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オール・ギフテッド  作者: Paracoccidioidomicosisproctitiss
第一部 第一章 異能普遍社会

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苑奈アゲハはダメ人間

 相も変わらず、乱雑に散らばった難解な実験器具の数々を忙しなく片付けている星ヶ咲。彼女の額には薄っすらと汗が滲み、長時間の労働に対するささやかな抗議の意志を示している。

「博士っ! これ、一体全体何処に置けばいいんですかっ。ていうか、この耐熱グラスの中、なんか得体の知れない謎のスパークが発生しているんですけどっ!? 素手で触っていいんですかっ、これ!?」

 彼女は、両腕に抱え込んだ大量の実験用器具の山と、机の上。置かれた巨大なフラスコを交互に指さした。内部では、紫色のプラズマを不気味に放っている。

 かつては被験者と研究者という関係性を経て、現在では改めて実験以外の日常的な業務で苑奈と関わるようになった。しかし、彼女が直面した現実は過酷なものだ。世界に名を轟かせる大天才たる、苑奈アゲハという女の私生活は、その圧倒的な知性に反して致命的なまでにだらしなく、あらゆる物品を無計画に散らかす悪癖を持つ。おまけに、白昼堂々から強烈な度数の酒を煽り、ソファで怠惰の限りを尽くしている有り様。

 結果として、研究の事後処理や面倒極まりない片付け、書類の整理整頓といった雑務の全権が、助手という名目で雇われた星々咲へと理不尽に押し付けられている状態。

「あー、それは適当にそこら辺の机の端にでも置いといてくれ。……そのプラズマ発光フラスコは机に放置で構わない。大丈夫だ、爆発などの直接的な危険性はない……はずだから」

「ないはずってなんですかっ!? 万が一の事態が起きたら私の命が危ないじゃないですかっ!」

「大丈夫大丈夫。多分、臨界点には達しないさ」

 極めて面倒くさそうに呟く。

 手元のカンロレードルを用いて、黄金色のハブ酒をたっぷりと掬い上げる。そして、並々と一杯分を自身のグラスへと注ぎ込んだ。傍らに置かれたチェイサー代わりのレモン水を適量加え、アルコール度数を微調整する。そのあまりにも自堕落で怠惰な振る舞いを目の当たりにし、星ヶ咲の堪忍袋の緒が切れた。

 無意識下で彼女の強大な異能、感情で天候を変える能力が発動したのか、彼女の頭上数センチの空間に、漆黒に染まった小型の雷雲が突如として形成される。バチバチと音を立てる凶悪な静電気の余波により、彼女の美しいターコイズブルーのセミディヘアーが重力に逆らってふわりと持ち上がっている。

「それより針我くん、君の頭上から怒りの雲が激しく漏れ出しているぞ。機材に落雷すると厄介だから、早々に引っ込めてくれないか。危ないし、データが飛ぶ」

「あっ、すみません博士っ」

 だが、冷静に指摘を受けた星ヶ咲。

 すぐさま自身の感情の波を鎮める。

 一瞬にして頭上の雷雲は霧散し、完全に掻き消えた。かつては国家を震撼させた暴走能力も、今や彼女の強靭な意志の下、見事に完璧な制御下に置かれている証明。

「まったく、博士は本当にだらしないんだからっ。そんな惨状だから、結婚どころか恋人すら一人もいないんですよ。せっかくの素晴らしい知性と美貌が、音を立てて泣いてますっ」

 その、容赦のない事実の羅列。

 それが、孤高の天才の逆鱗という名の地雷を、正確無比に踏み抜いた。

「そ、それは全くもって関係ないだろうっ!?」

 瞬間。

 ガタッと大きな音を立てて。

 慌てて口へ運ぼうとしたハブ酒のグラスを卓上へと叩き置いた。その秀麗な表情には、アルコールの摂取による赤らみとは明確に異なる、羞恥と焦燥が混ざり合った独特の朱がプラスされている。

「大いに関係ありますよ。アゲハ博士」

 一切の同情を含まない。

 冷ややかなジト目。

 じっと苑奈を見つめ返した。

「いやいや、よく聞きたまえ、針我くん。そして刮目して見ろっ。私の、この神が創り賜うた完璧なプロポーションを。本来ならば、世の男どもなど引く手数多で、行列を成すはずだろう? 圧倒的な知性も兼ね備えた、完全無欠の理想のお姉さんだっ」

 勢いよく立ち上がる。

 ソファから身を乗り出す。

 そして、自身の恵まれた肉体美を見せびらかすように、大仰なポーズを取ってみせた。

 いかにもナルシシズムの極みと呼べる痛々しい発言。だが、客観的な事実として、彼女にはそれを豪語するに見合うだけの規格外の容姿が備わっていた。

 まず、その顔立ち。今は強烈な酒が回り、少しばかり蕩けた表情を見せているが、黙って静かに佇んでいれば、内に秘めた知性が外見にも滲み出し、誰もが思わずため息を漏らすほどの圧倒的な美人。身長は百七十五センチという、日本人女性としては破格の長身を誇る。それだけではない。だらしなく羽織られたヨレヨレの白衣の下、大きく胸元の開いたVネックのインナーからは、男の視線を釘付けにするような豊満な胸の谷間が惜しげもなく覗いている。

 しかし、不摂生な生活を送っているからといって、決して肥満体型という訳ではない。むしろ、無駄な脂肪は一切なく、程よくしなやかな筋肉が付き、芸術品のように引き締まった肉体を維持しているのだ。彼女は普段から、自らの知的好奇心を刺激する能力者による特異な事象や、未知の超常現象痕跡パラノーマル・トレースなどを調査するため、世界中のあらゆる過酷な環境へと自身の足で赴く。険しい山岳地帯から未開のジャングルまで走破するため、並外れた体力が要求される。ゆえに、研究の合間を縫って最新鋭の設備が整った専用ジムへ通い詰め、肉体の鍛錬を怠らない。実に合理的かつストイックな一面。

 そして、その美しい頭蓋の内に秘められた、人類の至宝とも呼ぶべき圧倒的知性。さらに、能力研究分野における数々の歴史的功績や特許収入により、国や国際機関から得た莫大な資産。その総額は、優に数百億の単位を下らないと噂されている。

 これほどの完璧な条件が揃っていれば、本来、男など選び放題の引く手数多であるはず。しかし、残酷な現実が彼女の前に立ちはだかる。苑奈アゲハの実年齢は、現在二十九歳。世間一般の基準からすれば、もう無邪気に若いお姉さんと自称するには少々無理のある、崖っぷちの年齢だ。今年を以て、彼女の二十代は完全に終わりを告げる。そろそろ本気で結婚を焦り、人生設計を見直してもいい時期。

 だが、悲しいかな彼女にはこれまでの人生において、彼氏の存在は愚か、気軽にお茶を飲むような異性の友人すら一人も存在しない。特に帝都大を伝説的な成績で卒業して以降は、他者との交流を完全に絶ち、一人薄暗いラボに籠って世界中の難解な能力研究のみに没頭し続けてきた。そのため、異性同性を問わず、そもそも友人自体が極端に少ないというのが誤魔化しようのない実情。

 これで本人が孤高を愛し、一切の孤独を気にしない強靭な精神の持ち主であれば何も問題は無い。だが厄介なことに、彼女は実は極度の寂しがり屋であり、心の底では人並みに温かい家庭を築く結婚願望もしっかりと抱いているという。にもかかわらず、そこいらにいる有象無象の男など、自身の卓越した知性と美貌に見合うはずがないと豪語。親切な知人がセッティングした高級な婚活パーティなどに渋々参加しても、相手の知能の低さや非合理的な言動を秒で論破し、全て冷酷に突っぱねるという、実に面倒極まりないこじらせた性格を有していたのだ。

「まぁ、客観的なスペックだけを見れば、それはそうかもしれないですけど……この惨憺たるだらしない生活っぷりじゃ、絶対に無理ですよ。なんですか、この絶望的な管理能力の無さは。研究以外のパラメーター、全部マイナスじゃないですか」

 だが星ヶ咲。

 彼女のいつものナルシシズム全開の主張を鼻で笑って無視し、カオスと化したラボ内をぐるりと指さす。足の踏み場もないほどそこら辺に散らばった機密論文の束、無造作に転がる危険な試薬瓶、埃を被った高価な実験器具の数々。

「うっ……い、いやこれはだな。決して片付けられないわけではなく、ただ単に能力研究で忙しいだけだから……」

 苑奈は痛いところを突かれぎくりと肩を揺らし、気まずそうに顔を竦めた。

「それに、ここの惨状なんて可愛いもので、本当の私生活はもっと酷いじゃないですか。隣の本館の自宅スペース、完全なるゴミ屋敷じゃないですかっ。多分、あの豪邸を建ててから、まともに指定日にゴミ出ししてないですよね? 玄関開けたら遭難するレベルですよ」

「…………」

 星ヶ咲から容赦なく突きつけられる、反論不可能な事実陳列の数々。苑奈は完全に視線を逸らし、逃避するように再びソファの奥深くへと座り込んだ。

 そう、彼女はその神懸かった聡明ぶりとは裏腹に、私生活という概念が完全に崩壊し、終わっている。世間的な表向きの顔は、人類の進歩に貢献する偉大な天才、日本能力研究者の絶対的第一人者。だが、それ以外の日常生活に関しては、見事に救いようのないポンコツ。自身の興味の対象外───というより純粋に面倒くさい掃除や洗濯、地域のルールに則ったゴミ出しなどの家事全般は、生まれてこの方ほぼしていない。実質的にこの実験棟であるラボが生活の拠点にして自宅と化しており、本来の居住空間であるはずの巨大な隣の本館は、ただの巨大なゴミ溜め場、魔境になり果てている。

 そして、助手という名目とは名ばかりに、年下の星々咲を都合の良い家政婦兼雑用係としてこき使う始末。さらに、本人の異常なまでの知性の高さ故に、無意識のうちに度々発せられる辛辣な毒舌や、相手の心情を一切考慮しないノンデリカシーな発言の数々。こんな絶望的な本性を目の当たりにしたら、いくら高収入で高スペックの寛大な男が寄ってきても、三日と持たずにドン引きして光の速さで離れていくだろう。

「ひ、ひどいじゃないかっ! わ、私だって、やろうと思えばいつでも完璧にできるんだからなっ!?」

 ヤケクソになったようにグビッ、と一気にグラスのハブ酒を飲み干した。

「あぁ、分かったよっ。そこまで言うなら、私も本気を出して手伝うからっ。私の真の力を見せてやるっ」

 不機嫌そうにそう言い放つ。着古した白衣を乱暴に脱ぎ捨てた。

 瞬間。バキキッ、と無機質な硬質な音を立て、彼女の背中を覆う衣服の繊維の表面から、銀色に輝く金属質なアームが複数本、まるで生物の触手のように生え出した。その表面は、流体金属のように滑らかで、ウェーブのかかったように不気味に波打っている。その各々の先端は、精密な作業を可能とする三本の鋭いクレーンアームの形状を成している。

 その異形のアーム群が、まるで独自の意志を持っているかのように自在に部屋中へと伸びていく。

 数十キロはあろうかという巨大な備品や重機は、太く変化したアームががっしりと強固に掴み上げ、床に落ちたミリ単位の小さなネジや破片は、極細に形状を変化させたアームが、ピンセット以上の精密さで器用につまみ上げる。書類は丁寧に挟み、まとめあげていく。シャカシャカと小気味良い金属音を響かせながら、複数のアーム群が縦横無尽に空間を這い回り、混沌としていたラボ内を驚異的な速度で整理・整頓していく。

「やっぱり何度見ても便利ですね! アゲハ博士の能力っ!」

 星ヶ咲は、その人間離れした神業のような光景を見て、今度ばかりは素直に感嘆の声を上げ、拍手を送った。

「当然だろう。この私を誰だと思っているんだ。世界最高の頭脳だぞ」

 苑奈は、ふんぞり返って自慢げにしつつ、脳波と直結したアームを文字通り手足のように自在に操作し、どんどんと部屋の惨状を綺麗な状態へと復元していく。

「これは……もう耐久限界だな、要らん。実験には使えん」

 苑奈は独り言のようにそう呟く。

 アームの先端で器用につまみ上げた、度重なる危険な実験によりひび割れ使えなくなったビーカーや、大量の使い捨てペトリ皿などを空高く掲げた。

 そして、ジジジッ、と微弱な放電のような音を立て、それらの不用品は見る間に分子構造を書き換えられ、どんどんと彼女の触手と同じ銀色の金属質な物質、すなわちナノテクノロジーへと置換されていった。

 わずか五分程の短い時間で、足の踏み場もなかった空間は、すっかりとチリ一つない本来の整然とした美しいラボの姿へと戻った。苑奈は満足そうに頷き、展開していた全てのアームを、液状化させるようにして自らの体内へと内包し、完全に収納した。

 苑奈アゲハが有する、絶大な能力。

 物質をナノテクノロジーに変換する能力。

 その真の本質とメカニズムは、極めて複雑怪奇だ。まず第一段階として、彼女が直接触れた任意の物質を、微細な機械群であるナノテクノロジーへと強制的に変換する。この変換プロセスの際、対象物に含まれていた有害な化学物質や致死性のウイルスなども、原子レベルで分解され全て無害化、除去されるという副次効果を持つ。そして、生成されたナノテク群を、自身の体内へと格納する。

 だが、この能力の真価はそれだけでは終わらない。いや、むしろここから先の現象こそが本番と呼べる。彼女は体内に蓄積したそのナノテクを、皮膚を透過して身体の任意の部位から瞬時に生やし、己の四肢の延長として自由自在に操ることができるのだ。これは苑奈アゲハの肉体の一部としてカウントされるので、そのナノテクが物質に触れる事でも、能力発動条件を見たせる。対象のナノテクへの変換と、それを無尽蔵の触手や武器として操作するという、極めて強力な二重属性。

 それにより生み出されるナノテク構造体は、現代科学の粋を集めた重機すら凌駕する、圧倒的かつ破壊的なパワーを発する。本来ならば、その凄まじい反作用の力に人間の脆弱な肉体の方が先に耐えきれず崩壊してしまうのだが、彼女の場合は体内に常時循環しているナノテク群が骨格や筋繊維を補強し、一種のサイボーグのように肉体そのものも極限まで強化されている。ゆえに、どれほどの負荷がかかろうとも、全く問題なく耐えうるのだ。

 ただ、この万能に見える能力にも明確な制約は存在する。無機物有機物問わず何でも変換できるわけではなく、ナノテクへ変換出来る対象物は、主にガラス素材や鉄などの金属製の物品、あるいは複雑な回路を持つ精密機器のみに限定される。しかし、現代社会においてそれらの物質は無尽蔵に存在するため、非常に強力で恐るべき能力であることに変わりはない。さらに、体内に取り込めるナノテクの総量にも特に明確な上限は観測されておらず、攻防一体にして応用力無限大という、ほとんど無敵に近い神の如き能力。

 だが、この完璧主義者の本人が一番腹立たしく思い、残念がっている最大の欠点がある。それは、生み出したナノテクが自身の身体から一ミリでも分離すると、その瞬間に分子結合が崩壊し、即座にただの使い物にならないガラクタの鉄屑に変わってしまうことだ。

 過去に、彼女の卓越した頭脳を用いていくら実験と検証を繰り返しても、一瞬でも彼女の生体電流から切り離せば、ナノテクとしての機能も特殊な性質をも完全に失い、それを再度ナノテクへと再変換することも絶対に出来ないという非情な法則が立証された。

 すなわち、彼女の脳神経および体内システムと物理的かつエネルギー的に直結していない限り、それは決して機能しないのだ。もし仮に、彼女がこのナノテクを無尽蔵に生み出し、外界に切り離した状態でも維持・稼働させることができたのなら、この世界の技術力は数世紀単位で一気に増大し、人類の歴史は塗り替えられ、彼女は今以上に神の如き存在として全世界にその名を永遠に馳せたに違いがない。

 ちなみに、あれほど大量の質量の物質を体内に取り込んでいるにもかかわらず、彼女自身の体重の方は、変換前と比べてほとんど変わってはいない。本人による極めて精密な検査の元分かった事実によれば、体内に無数に存在する、別の亜空間座標に直結している特殊な超次元ナノテク受容体───通称ポケット・レセプターの内部に全て収容され、質量そのものが外界から隔離されているのだとか。

「どうだ? この圧倒的な手際。これで私の計り知れない有能さが、嫌というほどわかっただろう?」

 苑奈はふう、と息をつく。

 再びヨレヨレの白衣を着る。

 そう、彼女が身に纏っている白衣の下の胸元の開いた服も、実は布製ではなく、彼女のナノテクにより極小のスケールで緻密に編み込まれた特殊な服なのだ。いつでも瞬時に武装化や形状変化が可能となっている。

 そもそも、先程見せたこのナノテクの複数同時操作は、常人には到底不可能な非常に精密で高度な情報処理能力がいる。

 彼女が事も無げにやってのけた行為は、例えるなら、一本でも動かすのが難しい、利き腕ではない腕。それが背中から何本も生え、しかもそれを自身の利き腕以上の精度で、それぞれ全く別の複雑な動作をさせつつ自在に動かしたようなものだ。

 強力無比な能力と、それを何ら負荷を感じることなく難なく使いこなす、超高速演算を可能とする優れた司令塔たる彼女の脳。まさに天に二物、いや三物を与えられた存在。

「いやいや、そんな数分で終わるなら、溜め込まずに普段からやってくださいよー。なんで私が毎回毎回、何時間もかけてちまちま手作業で片付けなきゃいけないんですかっ。そもそも私の契約内容は助手であって、ただの便利屋や雑用係じゃないはずですっ」

 だが、星ヶ咲はその素晴らしい能力の行使に対し、頬を膨らませてぶーたれている。

「甘いな、針我くん。私はこんな生産性のない単純作業の能力行使で、一日に使える貴重な脳のカロリーを無駄に消費したくないんだっ。それより、私には人類の未来のために脳細胞をフル回転させて、すべき偉大な研究が山ほどたくさんあるっ」

 いかにも天才らしい、壮大だが自分勝手な言い訳を高らかに宣言し、苑奈は先程の騒動で飲み損ねた三杯目のハブ酒をなみなみとレードルで掬い、グラスに入れる。再び、横にあるチェイサーのレモン水で割ろうとした。

 ハブ酒の原液が薄まっていく。

 だが、グラスに半分ほど注いだところで、ボトルの中身が空になってしまう。

 新しい予備のレモン水が入ったピッチャーは、彼女が座るソファから数メートルほど離れた所にある別の実験机の上。彼女は一切の躊躇なく右手をすっと上げ、細い指先からジジジッ、と銀色のナノテクの細い触手を鞭のように生やす。それで遠くの机の上のレモン水のボトルを的確に掴み、そのまま空を滑らせて自身の眼前へと引き寄せた。そして、触手を器用に操り、注ぐ。

 その、息を吐くように自然に行われた怠惰の極みを見た星ヶ咲は、

「あーっ! 博士ぇ、今思いっきり私利私欲のために、しかもたかだか水を取るためだけに能力使いましたよねっ!? 人類の未来のためにすべきことがあるんじゃないんですかっ!? 貴重な脳のカロリーはどうしたんですかっ!」

「ひょえっ!? な、なにをするっ。やっ、やめないかっ! 目が回るっ!」

 猛然と駆け寄る。勢いに任せてソファの上の苑奈の肩を掴み、前後にゆさゆさと激しく揺すった。

 先程自ら語った高尚な言い訳を根底から無に帰すような、あまりにもスケールの小さい私利私欲に塗れた能力行使。

「分かった、分かったからっ。私が悪かったっ。じゃあ今からお詫びに、君が前から行きたがっていた、都内の一等星がつく最高級レストランにでも連れて行って、好きなだけ腹いっぱい食べさせてあげようっ。だから、その物理攻撃は勘弁してくれぇっ!」

「本当ですかっ!? お肉食べ放題ですかっ!?」

「本当っ! 経費で落とすからいくらでも食えっ!」

 苑奈の悲鳴混じりの妥協の発言に、星ヶ咲もピタリと揺さぶる手を止めた。

「あ、ただ一つ条件がある。運転は君がしてくれないか。外のガレージに停めてある最新型のエアカーだ。君、この前免許は取得したと言っていただろう? 私、見ての通り今かなり酔っているものでね。流石にこの状態で空を飛んだら、飲酒運転の上、航空法違反で国にしょっぴかれる。もちろんその分、時給も出す。どうだ」

 乱れた髪を直しながら。

 ぽつり、と情けない声で言った。

 三杯目のハブ酒を飲み干す。

「……もう、しょうがないですねっ。今日だけ特別ですよ」

 星ヶ咲は、苑奈の流れるような動作に呆れたように大きなため息をひとつ。

 そうは言いつつも、パッと明るい花が咲いたように笑った。

 私生活は本当にどうしようもないほどだらしが無い変人博士だが、こうして危険能力者として隔離されていた自分が、今、普通の女として心から笑い、平和な日常を謳歌できているのは、他でもない彼女の尽力のお陰に他ならない。その恩義と、彼女の不器用な優しさを、星ヶ咲は誰よりも深く理解していた。

「ほらっ。博士ーっ。ぐずぐずしてないで早く行きましょっ。美味しいお肉が私を待ってますよっ」

「ちょっ、待てっ、そんなに強く腕を引っ張らないでくれぇっ! 酔ってるんだぞ、足がもつれるっ!」

 嬉々とした足取りで、抵抗する目の前の恩人を半ば強引に引き摺った。

 だが、その苑奈の頬も緩んでいた。

 彼女自身、星ヶ咲との触れ合いで、孤独に苛まれることはなくなっていた。

 メガネ。

 くっと持ち上げた。

 微笑みかける。

「元気な助手だよ、君は」

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