第十九話 穏やかで美しい世界
謁見の間
ベネディクトゥスの笑顔が、初めて変わった。
穏やかさはそのままだった。
ただ、その奥にあった何かが、消えた。
「失礼ながら皇帝陛下」
静かな声だった。
しかし謁見の間の空気が、一瞬で変わった。
「魔王様が人間との共栄共存など望むわけがありません」
廷臣たちがざわめいた。
「魔王様の目的は人間の絶滅以外にありません。あなた達の『物語』を消し去るには、あなた達を滅ぼす以外にないのですから」
「……何を言っている」
宰相が立ち上がった。
「貴様、それは交渉の決裂を意味するのか」
ベネディクトゥスは宰相を一瞥した。
笑顔のまま、視線だけが冷たかった。
「あなたもまた『物語』に囚われておられる」
それだけ言って、視線を皇帝に戻した。
「『平和』という『物語』に。しかし私達が歩むべきは『滅び』、ただそれだけです。人間を滅ぼしたのち、魔族もまた滅びましょう。そして『物語』は消え、ものを考えない動植物と自然だけが残る」
謁見の間が、静まり返った。
「それはとても穏やかで美しい世界だと思いませんか、陛下」
皇帝は、動かなかった。
玉座に座ったまま、ただベネディクトゥスを見ていた。
老いた目の中で、何かが静かに崩れていった。
戦いを終わらせたかった。
民が死ぬのを見たくなかった。
だから交渉の席に着いた。
だから信じようとした。
それが全部、最初から茶番だった。
「最初から、そういうことだったのか」
皇帝の声は、かすれていた。
ベネディクトゥスは深々と頭を下げた。
「おかげさまで」
その時、懐から小さな魔道具を取り出した。
淡く光った。
「龍脈の心臓部を掌握いたしました」
謁見の間が、揺れた。
文字通り、床が、壁が、天井が揺れた。
遠く地の底から、何かが軋む音がした。
皇帝は玉座の肘掛けを掴んだ。
その手が、震えていた。
自分の体が震えているのか。
それとも、世界そのものが揺れているのか。
老いた皇帝にはわからなかった。




