第七章 データは嘘をつかない
ガレージの扉が開くと、午後の光が床一面へ細く伸びた。
二回目のテストを終えた Asoluto は静かにピットへ戻り、エンジンが停止すると、ガレージは工具の音だけを残して静まり返る。
誰も結果を口にしなかった。
ロリンズはヘルメットを外し、汗を拭いながらモニターの前へ歩いてくる。
「跳ね方が変わった。」
その一言で、全員の視線がデータ担当へ集まった。
「ストロークデータを表示します。」
大型モニターには二本のグラフが並ぶ。
一本は午前中。
もう一本は、リバウンドだけを変更した午後の走行だった。
青い線と赤い線は、最終 S 字の直前まではほぼ重なっている。
しかし、車体が路面の継ぎ目を越えた瞬間、違いが現れた。
午後の波形は明らかに穏やかだった。
「最大ストローク量は約十二パーセント減少。」
「ダンパー速度も低下しています。」
「ステアリング修正角は?」
「平均で一・八度減っています。」
ロリンズはグラフではなく、自分の手を見つめていた。
「あそこだけ、ハンドルを押し返される感覚が弱くなった。」
サスペンション担当がうなずく。
「数字と一致しています。」
タイヤ担当も新しい資料を開いた。
「左フロントの温度上昇も小さくなっています。」
「空気圧は?」
「基準値のままです。」
エンキは静かに全員の話を聞いていた。
しばらくして、彼はモニターの前へ歩き出す。
「良い結果だ。」
誰かが小さく息をつく。
しかしエンキは続けた。
「ただし、まだ答えではない。」
ガレージが再び静かになる。
「今日分かったのは、リバウンドを変更すると車体の動きが変わるという事実だけだ。」
彼は二本のグラフを指差した。
「だが、それがレース全体で最適かどうかは分からない。」
空力担当が口を開く。
「高速コーナーでは影響がありませんでしたか。」
データ担当が首を振る。
「誤差範囲です。」
「ブレーキングは?」
「変化なし。」
「燃料を積んだ状態では?」
「まだ試していません。」
一つ答えが見つかるたび、新しい問いが生まれていく。
僕は会議の内容を書き留めながら、その流れを眺めていた。
ここでは、「成功した」で終わることはない。
成功は、次の確認項目になる。
エンキは白板へ新しい文字を書いた。
再現性
「偶然では意味がない。」
「同じ条件で何度走っても同じ結果になるか。」
「それが確認できて初めて、データになる。」
ロリンズが笑う。
「エンジニアらしいですね。」
エンキも少しだけ笑った。
「レースは感覚で走る。」
「でも、開発は感覚だけでは続けられない。」
その日の夕方。
ガレージには夕陽が差し込み、Asoluto の黒いボディが赤く染まっていた。
僕は今日のデータを保存しながら、最初の日にエンキが言った言葉を思い出していた。
「正しい答えより、正しい質問のほうが役に立つこともある。」
今日、僕たちは一つの答えを見つけた。
けれど、それ以上に多くの問いを見つけてしまった。
それでも誰一人として、不安そうな顔はしていなかった。
質問が増えることは、前へ進んでいる証拠だからだ。
データは嘘をつかない。
しかし、その意味を決めるのは、人だった。




