ。それを重点的に鍛えようって、マッチョなトレーナーさんに提案されたんだけどね。……ちょっと見ててよ」
黒角が、近くの機材机に置かれた専用の操作リモコンのボタンを押した。眼前の空間に、一メートル程の巨大な岩石が虚空よりシュン、と音を立てて突如として現れた。それは一見するとただの光学的なホログラムではあるが、最新鋭の仮想現実実体化霊子投影という高度な空間技術により、触覚はおろか、実際に本物の花崗岩と全く同じ硬さと膨大な質量が一時的に付与されている。
すっと右手を眩い宝石化させ、鋭い手刀の形にする。
しなやかな動作で腕を高く振り上げた。そして、無造作に振り下ろす。
ただ単に岩を叩き割るのではなく、ダイヤモンドと化した指先で、表面を引っ掻くようにして岩の曲面をなぞる。
ガキィンッ、と火花が散るような甲高い音を立て、硬い岩の表面がいとも容易く削り取られた。削られた表面。まるで研磨機にかけられたかのように滑らかな光沢を放っている。さらに彼女は流れるような動作。
左手。同じように手刀を振り下ろす。
そのままリズミカルに。
二撃、三撃。
数秒後、巨大な岩の表面。彼女の五本の指の形がくっきりと、まるで粘土に押し当てたかのように深くえぐられた痕跡がついた。
「げえっ!?」
普並木が目玉を飛び出さんばかりにびっくりして、素っ頓狂な声を上げた。
「あたしの能力って、普通にボクシングみたいに殴ったりしたら、手首に反動が来て捻挫したり最悪折れたりするじゃん? だから、打撃じゃなくて、この硬い指先だけを使って対象を削り取るように使えばいいって。それなら、脆弱な手首への負担も最低限で済むんだよ」
解説を交えながら、黒角は岩に、大きく開いた指先をそっと当てた。ぐっ、と軽く力を込めると、岩の表面にメキメキと亀裂が走り、ダイヤモンドの指がビキビキと豆腐に指を突っ込むように深くめり込んでいく。
「ま、大体こんな感じかな? 結構強いでしょ?」
涼しい顔で手を引き抜く。宝石化を解いて元の美しい肌の手に戻した。そして、再びリモコンのボタンを押して、ボロボロになったホログラム岩を空間から消去。
「……」
普並木は、完全に言葉を失い口を一文字にした。自分から近況を訊いたとはいえ、目の前でこんな常軌を逸したバケモノじみた強能力の進化を見せられるという、公開処刑のような屈辱。だが、黒角はそんな友人の心中を察してか察せずか、あっけらかんと笑いながら、
「でもさ、こんな指先の力が無駄に強くなっても、日常生活じゃこれ以上、なーんの役にも立たないけどね。缶詰の蓋が開けやすいとか、その程度間に合ってるし。あんな得体の知れない亜鳴蛇のやつに勝てる訳じゃないだろうし。そもそも河海の勝手な独りよがりだし、あたしたちが亜鳴蛇に勝つ必要も全くないというか……」
「あー、言われてみればそれは確かにそうかも。亜鳴蛇、初対面から何考えてるか全然分かんなかったし不気味だったけど、なんか根っからの悪い人には思えないんだよねぇ……私のこの弱い電気のことも、あの時バカにせずに褒めてくれたし」
普並木も毒気を抜かれたようにふふ、と笑い返す。街を破壊するような強力な能力は少年漫画のようなロマンだが、平和に生きる一端の女子大生にそんな過剰な暴力装置は、どう考えても必要ないのかもしれない。
……いや、電気の能力だとやはり生活の役に立ちそうだから別だ。とてもじゃないが、今の自分の微弱な火力と不安定な電気制御では、ホロフォンの充電には火力不足だし、電気制御もおっくうで、夢の電気代節約などで上手く活用できる気が微塵もしない。
なんで、自分はこんなにも弱いのだろうか。
「はぁ……やっぱり、なんだかんだ言って強能力は羨ましいし憧れるなぁ」
天井を仰ぐ。本音を含んだ深いため息を零した。




