第十二話 夜明け前の出来事〜皇都復興
夜明け前。
軍議室に将軍達を待たせたまま。
魔王は一人、城の最上階にて、はるか東方、アルディアの方角に目を向けていた。
「愚か者が……」
五年かけて育てた屍霊騎士団が壊滅した。
アルディア皇国にある『回廊』を開くために積みあげた重要なピース。
それが、たった一人の守護者に阻まれ、崩れ去った。
「さて、どうしたものか、な」
魔王は夜空を見上げた。
その時、光が生まれた。
光は人の形をしていた。
人の形をした光が、魔王の隣に立っていた。
魔王は光を一瞥した。
声は、どこからともなく頭の中に響いた。
「……久能宗一郎」
「その名で呼ばれるのは久方ぶりだ……貴様は桐島蓮の味方についたのではないのか?」
「私はただの傍観者だ。気まぐれな、な」
「傍観者様が今夜は何用だ」
「守護者に加えて古竜まで人間側についたな」
「何が言いたい」
光がわずかに揺れた。
「物事は『均衡』が大切だ。人間側が強すぎる、これは見ていて少々面白くない」
魔王は黙って聞いていた。
「お前たちに力を授けよう。守護者と同等かそれ以上の力を。これは『あちら側』でも頼みになるはずだ」
「……施しは要らん」
光は嗤うような気配を強めた。
「私が退屈しのぎに与える、ということだ。お前に選択肢はない」
沈黙が落ちた。
ただ、嗤っているような気配だけが残った。
やがて光は消えた。
音もなく。
跡形もなく。
魔王は一人、夜空の下に立っていた。
体の奥底に、見知らぬ力の気配があった。
望んでもいない力が、自分の中に宿っている。
「俺もまた翻弄される駒の一つであるか」
魔王は吐き捨てた。
それでも、『回廊』への道が、また一歩近づいたのは事実だった。
———
朝が来るたびに、街が少しずつ変わっていった。
魔王軍との戦いから十日が経った。
崩れた城壁の石が積み直され、焦げた石畳に新しい砂が敷かれ、壊れた屋根に職人たちが登って槌を振るっている。
修繕の音が、朝から晩まで皇都に響いていた。
俺は城壁の上から、その様子を眺めていた。
いつもの見張りの時間だ。
変わったことといえば、隣に人がいることくらいか。
「守護者よ」
振り返ると、アリアが二つの木杯を持って立っていた。
湯気が立っている。朝の薬草茶だ。
「俺の名前、知ってるだろう?」
「わかった、キリシマ・レン……これからはそう呼ぼう……しかし不思議な名前だ」
アリアは俺の隣に立って、城下を見下ろした。
朝陽の中で、左官職人が崩れた壁に漆喰を塗っている。
その隣で子供が二人、職人の真似をして泥をこね合っている。
「賑やかになった」
「ああ」
しばらく、二人で黙って茶を飲んだ。
悪くない時間だった。
足音が聞こえたのは、その時だった。
軽い、急いでいる足音。
「レン!アリアー!」
城壁の階段を駆け上がってくる声は、遠くからでも誰かわかった。
フィレーネが、エプロン姿のまま息を切らせて現れた。手に籠を持っている。
「朝ごはん、持ってきました!アリアが昨日仕込んでおいたパン生地、焼けましたよ!」
「殿下、走らないでください。転びます」
「転びませんよ!……あ」
石畳の継ぎ目に爪先を引っかけて、フィレーネがよろめいた。
俺は反射的に手を伸ばした。
籠が宙を舞い、丸パンが三つ、城壁の上を転がった。
「……」
「……」
「……すみません」
フィレーネは落としたパンを二つ拾い上げて、しばらく眺めてから、こちらを見た。
俺は真顔で言ってみた。
「五秒ルールって、この世界にもあるのか?」
「なんだそれは」
アリアが不思議そうな顔で答えた。
うむ、通じる訳がない。
俺は転がっていたパンの一つを拾い上げた。
石畳の上を転がった跡がついている。
「……食える食える」
俺はパンをむしゃむしゃと頬張った。
アリアの口元が、わずかに緩んでいた。
城下に下りると、市場が動き始めていた。
野菜売りが声を張り、鍛冶屋が火を起こし、パン屋の窓から焼けた小麦の匂いが漂ってくる。
十日前とは別の街のようだった。
「守護者様ァ!」
声をかけてきたのは、壁の修繕をしていた左官職人だった。
泥だらけの手を前掛けで拭いながら、こちらへ駆け寄ってくる。
「あの夜、正門を守ってくださったのはあなたでしょう。おかげで私の店も、家族も、無事でした」
職人は頭を下げた。深く、真剣に。
「ありがとうございました!」
隣でフィレーネが、こちらをそっと見ていた。
アリアも、視線を城下に向けたまま、黙っていた。
あの夜、守ったのは城壁だけじゃなかった。
この朝陽の中で槌を振るう職人も。
石畳で泥をこねる子供たちも。
市場で声を張る野菜売りも。
全部。
「……悪くない」
「何か言いましたか?」
フィレーネが首を傾けた。
アリアが俺を見た。
その目は何かを言いたそうにしていたが、結局何も言わなかった。
三人で市場を歩いた。
フィレーネが八百屋の前で立ち止まって、見たことのない野菜を指差して「これは何ですか」と聞き、店主が嬉しそうに説明し始める。
アリアが小声で「殿下、護衛なしで市場に来るのは三度目の禁止事項です」と言い、フィレーネが「アリアが一緒にいるじゃないですか」と返す。
俺はその少し後ろを歩きながら、二人のやりとりを聞いていた。
何でもない朝、それが心地よかった。
ふと風に花びらが舞った。
桜に似た花びら。
魔王軍は撤退した。
だけどこれで終わりではない。
やるべき事は山とあり、これから忙しくなるだろう。
それでも。
風に舞う花びらを見つめながら。
このなんでもない日常が続いてくれればと、そう願った。




