悪友
「お、やってるやってる」
「お疲れ様です、紫月君」
その日は雨が降っていた。
学校が終わり、Pura vidaでバイトをしていると、見知った顔が2名入ってきた。
一人はクラスメイトの男だ。肩まで伸ばした茶髪に、同年代の中ではかなり長身であるにも関わらず、威圧感のない人当たりの良さそうな雰囲気のにじみ出ているこの男は松咲薫という。俺とは中学校からの悪友だ。アロハシャツに黒のジーンズというラフな格好でやってきたので一度家に帰ってから来たのだろう。
もう一人は委員長だ。青のTシャツに白のスカートとこれまたラフな格好だ。確かこの二人は家が近所だったはずだ。
天気の悪い中、わざわざ一緒に店に来てくれるとは。客も少なかったから有り難かった。
「珍しいな、二人とも。雨降ってるのにわざわざ来てくれてありがとな」
「いやぁ、恵から紫月がバイトしている喫茶店の話聞いてな。面白そうだから来てみたぜ」
「すみません。話したら行ってみようって言いだして」
二人は昔から仲が良かった。というか薫が色々やらかして、その後処理を委員長がやっていた。本人たちは腐れ縁と言っているが、周囲は付き合っているのだろうという認識だ。なにしろこんな雨の中二人で来るぐらいだ。
「いや、構わないよ。好きな席に座ってくれ」
「お、ちゃんと店員やってるな」
「薫、失礼ですよ」
「はは、悪いな」
「別にいいよ。委員長も、気にしなくて構わないよ」
まあ正直な話、委員長が付き添いで来てくれてホッとしている。
バイト中にテンションの高い薫の相手をするのは大変だからな。
「注文が決まったら言ってくれ」
「おう、何にしようかねぇ。恵は何にするよ」
「そうですね。私は以前飲んだコーヒーにします」
「んじゃあ、俺も同じ奴で」
「分かった。コスタリカコーヒーな」
そう言って確認して、厨房にいる玄さんに言いに行く。
***
紫月が厨房の方に行くのを見て薫はため息をつく。
「しかし紫月が本当にバイトしているとはね」
「はぁ、いきなり失礼でしたよ、薫」
「悪い悪い。でもなんか安心したわ」
そう言いながら笑う薫。普段のふざけているような態度ではなく、本当に安心しているように見える。
普段見せないこの男の態度に恵は首をかしげる。
「安心ですか?」
「おう、なんだかんだ付き合いが長いからなぁ。紫月とは」
「そうでしたね。確か中学から付き合いが増えたんですよね」
「まぁな。その頃からあいつは大分変わったな」
「……そうですね」
「ああ」
そう言いながら薫は振り返る。
仏頂面の悪友は、小学生に転校して来た時からそのままだった。いつも表情を変えることなく淡々と生きているあの男を見ていつも疑問に思っていた。『はたしてこの男はいつも楽しいのか』と。『感情がないんじゃないか』と。
俺は普段から友人たちとバカやって遊んでたから、いつもボーっとしている紫月をただの転校生としか意識していなかった。その頃の紫月の家庭の事は知らされていなかったから、紫月がどれだけ孤独だったかも知らなかった。
ただ、男子から人気があった秋津原柚といつも一緒にいたせいで、他の生徒から反感を持たれていた。中学の頃はいじめにまで発展した。流石に止めようとしたが、そんな事をする前に本人があっさりと解決してしまった。
その時から色々あって、長い付き合いになっているが、そのかいあって今では紫月の事を理解している。
紫月は紫月なりに楽しんでいるし、顔に出ないだけで決して感情がない訳じゃない。それどころかその内に秘めた思いは時に激しく荒ぶることも知っている。
「恵は余り付き合いがなかったから知らないだろうけど、昔からバイトするって決めてたからな、紫月は」
「そうなんですか?」
「ああ、あいつは柚さんとこの家族にお世話になってたからな。恩を返すんだってさ」
「それはまた、昔から律儀だったんですね」
「ああ。見ていて少し不安になるほどにな」
確かに紫月の家庭は特殊な事情があり、紫月は秋津原家にお世話になっている。秋津原家の誰もが人の良い性格で、紫月の面倒を見ることを迷惑に思っていなくても、紫月が恩を感じることは当たり前なことだと思う。だから自分に出来ることで恩を返していこうと考えるのは間違ってはいないと思う。
「何が不安なんです?」
「んん、何つうかな、こう……ハハ、言葉にするのは難しいな」
何が不安なのか、それを言葉にするのは難しい。なにしろ漠然としか感覚でしかないのだから。だが、それでも紫月が恩を返そうとしているのを見ていると、確かに感じるのだ。
「そうだなぁ。俺はさ、あいつとは悪友だろ。中学のあの一件からさ」
「そうですね」
どうにか自分の心の中の感情を明確にしようと言葉を探している俺を、横に座る恵は静に待ってくれる。
「そのかいあって、転校して来たころに比べて紫月も多少は気を許してくれてるとは思うんだわ」
今だから分かることだが、転校して来た頃は本当に酷い状態だった。表情が硬く、反応も薄かった。最初に話しかけた時、その目にうすら寒いものを感じてしまった。『こいつは俺の事が見えているのか、別の所を見ているのではないか』と。それほどの深く黒い瞳だった。
「まぁ、今でもそんなに表情は変わらないんだけどな」
「ふふ、そうですね」
そして今だからこそわかる。あいつはただただ孤独で、そのくせ人との繋がりを持つことを恐れていたんだと。
「当たり前だよな。幼いころに大事な家族を失ったんだ。そりゃ寂しいさ」
「……」
「そして、繋がりを失う痛みも知ってしまった。そりゃ怖いさ」
「……そうですね」
「だから俺たちと関わっていく中で、あいつも少しはいい方向に変わっていっていると思うんだよ」
「そうですね、そうだといいです。それで、何が不安なんですか?」
「だからな、うーん、そのだな、」
あと少しだというのに中々言葉が出てこない。あーでもない、こーでもないと悩んでいると奥から助け舟が出てくる。
「焦り過ぎているってことかい?」
そう言いながらマスターが入ってくる。
「玄さん!」
「あれ、紫月君はどうしたんですか?」
「奥で皿洗いをしてもらっているよ」
あまり愉快な話題でもないので本人がいないのは幸いだった。
「盗み聞きっすか?」
「ハハ、ごめんごめん。でも安心していいよ、紫月君には聞こえていないから」
そう笑いながらミルにコーヒーの粉を入れてお湯を注いでいくマスター。
「麻の袋ですか?」
「うん、コスタリカに行ったときにこれで淹れてもらってね。友人から譲ってもらったんだよ」
「へぇ」
麻の袋に入れられたコーヒーの粉が、お湯を注ぐことでドーム状に形を変えていく。次第に麻の袋を湿らせて下に置かれたコーヒーサーバーに溜まっていく。
「あ、すごい。コーヒーの香りだ」
当たり前だ。だって目の前で淹れているんだから。
だがそう口からこぼれるほどに、その香りはあまりにも仄かで芳しい香りだった。
普段はコーヒーを飲むことがない薫と恵は、ただ見入っていた。
「ふぅ、よし。さあどうぞ。コスタリカコーヒーだよ」
「どうも、いただきます」
「ありがとうございまいます」
渡されたコーヒーを一口飲む。一瞬で口に広がる強い苦み。正直薫はコーヒーがあまり好きではなかった。
「それで、マスター。紫月君が焦っているっていうのは?」
自分がコーヒーの苦みを堪能している間に、恵が先程のマスターの発言に質問する。
「ああ、焦っているっていうのはね、恩を返すことにこだわり過ぎているって言えばいいのかもしれない」
「こだわり過ぎているですか?」
「そうだね。こだわり過ぎている。だってまだ高1だよ。例えばさ、君たちが自分の親に育ててくれたことに感謝をしているとしても、今恩を返すことに必要性を感じるかい?」
「……いいえ、そんなことはないですね」
「それじゃあ早めに恩を返しきる事の必要性はどうだい」
「……それも感じないです」
「そうでしょ。だって返す機会は沢山あるんだから。それは紫月君も一緒だ。だというのにさ、彼はなんであんなに恩を返すことにこだわっているんだろうね」
「それは……」
マスターが話すことは俺が感じている不安に直結するものだと感じた。
そうだ。俺たちはまだ高1だ。まだまだ先は長いのだ。生活する中で少しずつ親孝行をしていけばいい。そしてそれは紫月も同じなんだ。のんびりと秋津原家に恩を返していってもいいはずだ。
「なんだか、それって」
恵も馬鹿じゃないから直ぐに言いたいことを理解してくれる。そして俺が感じている不安も。それを口にする。
「私たちの前から彼が消えてしまうみたいじゃないですか」




