20話
生化学の中間テストが終わった瞬間。
大講義室の空気が、一気に緩む。
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「終わった……」
「もうATP見たくない」
「リンゴ酸しか覚えてない」
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あちこちでそんな声が上がる。
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花音も机に突っ伏しながら、
「無理だったかも」
と呟く。
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莉緒が笑う。
「みんな言ってる」
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そのとき。
前の方から、エンちゃんの声が響く。
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「ねえオギー、鍋やろう!」
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オギーが振り返る。
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「いいね」
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即答だった。
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周りもすぐ乗っかる。
「やった!」
「今度なに鍋?」
「またキムチ鍋?」
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教室の空気が、一気に“試験終了後”の軽さになる。
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オギーは少し笑いながら、
「今日来れる人!」
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「今日やるんだ」
莉緒が小さく突っ込む。
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そのときエンちゃんが、ふいに花音たちの方を見る。
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「ハギちゃんたちも来れる?」
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花音が顔を上げる。
「え?」
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「莉緒も」
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莉緒はあっさり、
「行く行く」
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その返事の速さに、花音が少し笑う。
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エンちゃんは満足そうに、
「よし、じゃあ決まりね」
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オギーはそんな様子を見ながら、
「人数増えそうだな」
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「だってオギーん家広いから大丈夫でしょ?」
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「まあ大丈夫だけど」
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周りがまた笑う。
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花音はその輪の空気を見ながら、少しだけ安心する。
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自然に誘われて、
自然にそこにいる。
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それは嬉しい。
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でも同時に、
オギーは今日も、みんなの中心にいる。
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そのことが、少しだけ胸に残った。
教室を出ながら、みんなまだテストの愚痴を言っている。
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「もう生化学やだ」
「ATP禁止」
「怖くリンゴ酸」
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誰かが言って、また笑いが起きる。
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その流れのまま、エンちゃんが言う。
「鍋どうする?」
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莉緒がすぐ返す。
「キムチ鍋いい」
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すると別の子が、
「えー、前もキムチじゃなかった?」
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「じゃあ豆乳?」
「豆乳は当たり外れある」
「寄せ鍋が安定じゃない?」
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みんな好き勝手言い始める。
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オギーは少し笑いながら、
「もうスーパー行って安かったやつでよくない?」
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「あー、それが一番平和」
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「白菜高かったら終わる」
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「じゃあもやし鍋」
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また笑いが起きる。
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花音もその会話を聞きながら、少しだけ気持ちが軽くなる。
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こういう時間は楽しい。
誰かが特別というより、
みんなでいる空気そのものが心地いい。
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オギーはその中心にいるのに、
いつも変に目立とうとはしない。
ただ自然に会話を回している。
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その姿を見ながら、花音はふと思う。
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(だから、みんな好きなんだろうな)
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その考えに、自分で少しだけ胸がざわついた。




