家系ラーメン八卦屋-前編-
真新しい白木の看板に踊る八卦屋の豪快な筆文字。その暖簾を潜った先。店内。凄まじい喧騒と、暴力的なまでの豚骨と醤油が煮詰まった獣の芳香が充満していた。壁面には開店を祝う色鮮やかな胡蝶蘭や、同業他社から贈られた『祝・NEWオープン!』などと記された華美なフラワースタンドが所狭しと並べられている。朱色を基調としたカウンターの上部。威勢の良い筆致で書かれた無数の品書きが掲げられ、食欲を否応なく刺激する。
外の殺人的な日差しのもとに行列こそ出来ていなかったものの、店内を見渡せば席はほぼ満席の盛況ぶりを見せていた。各々が目前の丼に全神経を集中させ、一心不乱に麺を啜る音が絶え間なく響き渡っている。
「あーっ! 涼しいっ! 生き返るぅーっ!」
伽羅部が両手を広げ、歓喜に満ちた甲高い声を張り上げた。
筮麽は内心で少しだけうるさいな、と毒づく。だが、確かに外の灼熱地獄と比較すれば、強力な空調設備が稼働する店内は断然気温が低く快適に保たれている。
しかしその急激な温度変化のせいで、外気に対抗すべく先程まで体温を下げる能力を稼働させていた筮麽の肉体は、過剰な冷却により僅かに肌寒さを感じていた。彼女は息を吐くように自然な動作で体温を上げる能力へと切り替え、自身の基礎体温をこの空間における最適な状態へと微調整する。
涼しい冷気が吹き荒れる店内。だが、それでも一心不乱に丼と向き合う人々の異様な熱気、そして目前の厨房から絶え間なく押し寄せる灼熱の蒸気だけは、いかに優れた空調設備であっても完全に誤魔化すことは出来ていない。
「いらっしゃいまっせぇぇぇっ!」
厨房の奥から、頭に落ちる汗を防ぐための白いタオルを固く巻いた、いかにも陽気で体育会系な店員の野太い声が響き渡った。どうやら彼がこの店舗の店長らしく、新店舗が開店されたばかりという状況も相まって、その声音には並々ならぬ気合いと情熱が込められている。
筮麽はこれから胃袋に収まるであろう極上の脂と炭水化物を想像し、食べる前からワクワクが止まらず、胸の奥底で高鳴る鼓動を感じていた。現代社会において、飲食店に設置される食券機はホログラム技術の進歩により、空間に投影された仮想の盤面を操作する完全非接触型が主流となっている。
だが、この店では旧時代の元祖家系ラーメンの無骨な伝統をリスペクトし、物理的な硬貨や紙幣を直接投入するタイプ、すなわち重厚な金属音を響かせる旧式の食券機が鎮座していた。
「で、アンタは何頼むのさ?」
横に立つ伽羅部が、既に手慣れた様子で自身の食券を買い終えながら尋ねてくる。彼女の掌には、豚骨醤油の全MAXラーメン、追加トッピングの巨大チャーシュー、そして単品の唐揚げという、およそ一般の女子大生が頼むとは思えない恐るべき熱量の塊を示す紙切れが握られていた。
「いいね、私も同じのにしよ」
筮麽は気怠げな動作で、薄手の紺色の上着のポケットから自身の財布を取り出す。上質な黒の革製で平べったく、無駄に場所を取らない極めてスマートな意匠の財布。その中から無造作に一万円札を引き抜く。機械の吸い込み口。滑り込ませ、迷うことなく伽羅部と同じ全MAXラーメンの物理ボタンを押し込んだ。もちろん、先程伽羅部から熱弁された丼を覆い尽くす巨大なチャーシューを求め、トッピングの欄も迷わず選択する。
ガチャン、という小気味良い音と共に吐き出された食券を拾い上げる。
「あ、これも頼も」
ぼんやりと発券機を見つめたまま、流れるような手つきでさらに唐揚げ、そして餃子のボタンを押し込む。それだけでは飽き足らず、彼女の人差し指はトッピングのうずらの卵のボタンをドスドスと容赦なく五回も連打した。
気が付けば、表示された合計金額はとうに三千円の壁を超過している。お釣りの札と、じゃらじゃらと音を立てて払い出された小銭を回収し、束になった何枚もの食券を抱え込む筮麽。
「アンタ、いくらなんでも頼みすぎじゃない? 大丈夫なの? ついさっき、お金ないって言ってたのに」
伽羅部が呆れたような、怪訝な顔をして鋭く指摘する。つい先程、お気に入りのタバコをカートン買いして金欠に陥っていると愚痴をこぼしていた矢先にこの散財。
もっとも、彼女自身も以前このプレオープンで七杯ものラーメンを平らげて生活費を吹き飛ばしている身分であるため、あまり他人の金銭感覚を非難できる立場ではないのだが。
筮麽は悪びれる様子もなく、平然と返す。
「いいのいいの。美味しいものを食べるのは何よりも優先されるべき絶対事項でしょ。お金のことは……後から考えればよし」
「確かにっ! せっかく来たのに遠慮してちまちま食べてたらもったいないよねっ。よーし、アタシも炒飯頼もっと!」
筮麽の刹那的で快楽主義的な意見に、無限の胃袋を持つ伽羅部も嬉々として同意し、再び食券機に小銭を投入して追加注文のボタンを叩く。
「じゃあ私もー」
筮麽もつられるように残りの小銭を投げ入れ、炒飯を追加注文した。スマートな革財布が受ける深刻な物理的ダメージなど、今の彼女の思考の片隅にも存在しない。
だが、ふと食券機の盤面全体をぼんやりと見渡し、ある重大な欠落に気がついた。メニューのどこを探しても、ライスの文字が存在しない。
「ん? ライスは? 家系と言ったら、スープを吸わせた海苔で巻いて食べるライスは絶対に必須の存在なのに」
「あぁ、ここはライスは自由に取り放題なんだよ。ほら、こっちの下の方に書いてあるでしょ」
伽羅部は得意げな顔で、食券機の下部に貼り付けられた派手な掲示物を指さした。
そこには、『ライスは食べ放題です! 残さず食べてね!』と、いかにも家系らしい熱血的な太字の手書きポップが躍っていた。
ふと視線を店内の中央へ向けると、確かにそこには業務用の巨大な炊飯釜が鎮座し、白い湯気を立てているのが見える。
「ほんと? やったー」
筮麽は虚ろな瞳の奥に僅かな歓喜の光を灯し、喜びの声を漏らした。
現代社会において、多種多様な異能の普及や科学技術の飛躍的な進歩により、生産における新たなエネルギー効率や資源の獲得量は旧時代とは比較にならないほど増大していた。それに伴い、深刻な物価高や食糧・資源不足の危機は過去の遺物として収束を見せている。そのため、このようにライスが無料で取り放題という太っ腹なサービスを提供する家系ラーメン店は、現在では決して珍しいものではなくなっていた。
「だからといって、釜の中身を全部食べ尽くしたらいけないからね。初日で出禁になったらたまんないでしょ」
「えー、ダメか。流石に出禁は嫌だなぁ、我慢しよ」
伽羅部の的確な忠告に、素直に同意して頷いた。
以前、ケンタッキーの食べ放題企画において、店の在庫チキンを筮麽と共に文字通り食い尽くし、白熱とした戦いを繰り広げ、店長を泣かせた(ただし嬉し泣き)前科のある二人だが、流石に新店舗で初っ端からブラックリスト入りするような愚行は避けるべきだという、最低限の小市民的常識は持ち合わせているらしい。
「こちらのテーブル席にどうぞーっ!」
厨房から飛び出してきた、溌剌とした雰囲気のアルバイトと見られる女子高生店員が、元気いっぱいの声で二人を案内する。丁度タイミング良く奥の四人掛けテーブル席が空いたようで、筮麽と伽羅部はどす、と重い音を立てて向かい合うように席に腰を下ろした。
広々とした木目のテーブル席。
これならば、二人が狂ったように大量注文したメニューの数々で、狭いカウンター席が窮屈に埋め尽くされるという悲劇は回避されそうだ。二人は手に持っていた分厚いトランプの束のような食券を、まとめて女子高生店員へと手渡す。
「ええと、全MAXラーメンが二つ、追加チャーシューが二つ、唐揚げが二つ、餃子が一つ、片方はうずらが五つ、炒飯が二つ……ですねっ!」
店員は目を丸くしながらも、プロとしてしっかりと二人の異常な枚数の食券を読み上げ、注文の確認を行う。
「お好みはいかがしましょうか?」
続いて、家系特有の儀式とも言える質問が投げかけられた。
「もちろん固濃い多め。アンタは?」
「私も同じー」
「分かりました、麺固め、味濃いめ、油多めでお作りしますねっ!」
両者共に、一切の妥協を許さない、麺固め、味濃いめ、油多めという最も暴力的な選択を下した。
そして、ここで伽羅部が勝ち誇ったような笑みを浮かべ、すっと懐から一枚の紙切れを取り出した。
それは、八卦屋の開店を知らせる宣伝用チラシの隅に付属していた、トッピング無料券。幾つかの選択肢が羅列されたその紙面の中には、食券機の正規メニューでは購入することが出来ない「麺増し」の項目が燦然と輝いていた。
「これ使って、麺増しでお願いしますっ!」
伽羅部は獲物を仕留めた肉食獣のように元気よく宣言した。
「あ、これ一グループで全員に使えるやつだから、アンタも選びなよ」
「ほんとー? じゃあ、私も麺増しで」
筮麽も伽羅部のおこぼれに預かり、迷わず同じ選択をした。規格外の胃袋を持つ彼女にとって、無料の麺増しなどという神の恵みは、決して逃してはならない絶対の好機。
「お二人とも麺増しですね、かしこまりましたっ! 出来上がりまで少々お待ちくださいっ!」
満面の笑みで注文を復唱し、店員が弾むような足取りで厨房へと駆け戻っていく。筮麽は向かいに座る伽羅部をじっと見つめ、感嘆の息を吐いた。
「やるねー。あんな紙切れのチラシまで、隅々までチェックしてたんだ」
「当たり前でしょ。アタシは食に関することなら、どんな些細な情報でも絶対に逃さずチェックするんだからっ!」
自慢げにふんす、と鼻を鳴らし、腕を組んで胸を張る伽羅部。自称大食い女王として電脳交友網で名を馳せる彼女の名声は、こうした地道な努力の賜物であり、決して伊達ではない。
筮麽は内心で、その食に対する異常な執念に素直な羨望の気持ちを向けていた。もし自分であれば、そんな細かい紙切れの文字を読むことすら面倒なのでマメな確認作業など絶対にしないし、しようと決意した数秒後には忘却の彼方へ消え去り、見逃しかねない自信がある。
実際のところ、彼女の住む安アパートの郵便受けにも八卦屋オープンのチラシは律儀に投函されていたのだが、極度の面倒くさがりである筮麽は気付くことすらなく、他に何枚も無造作に押し込まれ玄関の床に散乱していた不要なチラシごと一纏めにし、内容の確認もせずゴミ袋の奥底へとぶち込んでいたのだ。
この世界において最強の能力を有する女は、己の怠惰な性格ゆえに、こうして日常に潜む数多くの恩恵や機会を無自覚にドブに捨てていることが多い。
ラーメンが茹で上がるのを待つ間、筮麽はテーブルの端に置かれた透明なウォーターピッチを引き寄せ、結露したグラスに冷水をなみなみと注いで口に運んだ。
氷で冷やされた水が、渇いた喉の奥へと心地よく滑り落ちていく。これから胃袋に叩き込まれるであろう、凶悪なまでに濃厚な塩分と脂分を迎え撃つための、事前の準備運動のようなものだ。
向かいの伽羅部もまた、干からびた砂漠でオアシスを発見した旅人のように、「生き返るぅ」と呟きながらグラスの水を一気に煽っていた。
「……ところでさ」
伽羅部がウォーターピッチから二杯目の水をグラスに注ぎ足しつつ、不意に口を開いた。
「ん?」
「筮麽の能力、ここでもっかい見せてくんない? ほら、あの指からウネウネと触手が生えるやつ」
「あー、これか」
持っていたグラスを置き、左手を自身の顔の高さまで持ち上げた。そして、何の予備動作もなく、左手の指の数本を異形の触手へと変異させた。
毒々しい紫色を帯び、まるで高度な技術でメッキ加工を施したかのようにメタリックな光沢を放ち、先端が刃物のように鋭利に研ぎ澄まされた金属質の触手。
彼女が、自身の真の力である視認した能力を行使する能力という国家転覆すら容易い絶大な異能を隠蔽するため、戸籍上の登録として便宜上申請している身体から触手を生やす能力。
その冷たい無機質な触手を、伽羅部の眼前で意思を持つ生き物のようにウネウネと蠢かせてみせた。
「おおー。筮麽のそれ、やっぱりなんか独特でかっこいいね。一番最初に出会った時に見せられた時は、マジでキモイってドン引きしたけど」
「え? かっこいいでしょ、私のこの洗練された触手」
褒められたのか貶されたのか分からない評価に、むすっと不満げに頬を膨らませる。
「ごめんごめん。でも、冷静に考えたらめちゃくちゃ便利そうだよね、それ。日常生活で色んな悪用……じゃなくて、活用が出来そうだし。例えば、布団に寝転がったままその長い触手で冷蔵庫の中身を取ったり、その鋭い刃物みたいな部分で包丁代わりに料理の食材を刻んだりできそうじゃん。遠くにある調味料も座ったまま取れるんじゃない?」
大食い系インフルエンサーとして生きる彼女らしく、能力の有用性を示す例え話は見事なまでに全て食べ物や料理関係に終始している。
「そうそう。しかも私さ、これ単なる触手ってだけじゃなくて、別に属性変化まで扱えるんだよね。ほら、こんな風に表面を粘着質にしたりもできるよ」
筮麽は自慢げに、もう片方の右手も持ち上げ、その指先を同様に触手へと変化させた。
そして、目の前で二本の触手の性質をドロドロとした粘着性のガムのように変化させ、器用に交差させてあやとりの要領で星の形などを作り出してみせる。
「うわっ、すっご。それってつまり、二重属性ってやつ?」
「んー。多重属性ってやつかな。ほら、材質だけじゃなくて、他にもこんなこと出来たりして」
さらに、自身の技術の高さを誇示するように、粘着質の触手の色を鮮やかに変化させてみせた。目の前の伽羅部の薄紅色の髪色を正確に模倣し、毒々しい紫色から愛らしいピンク色へと一瞬で染め上げる。
そして、すぐさま再び鋭利な刃物状の硬質な形態へと戻してみせた。
「えぇっ!? まじぃ!? た、多重属性ぃ!?」
ガタッ!
大きな音を立てて。
伽羅部が驚きのあまり席から腰を浮かせ、身を乗り出した。
この異能普遍社会において、変色する紙を出したり、水と炎を扱うなどといった二重属性能力者であれば、学校のクラスに二、三人は存在するありふれた代物であり、それほど珍しいものではない。だが、三つ以上の全く異なる性質を兼ね備える多重属性ともなれば、その希少性は桁違いに跳ね上がる。
伽羅部のうっかり発せられた大声のせいで、周囲でラーメンを啜っていた他の客たちからの好奇の注目が一斉に集まってしまう。
ただでさえ目立つ容姿をしている上に、これ以上無駄に世間の目を惹きつけることは、平穏で怠惰な生活を至上の目的とする筮麽にとって最も忌避すべき事態。
「瞰。声がうるさい」
「あっ、やば。ごめんごめん」
筮麽の低い声での冷ややかな注意を受け、周囲の視線に気づいて気まずそうに席へと引き下がる。そして彼女は再び腕を深く組み、感心しきった様子で唸った。
「はぁ~、なるほどなるほど。こりゃマジでおったまげたわっ。多重属性の能力者とか、アタシが通ってる地女大でも噂に聞くくらいで、実際にはほぼいないし」
目を丸くして、目の前で蠢くピンク色の光沢を放つメタリックな触手を食い入るように見つめる。
「でしょー。めちゃくちゃレアな能力なんだよ、すごいでしょ」
してやったりという顔で、ふんす、と得意げに自慢してみせた。だが、ここで伽羅部がポンと手を叩き、何かに合点がいったような表情を浮かべる。
「あ。分かった。だからアンタの能力、あんなに燃費悪いんでしょ?」
「え?」
「ほら、前にケンタッキーで別れる時に言ってたじゃん。『この能力、維持するのにめちゃくちゃ燃費悪くて、使ってるとすぐお腹空くんだよね』って」
「……あー、そうなんだよね。今ちょっと使っただけでも、結構なカロリー消費しちゃったよ」
触手。スッと元の美しい指先へと戻す。大層疲弊したような大根役者ぶりで演技をする。
本人は先程まで完全に忘却の彼方だったが、伽羅部のような消化器官に特化した大食い系の能力ではないにも関わらず、明らかに人間の胃袋の限界を超えた量のチキンを平らげた彼女に対し、伽羅部から能力の正体を問いただされた際のことだ。
まさか、あらゆる異能をコピーし自在に操る神のごとき力を保有しているなどと、正直に吐露する訳にもいかない。そのため、あくまで戸籍上の偽装能力である触手を提示し、その大食いの辻褄を合わせるための苦し紛れの言い訳として、「自分の触手能力は燃費が悪すぎるから常に飢餓状態にある」という咄嗟の嘘をついたことを、今更ながらに思い出した。
「まあ便利かもだけどさー、この燃費の悪さのせいで、長時間使い続けるような実用性は極めて低いかなぁ」
もっともらしい顔をして話を合わせ、それっぽい不便さを口にする。
「せっかく色んな応用が利いて実用性のありそうな能力で、しかも激レアな多重属性なのにもったいないねぇ。もし燃費のデメリット無しで使い放題なら、戦いとかでも相当強そうなのにね」
伽羅部が、純粋な感想としてそう口にするが、筮麽は即座に首を横に振って否定した。
「瞰、男みたいな血の気の多いこと言わないでよ。能力ってのは、そんな暴力的な事なんかに使うための道具じゃないの。いかに日常を適当に、だらだらと快適に過ごすためだけに使うものだから」
「ぷっ。あはは、そりゃそっか」
筮麽のあまりにも堂々とした怠惰宣言に、伽羅部は吹き出して笑い、同意するように言葉を続ける。
「ほんとにね。男って生き物はすぐそれだよね、自分が目覚めた能力でどうやって戦うかとか、誰が一番強いかとか、そういうことばっかり考えてさ。野蛮よ、ヤ・バ・ン」
「うん。そういうバトル展開は、漫画とかアニメの中の世界だけで十分だよ。実際、私たちの日常生活で能力を使って戦うことなんて万に一つもないでしょ。そもそも私刑は法律違反だし、正当防衛でも、警察のお世話になったら疲れるだけだし」
筮麽は、ぼんやりとした虚無の瞳を保ち、淡々とした口調で言い切る。血気盛んな年頃の男子などは、己の能力をいかに戦闘に転用できるか、強さに直結するかということに執着しがちだ。
だが、彼女にとって異能という力は、日々をいかに怠惰に、そして無駄な労力を使わずに過ごすための便利な道具に過ぎない。現に今、異常な燃費の悪さを改善するという名目で、無数に保有する能力を同じカテゴリごとに圧縮・整理した結果、以前よりも何十倍、何百倍も強大な出力を得てしまい、その気になれば世界を物理的に滅ぼすことすら容易い力を手にしてしまった筮麽。
彼女はそんな神をも恐れぬ絶大な能力を、クーラー代わりに冷気を出すためや、日焼け止めの代わりに紫外線を弾くためなど、ひたすらに堕落した生活を謳歌するためにしか使用していない。
「だよねー。警察の特殊部隊だの、国家の防衛機関だのを志望してる熱血漢じゃあるまいし、アタシらみたいな一般の女子大生に戦闘力なんて微塵も必要ないか」
伽羅部も、筮麽の徹底した平和主義的───実態は極度の怠惰な発言に、深く頷いて同意した。
「それより、早くラーメン来ないかなー。話してたら、さらにお腹ぺこぺこになってきた」
筮麽の脳内は、そんな野蛮でどうでもいい戦闘力についての議論よりも、眼前に迫る極上の食卓についての思考で完全に占められている。
「確かにぃー。アタシの胃袋も限界突破して鳴ってるよ」
伽羅部も同調するように腹をさすり、暴力的な匂いの発生源。厨房の奥へと飢えた視線を向けた。
厨房内では、熱気で赤ら顔になった店長と屈強な店員たちが、巨大な寸胴鍋からもうもうと立ち昇る豚骨の白煙に包まれながら、戦場のような目まぐるしさで平ザルを振るい、豪快な湯切り音を響かせている。その活気溢れる光景は、間もなく二人の前に提示されるであろう圧倒的な熱量の塊への期待を、最高潮にまで高めていた。




