第10話「清々」
病院から事務所に戻り席に着こうとすると、窓口につぐみが現れた。
「成瀬さん!おつかれさまです!」
つぐみは窓口から身を乗り出し、声をかけた。
「あっ、立岡さん。さっきはありがとうございました!」
健人はつぐみに駆け寄り声を掛けた。
「立岡さんが一緒に居てくれて良かったです。本当に助かりました。」
健人の言葉につぐみは首を振りながら少し照れ臭そうにしている。
すると、突然事務所の電話が鳴り出し、林が素早く受話器を取った。
「成瀬さん。お電話です!」
林の声掛けに健人はつぐみに頭を下げながら受話器を取った。
「成瀬さん……ですか……?武田です。」
声の主は武田夫妻の奥さんだった。
「成瀬さん。すみません、主人が昨日亡くなりました。」
淡々と話すその言葉に健人は体の中を冷たい空気が駆け抜けるような感覚を覚えた。
健人は窓口に立っているつぐみの顔を見た。
健人とつぐみは2人で武田の家へ向かった。
「悦子さん……落ち込んでるんだろうな……なんせ50年近く一緒なんですもんね……」
健人の言葉につぐみはゆっくり頷いた。
「ごめんなさい、朝からずっとバタバタと助けてもらってますね。」
健が苦し気な笑顔で話しかける。
「大丈夫ですよ。一緒に仕事できて……嬉しいです。あ、勉強になります!」
つぐみは笑顔で答えた。
武田家に着くと和菓子屋の看板は既に取り外されており、シャッターが閉じた状態になっていた。
健人とつぐみは店の裏にまわり家の玄関のドアを叩いた。
「はーい?」
しばらくすると悦子が扉を開けて出てきた。
「あっ、成瀬さんに立岡さん!来てくれたんですね!」
悦子は笑顔で2人を招き入れた。
居間に到着すると、テレビが点いており時代劇が流れていた。悦子はテレビを一瞥し、リモコンを持って電源を切った。
「すみませんねぇ、何もなくて。」
悦子は笑顔でお茶を2人分持ってきた。
悦子の明るい表情に2人は顔を見合わせた。
「大丈夫ですか?悦子さん?……辛くないですか?」
健人が顔色を伺うように聞く。
「いやいや、もうね、清々しました。」
帰って来たのは意外な言葉だった。
「昨日の朝、主人が起き上がってすぐに力が入らないみたいなことを言うの。そのまま布団にうずくまっちゃった。私ね、それをしばらく見てたの。そしたら、30分くらい経ったかな……町内会長さんがたまたま来て、救急車呼びましょう!って言うのよ。あっという間に救急車で運ばれて、病院に着いてすぐ亡くなりましたって。びっくりしたわよー!」
悦子は机の上に置いてある死亡診断書のコピーを指差しながら言った。
「武田光男 10月23日8時4分 急性心不全」
健人は息が詰まるような感覚を覚えた。
何度も死亡診断書を見て来てはいるが、まだいまだに慣れない。
この淡白な文書は見る者に死という現実を突きつけてくる。
一方で悦子はニコニコとしながら時計を見ており悲しい表情は一切見せていなかった。
「大丈夫ですか……?無理してません?」
健人は言葉を選ぶように聞いた。
「無理……?いやいやいや、私は元気ですよ!本当に清々した!50年ですよ!50年間私はあの人より早く起きて、ご飯の支度してあの人を起こして。味噌汁がぬるいだの何だの色々言われて……仕事が終わったらご飯、風呂全部準備は私!!1つとして手伝ってもらったことありません!特にコロナになってからはずっと2人でしょ?私のストレスは溜まるばかり……ホントに辛かった!!」
次第に悦子の口調が強くなっていく。
「あの人が寝静まった後、やっと私はテレビを見れるんですよ。あの人が起きてる時は独占してるから。だから、今は大好きな時代劇が好きなだけ見れる。私は……これから自分自身の人生を生きるんです。」
悦子は遠くを見つめながらはっきりと言った。
「よく生まれ変わっても一緒に居ようなんて言うけど……私は……仮に生まれ変わったとしても、あの人とは二度と結婚しませんよ。」
笑い飛ばすように話す悦子に健人とつぐみは声をかけられずいた。
「あ……そうそうそう……」
悦子はゆっくりと立ち上がり部屋の奥に行き、箱を2つ持って帰って来た。
「これ、持って帰ってください。あの人が作った和菓子です。私……甘い物苦手なのよ……あの人の作る和菓子甘くて……食べれないから。」
悦子は口に手を当ててくしゃくしゃな笑顔で笑った。




