宿敵との再会
じりじりと、本格的な夏の到来を予感させる太陽。アスファルト。容赦なく焦がすように照らし付けている。全人類が特異な能力に目覚める前の旧時代と比較して、現在の地球環境は平均気温が数度上昇しており、まだ夏の入り口であるというのに、この日の最高気温は既に四十二度を優に超えていた。空を見上げれば、無数に宙を舞う自律型冷気散布機が交差して飛び交い、人工的な風と冷却ガスで懸命に空気を冷やそうと稼働しているが、それでも天から降り注ぐ灼熱の暴力を完全に抑え込むことは出来ていない。
そんな酷暑の街中を、待ち合わせの相手である伽羅部と合流すべく、とぼとぼと歩を進める長身の女がいた。すれ違う者たちが思わず目を奪われるほどの目を引く美女、亜鳴蛇筮麽。薄手の紺色の上着を気怠げに羽織り、その下から覗く半袖のTシャツ越しでもはっきりと分かるほどに、彼女の胸は豊満な質量を誇張している。
ギラギラと容赦なく降り注ぐ日差し。彼女の肩まで伸びたミディアムヘアを照らし、濃桔梗色の美しい髪の毛に艶やかな光の輪を浮かび上がらせている。
だが、奇妙なことに、これほどの猛暑の中を歩いているにも関わらず、彼女の滑らかな肌には汗ひとつ浮かんでいない。体温を下げる能力。そして体温を保つ能力の二つの異能の合わせ技。これにより、彼女の肉体は常に自身にとって最も快適な、ひんやりとした最適な温度に調整されている。さらに、筮麽はぼんやりとしつつ、一つの思考を巡らせた。
(今年も日差しが強くなりそうだなー…)
そう内心で呟くと同時に、保有する能力を一つ発動させた。紫外線を反射する能力。これは単一の力ではなく、紫外線に反応する能力、光を反射する能力、そして有害物質を除去する能力などの、彼女が過去に収集したいくつもの能力を緻密に組み合わせて作り上げた、筮麽オリジナルの複合能力。ひとつひとつの能力はささやかな効力しか持たない微力なものだが、他の強化系の能力により底上げと補強を行うことで、見事に実用レベルへと至る。
この見えざる防壁により、紫外線に含まれる肌への有害物質は完全に反射され、弾き返される。だが、人体に必須であるビタミンDの生成を促す波長などはきちんと取り込まれるように、あくまで紫外線の除去は最適な量になるよう精密に調整されている。
普段、莫大な保有能力を維持している為に燃費が極端に悪く、活動エネルギー、特に糖分を確保する目的で常軌を逸した暴飲暴食を繰り返している筮麽。それとは全く関係なしに深夜まで怠惰な夜更かしをしまくり、それに加えてヘビースモーカーである彼女が、モデル顔負けの美しいプロポーションと透き通るような肌を保ち続けている秘密のひとつが、この独自の能力運用にあった。
やがて、彼女は目的の駅前広場へと到着した。
集合場所。目印。
聳え立つそれ。
奇妙な造形の巨大なウナギの銅像。
視線。
辺りをきょろきょろと見回してみるが、待ち合わせ相手である伽羅部の姿が見当たらない。
「いたっ! 筮麽、来るの遅いっ! こんな暑い中待たせるなっ!」
突然、鼓膜を劈くような甲高い声が背後から聴こえた。だるそうに振り向く。そこには、筮麽ほどでは無いが───長身の女が仁王立ちしていた。
伽羅部瞰。
綺麗に切り揃えられた姫カットの薄紅色の髪。熱風に煽られて揺れている。都内に存在する<地雷系女子大学>、通称地女大に通う、筮麽と同年齢の二十歳の女子大生。その特異な大学の名前が示す通り、大きなリボンが所々に付けられた過剰な装飾のゴスロリ服に身を包んだ彼女。怒りで頬を膨らませている。
「やほ、瞰。一週間ぶり」
筮麽。全く悪びれる様子もなく、左手を軽く上げて挨拶を返す。
「アンタね、一週間ぶり、じゃない! 今、何時だと思ってるのっ!?」
当然のように伽羅部の怒りの導火線に火がつく。
「ええと、十一時過ぎくらい?」
「違う、もう十一時半! 十一時集合って言ったでしょ!」
「あれ? 少し待って」
首を傾げながら、ホロフォンを起動させた。空中に浮かび上がったデジタル時計の表示は、確かに既に十一時半を超えている。
「……?」
おかしいな、と筮麽は首を捻る。だが、彼女はすぐに自身の勘違いに気がついた。なんと、家を出たのは十一時少し前。彼女は無意識のうちに、友人の鴨紅柄長と会う時のいつもの感覚で家を出てしまっていた。柄長であれば、この筮麽という女が極めて怠惰で常に遅刻してくる生き物であることを熟知しているため、集合時間の三十分は遅く来るのが暗黙の了解となっているのだが、目の前の地雷系女子大生には当然そんな理屈は通用しない。
「ごめんごめん、柄長と会う感覚で来ちゃった」
微塵も反省の色が見えない平坦な声で、悪びれる様子もなく謝罪する。
「柄長? あぁ、あのちっさい電気の子ね。……まぁ、今回だけは許す。次からは絶対に許さないからね! じゃあ早速行こっ」
不満げに唇を尖らせながらも、伽羅部はくるりと踵を返して歩き出す。筮麽もだらりとした足取りでその横に並んだ。
「あの西圓寺って人は今日は大学?」
歩きながら、筮麽がぽつりと言う。伽羅部の同級生兼友人、西圓寺郝躬のことだ。
「郝躬のこと? アイツなら大学だよ。郝躬、アタシと違って真面目だからねー。美容学科なんだけど、絶対に講義なんかは全部一番前の席で受けてるし」
「へー」
筮麽は心底感心したような声を漏らす。自身は生来の怠惰な性格ゆえに、大学の講義など単位を取得できるギリギリのラインしか出席しないため、真面目な学生の生態がまるで未知の生物のように思えた。
そんな他愛のない雑談を交わしつつ、ふと伽羅部が横を歩く女の顔を覗き込む。そこで彼女は、異常な事態に気がついた。この殺人的な暑さの中を歩いてきたというのに、筮麽の顔には汗ひとつかいていない。
「てか、アンタ、なんでこんなに暑いのに汗ひとつかいてないのさ」
思わず、非難めいた響きを孕んだ声で尋ねる。
「え? ええと、私は昔から体温が低いから。これくらいの暑さ、へっちゃらなんだよ」
自身の本来の能力を話す訳にもいかず。
筮麽は、適当な言い訳をでっち上げて誤魔化した。
そして、証明とばかりに左手をスッと差し出した。
「ほら」
「うわっ、ほんとだ、冷たっ!」
恐る恐るその手に触れた伽羅部。
氷のように冷え切った筮麽の手。体温。心底驚いたような声を上げる。
「だからあんまり汗かかないの」
「へぇー。羨ましい。アタシなんか、家出る前に超微細制汗被膜を全身にベタ塗りしてきたっていうのにさー。夏はメイク崩れるし、ほんとに嫌い!」
自身の肌にべったりと張り付いた最新の汗止め用品の不快感を思い出し、羨望の眼差しを向けながら文句を垂れる伽羅部。
そうして連れ立って歩く二人の姿は、周囲の視線を強烈に惹きつけていた。
規格外の長身でありながら、冗談のように精巧に整った顔立ちと、上着の上からでも自己主張の激しい豊満な胸を持つ筮麽。
対する伽羅部も、筮麽ほどでは無いが、百七十八センチという女性にしてはかなりの長身であり、本人も頻繁にSNSに自撮りを上げるほど自身の容姿に絶対の自信を持っている。胸のサイズこそ隣の規格外には劣るが、それでも十分に大きい部類。
そんな目立つ二人が並んで歩けば、当然ながら道行く人々の耳目は嫌でも集まる。
自分へ向けられる熱視線に、ふふん、と伽羅部は内心で鼻を鳴らし、いつもであれば自尊心と承認欲求を満たす優越感に浸るところなのだが。
すれ違う通行人の視線。そのほとんどが彼女ではなく、隣を歩く筮麽へと向けられていることに気がついてしまった。
伽羅部も確かに見た目は非常に良いのだが、過剰なフリルとリボン、そしてダークな色合いを基調としたあからさまな地雷系ファッションやそのメイクゆえに、一般人からすれば無意識に「関わりたくない」という一種の防壁のような近寄りがたい雰囲気を漂わせているため余計だ。
面白くない事実を突きつけられる。その目。恨めしそうに横の女をジロっと睨みつける。しかし当の本人は、周囲の熱烈な視線など一切気にする素振りもなく、相変わらずぼけーっと虚ろな瞳。
普段から自撮りや大食い系のインフルエンサーとして電子の海を泳ぎ、SNS上で華やかに活動している伽羅部からすれば、自分が一番の注目を集められない状況は酷く気に食わないらしい。
「瞰、まだ着かないの?」
険悪な空気を察することもせず。単に腹が減っただけか、筮麽が間延びした声で尋ねる。
「もうすぐだよ。…てかアンタ、遅刻して来た分際で文句言うんじゃないっ」
「……と、ところで、新しく出来た家系ラーメンだよね。どんな感じなんだろう」
痛いところを突かれた。露骨に話を逸らす。
目を泳がせた。
「おい、今あからさまに話を逸らしたなっ。……まぁいいけど。アタシはプレオープンの時に先に一回行ってるんだけどね。めちゃくちゃ美味しかったよ。豚骨醤油のスープのキレが半端なくてね。麺も短めでもちもちだったし、特にチャーシューが規格外にでかかったのっ!」
自慢げに語り始めた伽羅部の言葉に、筮麽は<チャーシュー>という魅惑的な単語にピクリと反応を示す。
「へぇー、チャーシューね。そんなに大きかったの?」
「マジマジ。ほら、見てよこれ。めっちゃでかいし分厚いのよ、これが。ケチらずにチャーシュー麺にして大正解だったわー」
伽羅部は自身のホロフォンを素早く起動させ、得意げに操作する。自分がインストグラムに投稿した、渾身の写真を空中に映し出した。そこには、巨大な丼の表面を完全に覆い尽くす程の圧倒的な質量を誇る、分厚い肉塊のようなチャーシューが五枚も乗せられている画像があった。画面の端に表示された「いいね」の数は既に三桁を優に超えており、いくつもの関連するハッシュタグが付けられている。そして、熱心なフォロワーからの称賛の返信の数々が滝のように流れていた。
「ほんとだー。すごい肉厚だね、めっちゃ美味しそう」
筮麽の虚ろだった瞳に、途端にキラキラとした飢えた光が宿り、目を輝かせた。
「…でしょでしょ! それに見てよ、いいねもこんなに短時間でいっぱい着いてて……ほら、みんなの返信も絶賛の嵐で……」
「いや、それはどうでもいいんだけど。麺の写真はないわけ?」
「…………ほれ」
自身の圧倒的なSNS上の影響力を見せつけようとしたのだったが、無慈悲に言葉を遮られる。不貞腐れたようにすすっ、と指先で画像をスライドさせる。次に映し出されたのは、濃厚なスープを纏い、箸で高々と持ち上げられた黄金色の中太ストレート麺。
「おおー。いいね、いかにも王道の家系って感じの太さ。楽しみだなぁ」
伽羅部としては、自分のインフルエンサーとしての力量やいいね数を見せびらかし、マウントを取るつもりだったのだが、承認欲求とは無縁の食い意地だけが張った女には華麗にスルーされてしまった。
「ま、まぁ味の良さはアタシの舌が保証するよ。アタシもあまりの美味しさに一杯じゃ到底満足出来なくってさ、気づいたら七杯も立て続けに食べちゃったんだよね。お陰で一日分のバイト代が綺麗に飛んじゃったよ」
「いいなぁー」
呆れたような、しかしどこか誇らしげな伽羅部の言葉。
彼女が保有する、いくらでも食べられる能力。
それは、胃袋に収めた食物を即座に分解・消化吸収し、その膨大な熱量は体内に余分な脂肪として蓄積されることは一切なく、全てが彼女の強靭な歯や顎の筋肉の維持、あるいはさらなる胃酸の分泌や消化活動のエネルギーとして即座に変換・消費されるという、大食いに特化した燃焼系の異能。
なので彼女は物理的な限界を無視していくら食べても太ることはなく、文字通り無限に食べ続けることが出来る。筮麽自身もまた常人の理解を超えた大食いの化け物である為、彼女の七杯という狂気の沙汰としか思えない発言を聞いても、特に驚くこともなくすんなりと受け入れていた。
しかし。やや、じとーっとした執念深い目で伽羅部の横顔を見つめた。
「なに?」
伽羅部は疑問に思ったのか、頭にはてなマークを浮かべた。
そう、筮麽の脳裏には忌まわしい記憶が焼き付いている。以前、ケンタッキー店の食べ放題にて彼女と初邂逅を果たした際、売り言葉に買い言葉で大食い勝負へと発展した。
だが、いくら筮麽の胃袋が規格外であろうとも、純粋な物理法則に縛られた肉体である以上、明確な限界は存在する。人前で他能力を無闇に使う訳にも行かず、自身の奥の手である視認した能力を行使する能力により、彼女の能力を即席コピーして逆転勝利を収めようと試みた。しかし、能力の模倣に必須となる条件、すなわち、<その能力の根本的な本質と構造を深く理解する>という厳しい制約をその場では満たすことが出来ず、コピーはスカ。無惨な失敗に終わった。結果として許容量の限界となる満腹を迎え、無限の胃袋を持つ伽羅部の能力の前に見事に敗北を喫したという、大食い者として、プライドを粉々に砕かれた屈辱的な記憶がある。
だが、敗北の後に柄長伝で本質を理解したことで、今日の出会い頭に既に完璧なコピーを完了させている。もう大食い勝負で後塵を拝することはない、と内心で強く意気込んだ。好戦的な笑みを浮かべて口を開く。
「そんなに美味しいなら、今日の家系で大食い勝負、受けて立つよ。今度は絶対に負けないからね」
だが、自信満々の挑戦状に対する返答は、予想外に現実的なもの。
「アンタ、またボコされたいの? なら受けて立…いやいや。食べ放題じゃあるまいし、金飛ぶって。アタシはこの前のプレオープンでの暴食で完全に懲りてるんだよっ。今日は一杯をじっくり味わって食べるから」
あっさりとした拒否。伽羅部もまた、日々の生活費に喘ぐ一人の小市民の女子大生。一杯千円はする高価なラーメンを何杯も胃袋に流し込むなど、とてもじゃないが現在の金銭的状況が許さない。
「ちぇー。まぁ、私は初めての店だし、まずは普通に味わおうかな。それに最近はまたお気に入りのタバコをカートン買いしちゃったから、私もお金あんまりないし……」
肩透かしを食らった筮麽は、しゅんと肩を落として同意する。彼女もまた、金欠に悩む怠惰な小市民に過ぎない。
その言葉に、伽羅部は意外そうな顔をして目を瞬かせた。
「へえ、アンタ、タバコ吸うんだ?」
「うん。でもニコチン中毒ってわけじゃないよ。あくまでクールスモーキングで、煙の風味や香りをゆったりと味わう為だから」
少しだけ誇らしげにそう返した。その言葉を聞き、伽羅部も親近感を覚えたように破顔する。
「へぇ~。なんだ、意外と気が合うね。アタシも結構吸うんだけど、食後、特に脂っこいラーメンの後のタバコは最高だよね。メンソール系は持ち歩き必須よ」
「分かるっ。もはや、食後のタバコを美味しく吸う為の前座としてラーメンを食べていると言っても過言じゃないよね」
わいわいと、先程までの険悪な空気が嘘のように、お互い紫煙を愛する者同士のタバコトークで一気に盛り上がる。大食いという血生臭い闘争以外で初めて共通の話題が出来たことで、筮麽の中で伽羅部に対する印象が急上昇していた。
そうして他愛のない会話に花を咲かせているうちに、目的地へと辿り着いた。駅前の喧騒から少し離れた路地裏に、真新しい看板を掲げて新しく開いた横浜家系ラーメン<八卦屋>。
「ほら、着いたよ。ここね」
伽羅部は、黒地に力強い金色の筆文字で店名が書かれた巨大な看板を指さした。真新しい木材の香りが漂う重厚な引き戸と、外にまで漏れ出してくる豚骨醤油の強烈な獣の匂いが、空腹の胃袋を否応なく刺激する。
「運がいいな。丁度第一陣の客が引いてるっぽいよ」
伽羅部は店外の様子を見て安堵の声を漏らす。通常、新しくオープンしたばかりの話題のラーメン店ともなれば、長蛇の行列が出来るのが常。それに今はちょうど昼前の掻き入れ時だが、今日は幸いにも平日であり、目立つ行列はない。この殺人的な灼熱の太陽の下で長時間並ぶという地獄の苦行は避けられそうだ。
「早く入ろ、瞰。駅から結構歩いたからお腹空いたー」
極上のラーメンを待ちわびていたため、普段は低く間延びしている筮麽の声も、珍しく弾んだ色を帯びていた。
「だね、外は暑すぎて死にそうだし。店内は冷房ガンガンに効いてて涼しいから、早く避難しよ」
伽羅部は重い引き戸に手をかけ、足速に涼しい店内へと滑り込む。筮麽もまた、魅惑的な匂いに導かれるように、その後へと続いて足を踏み入れた。




