第8話「距離」
「ここなんですけど……」
悠馬は聖菜を連れてプレハブにやってきた。
プレハブの中からは既にドラムとベースの音がしている。
聖菜はプレハブの周囲をキョロキョロと見渡した。
「お疲れさまでーす!」
悠馬が明るい声で扉を引くと、詩織と鈴音が振り返り、演奏を中断した。
「お疲れ……おっ?」
詩織は聖菜の姿を見てびっくりした表情をしている。
「すみません、1年生の赤嶺聖菜です。」
聖菜は緊張しながら挨拶をした。
「セナって……聖なる菜っぱ?」
鈴音が聖菜の顔を見て言う。
「そうみたいです。後、小さい時からピアノを習ってたみたいで……」
悠馬はニコッと笑いながら言った。
「赤嶺聖菜…………悠馬……完璧だよ!!完璧!でかした!!」
鈴音から突然下の名前で呼ばれたことに戸惑いながら、悠馬は照れくさそうに笑った。
「聖菜ちゃん、何でもいいから一回弾いてみてもらうことできる?」
詩織が聖菜に話しかけ、聖菜は緊張しながらもキーボードに指を走らせた。
ショパンの「雨だれ」だった。
丁寧で繊細な音がプレハブ中に響く。
「すごいね、いつからピアノやってたの?」
詩織が拍手をしながら聞いた。
「5歳の頃からです。親が厳しくて、泣きながら練習しました。」
聖菜ははにかみながら答えた。
「よし!これでメンバーが揃ったね!ちょっと集まって。」
鈴音はテーブルに座り、楽譜とボールペンを取り出した。
鈴音はボールペンを口に咥えながら、髪を1つに結っている。
悠馬はその姿をうっとりと見ている自分に気づき、顔を赤らめた。
鈴音は楽譜1枚ずつに各々の名前を書いた。
「はい、筑紫悠馬さん。」
渡された楽譜には悠馬の名前と横に桜の花びらの絵が描かれていた。
残り2人にも同様に楽譜を渡し、鈴音はニコッと笑った。
悠馬は自分の居場所ができたような気持ちになり、不思議な安心感を味わった。
練習が終わり、4人はプレハブを出た。
詩織と鈴音が手を振り、自転車に乗って去っていく。
「赤嶺さん、もう帰りますか?お家は近く?」
悠馬は自転車の鍵を開けながら聞いた。
「私、下宿生なんです。家は大学から10分くらい歩いたところ。」
聖菜は大きなリュックを背負いながら言った。
「自転車……買ったんですか?……」
聖菜は悠馬の青い自転車を見ながら言った。
「もらったんです。良かったら後ろ乗りますか?」
悠馬の問いかけに聖菜は小さく頷いた。
空は日が暮れかけており、茜色に染まっている。
悠馬と聖菜は二人乗りで漕ぎ出した。
「綺麗……私夕焼け好きなんだよね。こんな空を見てるともうどうでもよくなる……私なんてちっぽけな存在なんだって……寂しくもなるけどね。」
聖菜は悠馬の自転車の後ろに座りながらボソッと呟いた。
悠馬は聖菜の手首にあった切り傷を思い出していた。
「どうでもよくなるんですか……?」
悠馬は後ろを振り返らずに聞いた。
聖菜は少しの沈黙の後に話し出した。
「敬語……やめない?同じ学年なんだしさ?」
聖菜は苦し気に笑いながら言った。
「……ごめん……そうだね!俺……ちょっと前まで人と一定の距離がないと不安で……つい、敬語になっちゃうんだよね……」
悠馬も苦笑いをしながら、言った。
「そうなんだね……ごめん、無理しなくていいよ。」
聖菜は少し慌てたように言った。
「いや、敬語使わない。変わるって決めたんだ。」
悠馬は自転車のライトが照らす先を見ながら言った。
「うん……それに、こんなに距離近いしね!」
聖菜の悠馬を掴む手が強くなって行くのを悠馬は感じた。




