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悪役令嬢のスローライフ計画! 〜実家がまさかのブラック領地だったので、ホワイト企業に作り替えますわ〜  作者: 仁科異邦


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過剰コンプライアンスの罠と、恐怖の「匿名ハラスメント通報窓口」


フローレンス産業医による「強制健康管理プログラム」の導入により、身体的な健康を手に入れた(引き換えに精神的な癒やしであるスイーツを失った)クリスティア。


しかし、真のホワイト企業を目指す彼女の飽くなき探求心……もとい「自分が一切のトラブルから解放されて昼寝をするための環境作り」は、まだ終わっていなかった。


「ヴィンス。リリィ。従業員が健康になったのは喜ばしいことですが、我が社にはまだ『目に見えないリスク』が潜んでいますわ」


CEO執務室。青汁ポーションを渋い顔で飲み干したクリスティアは、幹部たちに告げた。


「我が社は急激な拡大(M&A)を繰り返し、様々な国や文化の人間が入り混じっています。そこで発生するのが……人間関係の摩擦、すなわち『ハラスメント(嫌がらせ)』ですわ!」


「はらすめんと……ですか?」

「ええ! 立場を利用した『パワハラ』、性的な不快感を与える『セクハラ』、言葉の暴力である『モラハラ』!

これらの摩擦を放置すれば、従業員のモチベーションは低下し、最終的に『社長、あいつがムカつくからクビにしてください!』という面倒なクレームが私の元へ飛んでくることになります!」


(従業員の人間関係のトラブル仲裁なんて、最も不毛で精神をすり減らす作業! 絶対に私まで話を持ってこさせないシステムを作らなければ!)


クリスティアはドンッと机を叩き、一つの魔導具を取り出した。

「本日より、本社に『匿名ハラスメント通報の魔導箱(目安箱)』を設置します!

誰かから不快な行為を受けた者は、匿名でこの箱に紙を投函しなさい! 悪質な加害者は、我が社のコンプライアンス委員会(労基署)が厳正に処罰しますわ!!」


「おおおっ! 素晴らしい!」

「立場の弱い新入社員や、元奴隷の従業員たちも、これなら安心して働けますね! さすが社長、完璧なリスクマネジメントです!」


かくして、ローズウッド・グループにおける「絶対的コンプライアンス遵守ハラスメント・ゼロ宣言」が発令された。


誰もが互いを尊重し、一切の摩擦がない、究極のユートピアが完成する。……はずであった。


導入から三日後。

CEO執務室に、ヴィンスとリリィが青ざめた顔で巨大な麻袋を引きずってやってきた。


「しゃ、社長……。目安箱の回収を行ってきたのですが……」

「三日で、投函された通報用紙が『五千枚』を超えました……!」


「…………は?」


クリスティアの顔が引きつった。

本社で働く従業員の数は約一千人。

つまり、一人当たり五回は何らかのハラスメントを通報している計算になる。


「な、なんですのその異常な数は! 我が社はそんなにドロドロのブラックな人間関係だったというの!?」

「いえ、それが……中身を見ていただいた方が早いかと」


ヴィンスが震える手で、通報用紙の束を机の上にぶちまけた。

クリスティアは恐る恐る、その一枚を手に取って読み上げた。


『ルシアン本部長の目つきが怖くて萎縮してしまいます。これは「オーラ・ハラスメント(オラハラ)」だと思います』


「……は?」

横で腕を組んでいたルシアンが「あぁ!?」と青筋を立てる。

「ふざけんな! 俺はただ普通に廊下を歩いてただけだぞ!! 殺し屋時代の癖でちょっと殺気が漏れてるだけだ!!」


クリスティアは無言で次の紙をめくった。

『社員食堂で、ヴィンス局長の皿に乗っているオーク肉より、私の肉の方が3ミリ小さかったです。

「配膳ハラスメント」として厳重に処罰してください』


『新入社員に「おはよう」と声をかけたら、「朝からテンション高くてウザいっす。それ挨拶ハラスメントっすよ」と逆切れされました』


『レオンハルト局長の鎧がピカピカすぎて、日光を反射して目が痛いです。「眩しハラスメント(マブハラ)」です』


「………………」

『クリスティア社長が、書類を見ながら「はぁ……」と深いため息をつくせいで、こちらのモチベーションまで下がります。「ため息ハラスメント(タメハラ)」として、社長の減給を要求します』


「……ただのワガママと、被害妄想の展覧会じゃないのぉぉぉぉぉっ!!!」

クリスティアは通報用紙の束を空中に放り投げ、頭を抱えて絶叫した。


「なんなのこれ! 気に入らないことや、ちょっとした不満に全部『〇〇ハラスメント』って名前をつけて、権利を主張しているだけじゃないの!!」


「おっしゃる通りです……」

ヴィンスが胃を押さえながら呻く。

「現在、社内は完全に『相互監視のディストピア』と化しています。誰もが『ハラスメントで通報されること』を恐れ、コミュニケーションを完全にシャットアウトしてしまいました」


「さ、先ほどなど……業務の引き継ぎすら『言葉ハラスメント』と言われるのを恐れ、全員が一言も喋らず、無言で紙飛行機を飛ばしてやり取りをしていました……!」


リリィも泣きそうになっている。

結果として、社内の業務効率(生産性)は「ゼロ」に等しい状態まで叩き落ちていた。


誰も指示を出せない。誰も注意できない。

少しでも気に食わないことがあれば、即座に「目安箱」へと匿名で投函される。


コンプライアンス(法令遵守)を過剰に意識しすぎた結果、組織の機能そのものが凍結フリーズしてしまったのだ。


「……社長。この五千件の通報ですが、規定によれば『コンプライアンス委員会(トップである社長)』が、全ての案件に対して当事者を呼び出し、ヒアリング(事実確認)と調停を行うことになっています」


「…………え?」

ヴィンスの宣告に、クリスティアの全身からサァッと血の気が引いた。

「五千件の……事実確認……?」


「はい。誰の肉が大きかったか、誰の目つきが怖かったか。社長には本日から、その一件一件の調停裁判官カウンセラーとなっていただきます」


「………………」

前世の記憶が蘇る。

企業において、最も時間と精神を浪費する泥沼の業務。それは、契約でもM&Aでもない。「社員同士の幼稚な感情のモツレ(人事トラブル)」の解決である。


「ルシアン……レオンハルト……」

クリスティアは、地を這うような低い声で武力担当の二人を呼んだ。


「おう」

「今すぐ、あの『目安箱』を中庭に持って行って、跡形もなく爆破(物理的消去)しなさい」


「社長!? 証拠隠滅ですか!?」

「うるさーーーーーいっ!!!」


クリスティアは拡声魔導具メガホンをひったくり、本社の窓から身を乗り出して、全従業員に向けて魂の咆哮を放った。


「いいですか貴方たち!! 業務上の必要なコミュニケーションや、正当な注意はハラスメントではありません!! そして、肉の大きさや他人の目つきにまで文句をつけるのは、ただの『クレーマー』ですわ!!」


びくっ、と全従業員の肩が跳ね上がる。

「わたくしは本日を以て、過剰なハラスメント規定を全面撤廃します!!

多少の摩擦はコミュニケーションで解決しなさい! もし次、下らない不満を通報してきた奴がいたら、わたくし自らが『超絶パワーハラスメント(物理減給)』の鉄槌を下してやりますわよぉぉぉぉぉっ!!!」


CEO(元社畜)による、コンプライアンスを完全無視した恐怖政治トップダウンの宣言であった。


その日の午後。

目安箱が爆破され、「下らないことで騒ぐと社長に物理で粛清される」という共通認識(共通の敵)が生まれたことで、本社には奇妙な一体感と、正常なコミュニケーションが戻っていた。


「……終わった。また余計な仕事が増えるところだったわ……」

執務室のソファーで、クリスティアは燃え尽きていた。

「摩擦のない平和な職場」をシステムで作ろうとした結果、人の悪意と被害妄想を増幅させ、あわや五千件のヒアリング地獄に落ちるところであった。


「お疲れ様です、社長。やはり、組織というものは『適度なストレスと摩擦』がないと、正常に機能しない生き物なのですね」


ヴィンスが温かいハーブティー(糖分ゼロ)を差し出しながら、しみじみと語る。

「ええ……。システムで人間の感情を統制しようなんて、経営者の奢りでしたわ……」


「というわけで社長!」

リリィが、いつものように満面の笑みで「新しい書類の山」を台車に乗せて運んできた。


「ハラスメント騒動で半日業務が止まっていた分の『遅延リカバリー(緊急決裁処理)』が、五百件ほど溜まっております! 今日も残業、頑張りましょう!!」


「………………」

結局、システムを導入しても、撤廃しても、最終的にしわ寄せ(仕事)が来るのはトップである。


人間関係の泥沼という現代ビジネスの闇に触れた悪役令嬢の定時退社は、またしても遥か彼方へと消え去るのであった。


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