能力自由行使特措法-フリーダム・アビリティ・アクト-
十二
荘厳なる石造りの意匠が施された国会議事堂内部、広大な議場は特有の熱気と喧騒に包まれていた。この国において国会とは、単なる政治的審議の場に留まらず、全人類が何らかの異能を保有する異能普遍社会における、最も重要な議題を取り扱う情報交差点の役割を担っている。多種多様な能力が日常に溢れ返る現代日本において、能力に関する法律の整備や議論は、決して避けては通れない最重要課題として連日俎上に載せられていた。
「えー、皆様既にご存知のことと存じますが、我が国には能力自由行使特措法、通称───能力自由行使法という法律が施行されております」
初老の男性議員が演壇に立ち、厳かに語り始めた。他者に危害を加えず、かつ公共の福祉に反しない範囲であれば、能力の日常的な使用を広範に許可するという、この国の根幹を成す法案。これにより国民は過剰な抑圧から解放され、適度なストレス解消と社会の円滑な機能が保たれているという旨を、彼は滔々と説明し続ける。
「おいおい、横文字か漢字か、どっちかに統一しろよな!」
「そうだそうだ、聞いてて耳障りだぞ!」
一部の野党議員から心無い野次が飛ぶものの、男性議員は微塵も動じることなく視線を原稿に落とし、説明を続行する。
「故に我が国は、この能力自由行使特措法に則り、国民一人一人の能力を国家が詳細に管理、あるいは強制的に登録させるような真似は厳しく禁じられており、現在も実施していません。無論、戸籍上の手続きとして正確な能力名称の提出義務こそ存在するものの、最大限に基本的人権と個人のプライバシーは守護されています」
淡々とした解説。ただし、政治家などの公人にはある程度の能力開示が義務付けられており、著名人や俳優なども自己顕示の一環として公式の経歴に記載することが一般的となっているのが現状だ。
「さて、ここからが本題となりますが。国家指定危険能力についての審議に移りたいと思います」
男性議員の言葉を合図に、別の女性議員、辻物議員が議長から指名を受けてスッと立ち上がる。彼女は手元の空中投影盤を操作し、青白い光の板を空中に浮かび上がらせた。
「皆様ご存知の通り、強大な能力を悪用した大規模なテロリストなどに適用される、国家指定広域殲滅級凶悪能力という世界共通の指定名簿が存在いたします。近年の凄惨な事例で申し上げますと、アメリカ合衆国の連続殺人鬼によるオハイオ州での大量殺戮が記憶に新しいかと存じます。ある一人の男が引き起こした〝核融合を起こす能力〟による未曾有の大規模破壊は、現在も〝オハイオの悪夢〟として語り継がれております。恐ろしいことに、彼はこれといった犯罪歴のないただの引きこもりであり、このようにごく普通の一般市民であっても、一歩間違えれば凶悪な能力を行使し得る人物は世界中に無数に潜在しているのです」
眉根を寄せ、危機感を煽るように語る辻物議員。だが、能力自由行使法という強固な盾がある以上、いかに強大で恐ろしい能力を秘めていようとも、実際に犯罪行為に及ばない限りは個人の自由は完璧に保証される。しかしながら、あまりに規模が大きく強大な能力が、本人の悪意のない暴発や能力事故、あるいは些細な軽犯罪などによって世間に露見してしまった場合、国家はこれを直ちに国家指定危険能力として名簿に記載する。リストアップ自体は避けられないものの、その後に特段の問題行動を起こさなければ、国家からの過剰な監視がつくこともなく、身体の自由を拘束されることもないという、比較的寛容な措置が取られていた。
「さて、つい最近の出来事ですが。我が国においても、新たに国家指定危険能力者が一名発生いたしました。新潟県にて、〝万物を凍らせる能力〟を保有する女子高校生が、ある個人的な理由によりその絶大な力を白日の下に晒しました。専門機関の測定によれば、その最大出力は半径二キロメートルほどの空間を瞬時に冷帯の如く凍結させる、極めて危険な能力であると推測されております。事態を重く見た当局により即座に危険指定がなされ、連日各種の電脳交友網などで話題を独占し、トレンド入りを果たしたのは皆様もご存知のことかと思います」
辻物議員が語気を強めて報告するも、議場を包む空気は彼女の熱量とは裏腹に、極めて場違いなほどに気が抜け、弛緩していた。
「知らねぇよ、そんな田舎のニュース」
「ご存知じゃねぇっつーの。こっちは忙しいんだよ」
あちこちから投げやりな反応が返ってくる。辻物議員は露骨に微妙な面持ちを見せたものの、咳払いを一つして再び声を張り上げた。
「……その女子高校生は、決して人命などに危害を加えたわけではありません。知らないのであれば。皆様、彼女のその恐ろしい能力が露見した原因をご存知の方はいらっしゃいますか?」
その問いかけに、他の議員たちはまるで休み時間の学生のように、口々にくだらない予想を垂れ流し始める。
「あ、わかった! 大量の魚の冷凍保存とか? それで近場の冷凍業者が商売あがったりになって泣いたとか、そういうオチでしょ」
「いやいや、風邪か何かで、でっかいくしゃみをした拍子に近所のコンビニを丸ごと凍らせちゃったとか?」
「女子高校生だし、インスト映えとか言って、友達とふざけて校庭でも凍らせて遊んでたんじゃね」
次々と飛び出すダラダラとした緊張感のない意見の数々に、辻物議員は額に玉のような汗を浮かべながら、空中投影盤の資料を強く握りしめる。
「違いますっ! 彼女は『スケートがやりたい』という、ただそれだけの身勝手な理由で、ある湖一帯を完全に凍らせたんです!」
悲痛な叫びと共に明かされた真実に、議場がほんの僅かにざわめく。即座に別の大臣が操作盤を叩き、議事堂の正面に設置された巨大な大画面へ現地の映像が映し出された。そこには、真夏の日差しを弾き返すような、見渡す限りの白銀の氷の大地と化した広大な湖の姿があった。
「ああ、この氷華湖ですね。いやはや、今でも分厚い氷は全く溶ける気配がなく、地元ではそこを巨大なスケート場として再利用し、新たな観光名所にする予定だそうなんですよね」
映像を流した大臣が、まるで近所の世間話でもするかのように呑気に語る。
「なるほど、それはいいアイデアじゃね?」
「結果的に人が集まって地元の経済が回るなら、万々歳じゃん」
議場はすっかり、結果オーライの和やかな雰囲気へと包まれていく。だが、辻物議員だけは血相を変えて激昂した。
「冗談ではありません! ごく普通の一般人の中に、これほどまでに強大で制御不能な力を持った人物が潜んでいる現状を決して見過ごすわけにはいきません。したがって、やはり国家が主導となり、全国民の能力を徹底的に管理・統制すべきですっ!」
彼女の口から飛び出した、時代錯誤も甚だしい愚策の豪語。案の定、議場からは先程とは比べ物にならないほどの大量の怒号と野次が飛び交った。もしそのような全体主義的な法案を強行採決すれば、国民の間に抑圧に対する不満が爆発し、すぐさま全国規模の大暴動が巻き起こることは、誰の目にも容易に想像がつく事態。
全く納得のいかない様子で周囲を睨みつける辻物議員の耳に、一つの静かな、しかしよく響く声が届いた。
「意味のない政策だよ」
その一言に、辻物議員の堪忍袋の緒が切れた。
「今、意味のない政策と言ったのは誰ですか!?」
ヒステリックに甲高い声を上げて喚き立てる彼女に対し、野次を飛ばした声の主。現内閣総理大臣、安倍伸晋傘。総理の姿を認めた辻物議員の顔に、さらに濃い怒りの色が浮かぶ。
「安倍伸晋傘君」
議長から指名を受け、ゆっくりと座席から立ち上がる。悠然と場の中央へ進み出る安倍伸。彼は、般若のような形相で自身を睨みつける辻物議員に向かい、口元に余裕の笑みを浮かべて言い放つ。
「そんなに興奮しないでください」
半笑いで放たれた言葉に、辻物議員はワナワナと肩を震わせる。
「仮に我が国でその馬鹿げた法案を通したとして、即座に国民の自由が著しく侵害され、諸外国から非難を浴びる独裁国家へと成り下がってしまいます。能力という個人の根源が過剰に抑圧された結果、過去に隣国の中国でどのような凄惨な大暴動が起きたか、政治家である貴女なら当然ご存知だと思いますが?」
「そうだそうだ! 総理の言う通りだっ!」
周囲の議員たちから、総理の発言を支持する力強い野次が飛ぶ。しかし、辻物議員は一歩も引かず、食って掛かるように反論した。
「ですがっ! 今回の新潟の女子高校生のような、一歩間違えれば大災害を引き起こす強力な能力を持った者が、野放しにされているのが今の日本の恐ろしい現状ですっ! この危機的状況をどうお考えなんですか、総理っ!」
唾を飛ばさん勢いで騒ぎ立てる彼女を、安倍伸総理は冷ややかに見下ろす。
「まぁいいじゃんそういうの」
「良くないですよっ! それで仮にもし、未曾有の凶悪犯罪が起きた時、どう責任を取られるつもりですかっ!」
「馬鹿みたいな反論だな。一生懸命現政権を貶めようとしているその努力は認めますよ」
「しかし、過去、日本でも空間抉りの男率いるカルト組織などにより、テロリズムが起きたことはあります! それが、国民の能力管理不足によるものではないんですか!?」
飄々とした態度で躱されるも、辻物議員は非常にしつこく食い下がる。
「確かに、我が国でも過去に能力を悪用した大規模なテロリズムなどが起きた事実はあります。しかし、その発生頻度は世界的に見ても非常に少ない。日本は安全な国なんです。実際のところ、国家指定能力者がその後に大規模な問題や破壊活動を起こした事例は極めて稀有なケースに過ぎないのであります。それなのに、万が一の不安だけを煽って余計に国民を抑圧し、自由を奪うなど、政治の本来の役割から逸脱する言語道断の振る舞いであります」
淡々と述べる総理。
「私の言ってることは、そんなにおかしいことなんですか!」
声を張り上げ、悲劇のヒロインのように振る舞う辻物議員。
「おかしいよ」
総理の口から放たれた、あまりにも簡潔できっぱりとした全否定。その身も蓋もない一言に、他の安倍伸派の議員たちからドッと賛同の笑い声と拍手が沸き起こる。完全に四面楚歌となり、返す言葉を失い呆然と立ち尽くす辻物議員。
安倍伸総理は満足げに一つ頷き、議場全体を見渡して締めくくりの言葉を放つ。
「我々政治家のような社会的に強い者が、ただ力の赴くままに弱い者を振り回すようなことは、この国において断じてあってはなりません。くだらない政策で終わっちゃったね、また」
そう言い残し、彼は悠然と自身の席へと戻り、深く腰を下ろした。完膚なきまでに論破された辻物議員に対し、議場の四方八方から容赦のない嘲笑と野次の嵐が降り注ぐ。
その屈辱的な仕打ちに、彼女の精神の均衡が音を立てて崩壊した。
「う、ううっ……!」
極度の怒りと羞恥心により、無意識のうちに彼女の身体に異変が起きる。彼女の手首から先が、突如として目にも留まらぬ速度でブレ始め、不気味な風切り音を立てて高速振動を開始した。辻物議員の持つ、手が高速振動する能力。神聖なる国会の議場において、あろうことか私情による能力の無断行使という前代未聞の愚行に出た。
完全に理性を失い、怒りに任せてその振動する両手で、眼前の堅牢な木製の机をドォンと力任せに叩き割ろうと振り下ろす。このままでは超絶的な振動のエネルギーが物質に伝播し、高価な備品が粉々に破壊されてしまう。
だが、その刃のような両手が机の表面に触れる直前。
辻物議員の両手に突如として、海苔弁当の表面に敷き詰められた海苔のように真っ黒で不気味な長方形のモザイクが、空間を無視してピタリと張り付いた。
「なっ……!?」
自身の手に起きた異常事態に、辻物議員は目を丸くして困惑の声を上げる。高速振動していたはずの彼女の両手は、その漆黒のモザイクに覆われた瞬間、嘘のようにピタリと動きを止め、ただの無力な肉の塊へと成り下がっていた。
その現象を引き起こしたのは、席に座ったまま静かに右手を翳している安倍伸総理。彼が保有する、あらゆるものを黒塗りにする能力。この絶対的な漆黒のモザイクに塗りつぶされた対象は、それが物理的な運動であれ、特殊な概念であれ、その部位のあらゆる機能を強制的に喪失するという、いわばまさに総理に相応しい、反則的で恐るべき能力。それにより、辻物議員の手は能力はおろか身体機能すら一時的に失い、机の破壊行為は未然に防がれた。
総理はゆっくりと立ち上がり、議長席へ向けて軽く頭を下げる。
「緊急時ゆえ、やむを得ず能力を行使させていただきました」
そして、自らの愚行に青ざめてへたり込む辻物議員を見下ろし、冷徹な視線を浴びせる。
「…これはすみませんけどね。ここは学生が喧嘩をする能力戦の闘技場ではないんですよ」
ピンと張り詰めた空気の中、総理の静かな声だけが響き渡る。
「高い倫理観を持て」
その威厳に満ちた一言に、議場は一瞬の静寂の後、爆発的な歓声に包まれた。
「そうだ! 総理の言う通りだ!」
「恥を知れ、辻物!」
再び辻物議員へ向けられる大量の野次。ここに集う議員たちは、なんだかんだと言いながらも日本の平和や安全、そして国民の穏やかな生活を第一に考えて政治を行っている。だからこそ、一部の危険分子を口実に国民全体の能力を抑圧しようなどという極端な案は、こうして盛大なブーイングを受けて白紙に戻されるのが常なのだ。
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東京某所。ひび割れた壁。錆びた鉄階段が特徴的な、築年数の古い、木造モルタルの安アパート。その一室。
万年床の上に胡座をかき、ホロフォンが虚空に投影する国会中継の映像を、気怠げな瞳で眺めている一人の女がいた。
「国家指定危険能力かぁ」
そうボソリと呟いたのは、亜鳴蛇筮麽。くたびれた大きめのTシャツを身に纏い、全体的にぼけっとしていてだらしない雰囲気を漂わせている。彼女の焦点の合わない瞳は、常に目の前の現実ではなく、見えない虚空の彼方を見つめているような独特の浮遊感。
左手に挟んだタバコをゆっくりと吸い込み、紫煙を天井へと吐き出しながら、彼女は暇つぶしの映像に向けて独り言をこぼす。
「うーん、万物を凍らせる能力ね。まぁ、もう冷気系の能力は色々と使い勝手のいいやつをひとまとめにして整理してあるから、今の私には特に必要ではないかな」
気怠そうに、左手を何もない空間へと軽くかざした。
すると、彼女の掌から冷たい白い冷気がシューッと音を立てて噴き出した。
彼女が以前より燃費確保の為に行っていた、同系統のカテゴリ能力を独自にまとめ上げ、最適化して整理するという行為により、彼女は既に先程国会で話題に上がっていた女子高生の力を遥かに凌駕する、絶対零度の凍結能力をその身に会得していた。だが、いかに強大な力を持っていようとも、彼女はその力を世界を凍らせるためではなく、せいぜいこの寝苦しい夏の酷暑を凌ぐための、便利な自家製クーラー代わりにしか使用していない。
本来であれば、彼女の持つ視認した能力を行使する能力など、国家指定危険能力の枠すらぶち壊す最重要警戒対象であるはずだ。しかし、彼女の戸籍上の登録能力は、ただの多重属性の触手能力とだけ記載されている。これまで彼女は目立つような破壊活動も、警察の世話になるような軽犯罪すらも一切起こさず、ただひたすらに怠惰な日々を貪ってきたため、特段の監視マークもつけられず、どこにでもいるしがない一般人として社会の片隅で生息していた。
筮麽は左手の冷気を止めると、ホロフォンの中継を、模倣した柄長の電波能力により強制終了させる。
今日は、ひどく気が進まない用事がある。
そう、以前、ケンタッキー食べ放題店舗にて偶然知り合い、大食い勝負の末に彼女に屈辱的な完全敗北の味を焼き付けた、地雷系女子大学の伽羅部瞰。その忌まわしき強敵から一方的にホロフォンへ連絡が入り、わざわざ駅前で会う約束を取り付けられてしまった。
正直なところ、あの底知れぬ胃袋を持つやかましい地雷娘と顔を合わせるなど面倒極まりない。だが、伽羅部が提案してきたのは、最近駅の近くに新しくオープンしたという、界隈で話題の家系ラーメンの店に行こうという誘い。濃厚な豚骨醤油スープと海苔、山盛りのほうれん草、そしてチャーシュー。その魅惑的な文字列を脳内で反芻した瞬間、これは這ってでも行くしかないと、彼女の怠惰な本能が即座に決断を下した。
顔を見上げる。
質屋で買った、壁掛けの古い時計。
チクタクという音。
もうすぐ、あの地雷系女子が指定してきた理不尽な集合の時間になる。
(早く行こ。少しでも遅刻したら、あの地雷系に『遅いし!』とか言ってギャーギャー文句言われるだろうし……)
面倒くさそうに頭を掻き毟りながら、重力に逆らうようにして、むっくりと万年床から立ち上がった。ラーメンのスープをすする自身の姿を想像し、ほんの少しだけ口角を上げながら、彼女はだらしない足取りで玄関へと向かった。




