第19話「記憶」
「石田さん、良かったら飲んでください。」
健人はベンチに座っている幸志に駆け寄り、缶コーヒーを渡した。
「ありがとうございます……」
幸志は健人の方向を振り返った後、噴水を再度眺めた。
健人は虚ろな幸志の姿を見ながら、片手でつぐみに自販機で購入したミルクティーを渡した。
「あ……ありがとう……」
つぐみは健人の顔をしばらく見ながらボソッと呟いた。
あれから未季江との面談を続けたが、未季江は幸志のことを思い出せなかった。
誰か分からない相手と2人で暮らすことはより未季江の混乱を招く。そう判断したケアマネージャーは未季江の施設入所継続を決めた。
「なんか……虚しいですね……情けない……」
幸志は俯きながら言った。
「僕は今まで未季江と毎日毎日一緒に居たんです。一生懸命サポートしたつもりで居たけど、足りなかったんですかね……数ヶ月間離れてただけで忘れてしまうなんて……」
幸志は肩を落としている。
「石田さん、認知症は進んでしまうときは急速に進む病気です。愛情の注ぎ具合などは関係なく全てを忘れてしまったりするんです……」
つぐみが幸志の前にしゃがみ込んで話している。
「私は……私の人生は……未季江無しでは考えられないんですよ。未季江と一緒に暮らしたい。その一心で辛いリハビリにも懸命に取り組めた。それが……それがこんなことになるなんて……」
幸志の目から涙がポタポタと落ちる。
その涙の上に桜の花びらがヒラヒラと舞った。
「あまりにも残酷……だよな……」
終業後、健人とつぐみはいつものベンチに座っていた。
「そうね……」
つぐみが両手を合わせ擦りながら言った。
「未季江さんは幸志さんと過ごした時間……一緒に食事したり……散歩したり……その全ての記憶を無くしてしまったのかな……?」
健人はつぐみの顔を見て言った。
「残ってる。きっと残ってるはず……なんだよ。でも、何かが蓋をしちゃって出てこないのかもしれない……」
つぐみは静かに呟いた。
「大事な人との会えない時間の辛さを抑え込もう抑え込もうとして、忘れてしまうこともある。離れている時間が未季江さんにとっても辛い時間だったのかもしれない。」
つぐみは空を見ながら言った。
不意に健人は立ち上がり、しばらく歩いてつぐみの方を振り返った。
「別れって……こんなに突然にくるものなのかな……?」
健人の言葉につぐみは胸がざわつくのを感じた。
「成瀬さん……私……言いたいことがあって……」
つぐみは立ち上がり、健人の顔を見た。
しばらく沈黙が続く。
「ごめん、やっぱりいいや。」
つぐみは再びベンチに座った。
春はもうすぐそこなのに冷たい風が吹き、花びらが舞っていた。




