コバエ取りの風鈴 夕映える軒
仮設住宅は衛生管理が悪い。どの家庭も生ゴミの袋を収集日まで表においているので夏になるとすぐにコバエがたかる。そのため、各家庭の軒先には地区で配られた蝿取りのテープや容器が風鈴の如くぶら下がっていた。
東南アジアの店では黄色いテープが映えるとそういった写真がバズっているらしい。確かに先入観のない若者が見たら面白いだろう。ただ、住人にとっては情緒など感じている余裕は無い。
僕は、お盆が明けたら仕事に復帰したいと考えていた。が、何か人助けになる仕事もしてみたいという欲求も消えなかった。ちょうど今の僕は、蝿取りに捕まってもがいてるあの蝿そのものだ。
「今の仕事を続けるか、出家するか悩んでいます。」
例の寺の住職に相談して見た。
「仏に仕えるのは自由ですが、何か具体的な仏の道の目標はありますか。」
そう問われて、言葉に詰まった。仏の道が何かなんてまだわからない。
「もし、どなたかを救うために仏の道に進むというならおやりなさい。しかし、自分の欲求を満たすためであればおやめなさい。それは、どこまでいっても終わりのない餓鬼の道です。」
人のために働くなら、目標も成果も客観的に評価できるが、自分のためなら評価ができないので終わりが見えなくなるということらしい。僕は漠然と人を助けたいと思った。そうか?僕は今の自分から逃げて、自己満足したいためなんじゃないだろうか。
「人には定めがあります。いずれあなたが心から手を差し伸べたいという方が現れるでしょう。迷っているというなら、気付いてないだけですでに近くにおられるかもしれません。その時に行動されるがよかろう。」
住職の言葉の真意はよくわからなかったが、まだ時期尚早ということだけはわかった。




