50 風前の煙
窓から陽の光が差し込み、ファウラーの夕陽を溶かしたような髪色をより鮮やかに染め上げる。
薄暗かった室内自体はいつの間にか陽の色に包まれ、その中心にいる人物も相まって美しい輝きを見せていた。
が、レティは敵地にいることをまざまざと見せつけられているようで居心地の悪さを感じていた。
「無事に辿り着いて何よりだ」
「お陰様でね。立派な屋敷だ」
「そうだろう?」
初めて間近で見るファウラーは、態度も端々に見える表情も自信に満ち溢れており、妙な威圧感があった。
気を抜くと、すぐに怯んでしまいそうになる。
レティは足を組んで胸を張り、わざと偉そうな態度を見せた。
虚勢でもないよりマシだ。
あくまで対等なのだと、己に言い聞かせる。
「うちのユールが世話になったね」
「ああ。うちの弟子たちも世話になったようだな」
「弟子の躾はもっとしっかりして欲しいものだ」
「任務に忠実な者が多くてな。つい先走ってしまうようだ」
「忠実、ね……」
ファウラーはレティの様子を見やると、普段と特に変わりない様子に目をしばたかせた。
「……驚いたな。ここまで近くに居て何ともないのか」
「何がだ?」
ファウラーは懐から黒い球体のようなものを取り出すと、二人の間にあるテーブルへ静かに置いた。
レティは身を乗り出し、角度を変えつつじっくりと眺める。
それが何なのかはわからなかったが、身体の奥でざわざわと蠢くような、嫌な気持ち悪さを感じた。
レティが口を開きかけたとき、どさり、と音がした。
驚き目を向けると、ファウラーの後ろに立っていたはずのテオが地面に膝をついていた。
「師匠……すみませ……」
「君、大丈夫か?」
「下がれ、テオ」
「……いえ……でも」
「そんな状態でここに居られる方が迷惑だ。出て行け」
ファウラーは呆れたようなひどく冷めた顔で追い払うように手を払う。
起き上がったテオの顔を見やると、額に汗を浮かべ、ひどく青ざめている。
テオは苦しげな顔をしながら頷くと、一礼して部屋を出ていった。
「大丈夫なのか?」
「ああ。ここから離れれば問題ないだろう」
「……呪いの類か」
「まともに魔力がある人間であれば、先ほどのテオのようになる」
「ああ、彼はそれで……ユールにもやったのか」
「さあ?どうだったかな。俺は彼を保護しただけだ」
思わず睨みつけるレティをよそに、ファウラーは穏やかな笑みを浮かべ、観察でもするかのようにレティを眺めた。
「普通、何も施していない状態のこれを直で見てまともに動くことはできないはずなんだがな」
「知っての通り、私はまともな量の魔力はないからな」
レティは開き直って肩をすくめる。
「知ってはいたが、これほどとはね。……君自身もなかなか興味深い」
「私は君の被験体になるつもりはないよ」
「それは残念だ」
「……魔力量の割に、君は無事そうだが」
「俺はこういうものを扱いたくて耐性をつけたからな。まぁ……多少影響はあるが」
「なるほどね。つまりこれは……ユール避けってことかな」
「どうだろうな」
ファウラーはなおも愉快そうに笑みを浮かべる。
レティは眉間にしわを寄せ、拳をぎゅっと握りしめた。
「さて……ここまできたということは、取引に応じる気があるということで、いいんだろうな?」
「なんのことだろうか。私は弟子が保護されているというから、引き取りに来ただけだが?」
「ハハッ……そうか、そうだったな」
ファウラーは面食らった顔をすると、大きく口を開けて笑った。
「……もう面倒だ。遠回しな建前は省こう。弟子を返してほしければ幸運の手紙を渡せ」
「断る」
ファウラーは大きくため息をつくと、腕を組んで椅子に背を預ける。
「貴殿は物分かりのいい人間かと思っていたが……状況を理解できていないのか?」
「できているとも」
「ならば、手紙と交換だ」
「これは預かりものだ。私の一存でどうこうできるものではないよ」
「処分が必要なんだったな?俺が引き受けよう。もちろん、じっくりと研究させてもらった後にだが」
「お構いなく」
「……まだわからないか。お前の弟子は人質で、動けない状態だ」
ファウラーは呆れとイラつきを隠そうともせず、穏やかだった表情は歪み始める。
彼の強くなる語気と共に風は徐々に勢いを増し、レティの髪を舞い上げた。
「魔力のほとんどないお前に今何ができる?」
レティはゆっくりと目を閉じて息を吸い込むと、ファウラーを真っ直ぐに見つめてにこやかに笑いかけた。
「君は……どうやら思ったより臆病なのだな」
「……なんだと?」
ファウラーの瞼が揺れ、額に青筋が浮かぶ。
「ユールを脅威に思ったから呪いなんかで弱らせて、私からも引き離した」
「合理的な対応だろう」
「そうかもな。でも、自分や弟子の体調を阻害するようなものを利用してまですることか?ましてや、君ほどの人物が」
「ただの対策だ」
「そうまでしてユールを遠ざけたかったんだろう?」
ファウラーは表情を曇らせ、小さく舌打ちをする。
「……そういうことにしておけばいい」
「それと……ずっと屋敷の中に風を吹かせているのは、煙対策だろうか。これは私の自意識過剰か?」
「なんだ、ちゃんと理解しているじゃないか。お前は手紙を渡す以外に、選択肢はないんだ」
レティはふうと息をつくと、やれやれと顔を振る。
「わかっていないのは君の方だ」
「なんだと?」
風だと思っていたものが、少しずつ、目に見えて。うっすらと形を成していく。
室内にもやがかかっていく。
かすかに見える程度に薄く薄く広がっていたそれは、徐々に集まり、淡い灰色の尾を描いた。
「……いつの間にか貴殿の手中だったわけか。認定魔術師の称号は飾りじゃないようで安心した」
ファウラーはほんの少しだけ目を見開き、前髪をかきあげると、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「こういうのは嫌いじゃない」
「君の好き嫌いなどどうでもいい」
レティはさながら大蛇のようにうねる煙を身にまといながら、ファウラーを睨みつけた。
「私の弟子を返してもらおうか」
「いいや。貴殿は幸運の手紙を差し出すんだ」
いつの間にか風は竜巻のように渦を描き、ファウラーの手元には赤い火花が炎をまとって飛び散ろうとしている。
「これだから魔術師は好戦的だなんて言われるんだよ」
「貴殿もだろう? 実力主義の世界なんだ、実力で黙らせるのが一番納得ができるのだから仕方がない」
「こうなるだろうとは思っていたけれど、残念だよ」
「面白い。貴殿に勝ち目があるとでも思っている言い草だな」
「どうだろうね?」
ファウラーは眉毛を吊り上げ、意地悪そうな笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がった。
「……幸運が味方してくれることでも、祈ればいい」
「いらないよ」
レティは口の端でわずかに笑うと、吐き捨てるようにそう言った。




