夢の「社員旅行(慰安旅行)」
新卒モンスターたちの「ビジネスマナー合宿」から数週間。
徹底的な教育の甲斐あって、新入社員たちは見違えるように立派な社畜……もとい、立派なホワイト企業の社員へと成長し、本社の業務はかつてないほどスムーズに回り始めていた。
しかし、CEO執務室のソファーには、完全にライフゼロの状態で横たわるクリスティアの姿があった。
「……疲れましたわ。新人の教育、イレギュラー案件の処理、山のような決裁。私、この数ヶ月まともに休んだ記憶がありません」
幽鬼のような声で呟くクリスティアに、ヴィンスとリリィが同情の目を向ける。
「社長……本当にお疲れ様です。新卒組が自走し始めた今こそ、少し長めのお休みを取るべきかと」
「そうです! 領地の『ローズウッド・スパ&リゾート本店』でパーッと羽を伸ばしましょう!」
その言葉に、クリスティアはピクリと反応した。
(そうよ……! 今の私に必要なのは、完全なる休息! 温泉! 美味しいご飯! そして、一切仕事のことを考えない時間!!)
クリスティアは勢いよく立ち上がった。
「素晴らしい提案ですわ! せっかくですから、日頃の労をねぎらう意味も込めて、本社勤務の全従業員を対象にした『社員旅行(慰安旅行)』を実施しますわ!!」
「おおおっ! 社員旅行!」
「社長のおごりで、最高級リゾート貸し切りですか!? やったー!!」
「ええ! もちろん『無礼講』です! 役職も立場も忘れ、ただひたすらに温泉と宴会を楽しむ! 最高の二泊三日にしましょう!!」
クリスティアは満面の笑みで宣言した。
彼女の頭の中には、ふかふかの布団、上げ膳据え膳の豪華な食事、そして大自然の中で何もせずにボーッとする自分の姿しかなかった。
しかし、彼女は前世の記憶から完全に抜け落ちていた。
「社員旅行」というものが、状況によっては経営者や幹事にとっては「場所を変えて行う、24時間体制の接待&トラブル対応業務」に他ならないという残酷な事実を。
社員旅行当日。
ローズウッド・スパ&リゾート本店に向かう大型の魔導バスの車内から、地獄はすでに始まっていた。
「社長ー! 気分が悪くなりました! 酔い止めのポーションどこですかー!」
「社長! 新卒の〇〇君が、トイレ休憩のサービスエリアに置き去りになりました!」
「社長! バスの後ろの席で、元・第一騎士団の連中がすでに宴会を始めててうるさいです!」
「…………」
一番前のVIP席でアイマスクをつけて寝ようとしていたクリスティアは、五分おきに飛んでくる報告とクレームに、ギリッと奥歯を噛み締めた。
(なぜ……なぜ私に聞いてくるの!? 旅行のしおり(マニュアル)に全部書いてあるでしょうが!というか幹事は?!)
「ヴィンス! リリィ! 貴方たちで対応しなさい!」
クリスティアが振り返ると、そこには。
「スゥ……スゥ……」
「むにゃ……決裁印はもう押しません……」
ここ数ヶ月の激務から解放された安心感からか、ヴィンスとリリィは出発五分で完全に熟睡していた。有能な右腕たちは、すでに「ただの旅行客」と化していたのだ。
「使えないわね……っ! ルシアン、レオンハルト! 貴方たちが……」
「おう、このオークの干し肉うめえな! 酒が進むぜ!」
「はっはっは! 労基署の仕事がない日は最高だな!」
武力枠の二人も、すでに後部座席で大宴会(出来上がっている状態)である。
「……はぁ」
結局、クリスティアは酔い止めを配り、迷子の新人を魔法で回収し、車内の騒音を注意するという「完全なる引率の先生(添乗員)」として、休む間もなくリゾート地へと到着したのだった。
そして夜。
大広間での「大宴会」が幕を開けた。
「今日は無礼講です! 皆さん、大いに飲んで食べて、日頃の疲れを癒やしてくださいね!」
クリスティアが乾杯の音頭を取った瞬間、社員たちのタガが完全に外れた。
「しゃちょぉぉ〜! 俺、社長の定時退社への執念、マジで尊敬してるんっすよぉぉ!」
「ヴィンス局長! 今日くらい税金の話は忘れて、一気飲みしましょうよ!」
「うぇぇぇん! 私、パスワード忘れちゃってごめんなさぁぁい!」
あちこちで泣き上戸、笑い上戸、絡み酒が発生し、大広間はカオスと化した。
そして、恐ろしいことに「無礼講」という言葉を真に受けた新卒たちが、とんでもない余興を始めやがったのだ。
「それでは! 我々新卒一同による余興! 『室内・極大ファイヤーボール曲芸』をご覧くださーい!!」
「バッカじゃないの!? 木造建築の旅館で何をしてますのぉぉぉっ!!」
クリスティアは猛ダッシュで新入社員に飛び蹴りを食らわし、間一髪で旅館の全焼(大惨事)を食い止めた。
「お客様! 困ります! 他のお部屋から苦情が!」
「申し訳ありません! すぐに静かにさせますわ! ほら貴方たち、廊下で魔法剣の素振りをするんじゃない!!」
その後も、酔い潰れて廊下で寝るヴィンスを部屋に引きずり戻し、他の客に絡もうとするルシアンを物理的に鎮圧し、女将に平謝りしながら弁償の金貨を包む。
クリスティアが自室にたどり着いたのは、深夜三時のことだった。
「……終わった。ようやく、終わったわ」
ボロボロになったドレスを脱ぎ捨て、クリスティアはふらふらと部屋の露天風呂へと向かった。
誰もいない、静かなお風呂。ようやく訪れた、真の「スローライフ」の時間。
ちゃぷん、と湯船に浸かり、目を閉じる。
(ああ……最高……。色々あったけれど、この一瞬のためなら……)
『ピロリンッ♪』
脱衣所に置かれた通信魔鏡から、無機質な音が鳴った。
「……ん?」
嫌な予感がして魔鏡を覗き込むと、そこには「留守番」として本社に残っていた夜間警備の社員からの緊急メッセージが。
『社長! 申し訳ありません! 全員が旅行で浮かれていたせいで、本社の倉庫の鍵を閉め忘れ、野生のゴブリンの群れが侵入して備品を食い荒らしています! 至急、指示を!!』
「………………」
クリスティアの時間が止まった。
全員が休んでいる。幹部も泥酔して使い物にならない。
この緊急事態の対応(指示出し)ができるのは、この会社でたった一人。
「……あああああああああああああああああっ!!!! だから社員旅行なんて嫌なのよぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
夜の露天風呂に、クリスティアの魂の絶叫が響き渡った。
結局バスタオル一枚の姿で通信魔鏡にかじりつき、徹夜で本社のトラブル対応を指示し続ける羽目になったのである。
翌朝。
「いやー! 最高の社員旅行でしたね!」
「ぐっすり眠れて、疲れが完全に吹き飛びましたよ!」
「社長! ぜひ来年もやりましょう!!」
旅館の前で、ピカピカの笑顔で整列する社員たち。
その先頭には、目の下に真っ黒なクマを作り、魂の抜けたような顔で立ち尽くすクリスティアの姿があった。
「……来年? 二度と、絶対に、やらないから……」
社員がリフレッシュすればするほど、トップの疲労は蓄積していく。
「社員旅行=ただの出張(激務)」という経営者の残酷な真実を学んだ元社畜令嬢の休日は、またしても幻と消えたのであった。




