恐怖の定期健康診断と産業医によるドクターストップ
社員旅行から無事に帰還し、ローズウッド・グループ本社には再び平穏な業務の日常が戻っていた。
「……皆様、我が社は超絶ホワイト企業です。労働時間や休日は完璧に管理されていますわ」
CEO執務室で、クリスティアは幹部たちを前に真剣な顔で語りかけた。
「しかし! 真のホワイト企業たるもの、社員の『身体的・精神的な健康』までフォローしてこそ一流! というわけで、本日より我が社に『定期健康診断』および『専属産業医によるヘルスケア制度』を導入いたしますわ!」
「おおおっ! 健康診断!」
「社長、素晴らしい配慮です! 最近、少し肩こりが気になっていたところでして!」
ヴィンスとリリィが嬉しそうに頷く。
無理もない。彼らは休日はしっかり取っているものの、仕事への情熱(ワーカホリック気質)ゆえに、デスクワークの疲労や眼精疲労を溜め込みがちだった。
「ふふふ、手配は完璧ですわ。王都から、泣く子も黙る凄腕の治癒魔法使い……もとい、『フローレンス産業医』を特別に招聘しましたの!」
(これで社員の健康は完璧に維持される! 病気による欠勤が減れば、私の仕事も減って、念願のダラダラお菓子生活が守られるという完璧な計算よ!)
クリスティアの目論見は、経営者としては極めて正しかった。
──ただ一つ、彼女自身の「生活習慣」を棚に上げていたことを除けば。
本社の特設メディカルルーム。
白衣に身を包んだ、銀縁眼鏡のクールな美女・フローレンス先生(産業医)が、社員たちの問診票と魔力数値を冷徹にチェックしていた。
「……ヴィンス局長。貴方、一日に『エナジー・ポーション(高濃度カフェイン飲料)』を何本飲んでいますか? 胃壁がボロボロですよ。今日からポーションは一日一本まで。それ以上はドクターストップです」
「な、なんだと!? あれがないと午後の決裁スピードが落ちるのに……っ!」
「ルシアン本部長。肝臓の数値が基準値の三倍を超えています。毎晩の深酒ですね? 本日から一ヶ月間、完全な禁酒(休肝日)を命じます。破ったら物理的に酒樽を破壊しますよ」
「はあ!? 冗談じゃねえ、仕事終わりのエール(酒)がねえ労基署なんて、ただの暴力装置じゃねえか!」
「うるさいですね。不健康な社員は会社の損失です。次!」
フローレンス先生の容赦ない「健康指導(宣告)」の前に、最強の武力と頭脳を誇る幹部たちが次々と撃沈していく。
「素晴らしいわ……! さすが私が高給で雇った最強の産業医!」
その様子を後ろで見ていたクリスティアは、扇子で口元を隠してホホホと笑った。
「さあ、最後はわたくしですわね! 毎日定時で上がり、十分な睡眠を取り、美味しいものを食べてストレスフリーな生活を送る、この健康優良CEOの数値を拝見なさい!」
クリスティアは自信満々で診察椅子に座り、腕を差し出した。
フローレンス先生は魔力計でクリスティアの脈を測り、じっと問診票に目を通す。
「……」
「どうです? 完璧でしょう?」
フローレンス先生は、ゆっくりと眼鏡を中指で押し上げた。
「……クリスティアCEO。貴方の魔力と血圧の数値ですが」
「ええ」
「極度の運動不足による『隠れ肥満(メタボ予備軍)』、および糖分の過剰摂取による『血糖値の異常』が確認されました」
「………………は?」
クリスティアの扇子が、手からポロリと滑り落ちた。
「なっ……! わ、わたくしが肥満!? 冗談でしょう! ドレスのサイズは昔から変わっていませんわよ!」
「筋肉が落ちて脂肪に変わっているだけです。毎日デスクワークで座りっぱなし。休日は一歩も外に出ず、専属シェフ(シロ)が作る激甘スイーツを食べては寝る。
……典型的な『不健康な怠け者(生活習慣病予備軍)』のデータです」
冷酷なファクト(数値)の暴力が、クリスティアの心臓を容赦なく抉る。
「……」
「しかも、ストレスの数値だけは異常に高い。このままの生活を続ければ、数年後には間違いなく血管が詰まるか、魔力障害で倒れますよ」
フローレンス先生は、問診票に「バンッ!」と赤いスタンプを押した。
「CEO! 貴方には本日より、『特定保健指導(強制ダイエットプログラム)』を適用します!!」
「い、いやああああああああっ!!」
翌朝、午前六時。
「おはようございます、クリスティア社長! さあ、朝の有酸素運動の時間ですよ!」
「ひぃぃぃぃっ……! なぜ私が、こんな早朝から走らなければならないのぉぉぉっ!!」
ローズウッド領の広大な庭園。
ジャージ姿に着替えさせられたクリスティアが、フローレンス先生が乗る馬車の後ろを、涙目で走らされていた。
「運動不足の解消は経営者の義務です! ほら、足が止まっていますよ! ルシアン本部長、サポートを!」
「おう! ほら社長、気合い入れろ! 俺も禁酒のストレスでイライラしてんだ、付き合ってもらうぜ!」
休肝日で禁断症状が出ているルシアン(超不機嫌)が、背後から木刀を持って追いかけてくる。完全な地獄のブートキャンプである。
「はぁっ……はぁっ……! 殺して……もういっそ、私を過労死させて……!」
「何を甘ったれたことを言っているのです! さあ、朝食の時間ですよ!」
ランニングの後、食堂に連行されたクリスティアの前に出されたのは、いつもの「シロ特製・ふかふかパンケーキとたっぷりのメープルシロップ」……ではなく。
「はい。本日の朝食、『味のしない茹で野菜』と『謎の苦い健康青汁』です。糖質と脂質は完全にカットしました」
「あ……ああ……私の、私の甘い癒やしが……」
クリスティアは白目を剥きながら、泥水のような青汁を胃に流し込んだ。
執務室の机の引き出しに隠してあった「非常用マカロン」も、リリィによってすべて没収(監査)されてしまった。
一週間後。
CEO執務室には、げっそりと頬をこけさせ、虚ろな目で決裁書類にハンコを押すクリスティアの姿があった。
「……お腹が、空きましたわ……。お砂糖……お砂糖を舐めさせて……」
「我慢です社長! 次の血液検査まで、スイーツは全面禁止です!」
眼精疲労が治り、すっかり健康体になったリリィが爽やかに書類を運んでくる。
「ああ……」
クリスティアは、窓の外の青空を見つめた。
ホワイト企業を作り上げれば、大手を振って「怠惰なスローライフ」を満喫できると思っていた。
しかし、真のホワイト企業とは「社員の健康を会社が管理する」ということ。
つまり、トップである彼女自身が「不健康にダラダラすること」すら、コンプライアンス的に許されなくなってしまったのだ。
(健康になるための努力が、一番のストレスってどういう理不尽ですの……っ!!)
「社長! 三十分座りっぱなしですよ! スタンディングデスクに切り替えて、スクワットしながら決裁をお願いします!」
フローレンス先生の容赦ない指導が飛ぶ。
「いやあああああああああっ!! 私の不健康で甘美なスローライフを返してぇぇぇぇぇっ!!」
誰も過労死しない、超ホワイトで健康的な世界。
その頂点に立つ悪役令嬢は、今日も今日とて、己の怠惰を許さない「絶対的な健康管理」の前に涙を流すのであった。
(悪役令嬢の健康優良・スローライフ計画:現在進行形でカロリー消費中)




