第二十六話 全身全霊
屍竜の群れが、空を覆っていた。
「アリア、左だ」
「わかってるとも!」
古竜が旋回し、業火を吐いた。
屍竜の一体が断末魔の声を上げ、燃えながら墜落する。
俺は地上で屍竜の群れを相手にしていた。
鱗と骨が溶け合った死骸の竜。
古竜の炎は効く。
俺の拳も通る。
一体、また一体。
蹴り上げ、打ち抜き、叩き落とす。
久能は動かなかった。
俺とアリアが屍竜を倒していくのを眺めていた。
やがて、最後の屍竜が地に落ちた。
静寂。
久能と、目が合った。
「存外手こずったな、守護者」
「だが、全部斃したぞ」
久能は一歩前に出た。
その瞬間。
「魔王様」
無名の声だった。
久能が振り返った。
無名の声は、いつも通り感情がなかった。
しかしその目の奥に、何かが燃えていた。
「今の、守護者との対話を聞いていました」
「……それで?」
「魔王様は、元人間だ」
「殺された肉親の復讐という、極めて人間的な動機で動いておられる」
「守護者との問答を聞いていて確信しました。魔王様では、人間の絶滅は成し遂げられない」
静寂が落ちた。
無名は続けた。
「魔王様……いや、久能宗一郎」
「……お前はぬるい」
久能が無名を睨みつけて呟いた。
「貴様……」
無名が続けた。
「お前を殺して私が新たな魔王となる。ベネディクトゥスの哲学こそが真の答えだ。人間も魔族も全て滅びるべきなのだ」
「久能宗一郎、お前は言っていたな。人間を滅ぼすためには龍脈をさらに暴走させる必要があると。だから再度フィレーネ皇女の血が必要になる、だから生かしておけと」
「思えばおかしな命令だった」
「皇女をこちらの手に掌握してるのだ、ならさっさとそれを実行すれば良いのに、お前はしなかった。さらには守護者との戦いで皇女を人質として活用する訳でもない」
「つまるところお前は無能か、さもなければ人間を滅ぼす覚悟などなかったのだ、妻子の復讐をしにこの国に舞い戻るという『物語』に淫してた、ただそれだけだ」
「龍脈をさらに暴走させるためにフィレーネ皇女を生かしておく必要はない」
無名の目が、フィレーネに向いた。
「此奴の心臓を抉り出して龍脈に捧げれば、より確実に世界は終わる」
久能が無名をさらに強くて睨みつけた。
「……邪魔をするな下郎」
「久能宗一郎、お前には無理だ」
黒曜石の短剣が、フィレーネの胸へ向かった。
「いやあああああ!!!」
フィレーネの悲鳴。
距離にして15メートル。
アズリエルが詠唱を始めていた。
それは間に合わない。
だが守護者の俺なら……一歩!
俺は無名に肉薄し、短剣とフィレーネの胸の間に、右手を割り込ませた。
黒曜石の短剣が俺の掌に突き刺さる。
守護者の力を無効化しながら俺の掌を抉っていく。
特別な魔力と鍛造によって作られた刃だった。
激しい痛みが走った。
刃が俺の掌を貫通する。
そしてその切先が、フィレーネの胸に触れ、血が流れ出した。
「レン!」
フィレーネの声が、震えた。
「おあああああ!!!!!」
俺は裂帛の気迫と共に、右手に全身全霊を込めた。
生前培った150キロの握力、守護者の力を得て何十倍かになったそれが、万力のように黒曜石の刃を締め付けた。
ミシ、ミシ、と音がした。
「……なに……を……」
無名の声が、初めて揺れた。
くしゃりと乾いた音がした。
俺の右手が黒曜石の短剣を握りつぶし、粉々に砕いた。
アズリエルの術式が完成し、錫杖を振り上げる。
無名に向かって魔力が流れ込んだ。
「が、概念魔術……! 記憶の消去……! ぐああ……!」
無名が抵抗した。
黒いローブが膨張し、霊体の防壁が展開された。
アズリエルと無名の力がぶつかり合った。
その隙に。
俺の踏み込みが地面を粉砕した。
俺は短剣を握りつぶしたまま固く握りしめた右拳の鉄槌を、無名の頭頂部に振り下ろす。
大きな音を立てて陥没する無名の頭蓋骨。飛び出す目玉。
続けざまの一瞬。
よろける無名の襟を掴み、かがみ込みながら体を反転させ、巻き込み。
受身不可能の超低空一本背負いでアスファルトへ叩きつける。
頭が割れ、首の骨が折れる嫌な音が鳴り響く。
無名は物言わぬ肉の塊となった。
俺は貫かれた右手を見た。
傷口からは血が流れていた。無名の短剣の力か、守護者の力の修復が効いていなかった。
「レン……!」
フィレーネが飛びついてきた。
「大丈夫ですか、手が……!」
「問題ない」
俺はフィレーネを抱きしめた。
「フィレーネこそ大丈夫か?」
無名の刃はフィレーネの胸を傷つけて血を流させていた。
浅い傷だったが、血が白い衣装を赤く染めていた。
「あなたの痛みに比べれば、これくらい平気です!」
アズリエルはじっと立ち尽くしてこちらを見ていた。
俺もアズリエルの方に少し視線を向けて頷いた。
そして抱きしめたフィレーネから手を離し、アズリエルの元へ向かわせた。
古竜の上のアリアも安堵した表情でそれを見ていた。
「……これで邪魔者は全て居なくなったな、桐島蓮」
久能の声がした。
振り返った。
久能が虚な表情で立っていた。
「では、全員でかかってこい。間違っても俺と一対一でなどと思うなよ守護者」
「バーカ、お前なんか俺一人で十分なんだよ」
「お前が死ねば人間の『物語』は終わりだ、わかっているのか?」
「……お前はフィレーネを殺さなかった」
「それがどうした」
「多分だが……ゼルドリヒの軍がこんなになったのも、お前の采配じゃないんだろ?」
「だとしたらなんだと言うのか」
「……俺はお前を殺さない、徹底的に武でわからせる」
俺は振り返って叫んだ。
「アリア!アズリエル!まだ残ってるバケモン共の処理とフィレーネを頼むぜ!」
アリアとアズリエルがそれに頷いた。
久能は昏い眼をして呟いた。
「そうか……」
「……後悔するぞ、桐島蓮」




