9/10
第九章 出発
朝は、まだ完全には明けていなかった。
港の空は薄い藍色に染まり、その向こうから静かに朝日が昇ろうとしている。
ガレージには、昨日より少し早い時間から人が集まっていた。
誰も慌ててはいない。
昨日までに、できることはすべて終えている。
今日は確認だけだ。
工具箱が閉じられる。
エアホースが巻き取られる。
最後のチェックリストに、一つずつ印が付いていく。
Assoluto は静かだった。
まるで今日という日を待っていたかのように。
私はコーヒーを片手に、その姿を見つめていた。
「眠れた?」
Enki が笑う。
「少しだけ。」
「十分だ。」
彼はそう言って、小さくうなずいた。
ガレージの外では、トランスポーターのエンジンが始動する。
低く落ち着いた音が、朝の港にゆっくりと響いた。
チームマネージャーが全員を見渡す。
「行こう。」
その一言だけだった。
誰も大きく返事はしない。
静かに工具を持ち上げ、
静かに扉を閉め、
静かに歩き始める。
私は振り返った。
昨日まで作業を続けていたガレージ。
暖かな作業灯。
壁に残る工具の影。
ここが、私たちの出発点だった。
Assoluto がゆっくりと外へ動き出す。
朝日が白いボディを照らした。
その瞬間、私は思った。
レースへ向かうのではない。
今日まで積み重ねてきた対話を、証明しに行くのだと。




