49 ファウラーの屋敷
ファウラーの屋敷は、街の中心部からは少し離れた場所にある。
場所自体は以前から知ってはいたものの、川を越えた先にあるその地域にはほとんど行く機会もなく、出不精なレティが実際に目にするのは初めてだった。
「レティ先生、待たせたね。こっちだよ」
「ああ」
テオがいくつか門番と言葉を交わすと、ギイと音を立てて門扉が開き始める。
黒い鉄製の門扉を抜けると、屋敷自体までの道には青々とした木々が立ち並んでいた。
道の先に見えるのは、左右対称のデザインと大きな窓が特徴的な、見るからに広そうな屋敷。
キャシーの屋敷をはじめ、先に訪れた3つの屋敷もそれぞれ広さがあったが、ここはそれらを優に超えそうだ。
客間で待つように言われたものの、胸の奥がざわついて落ち着かない。
妙な不快感が胃の中に落ちていくような感覚がある。
落ち着け。
準備はできる限りしてきたはずだ。
レティは言い聞かせるようにゆっくりと息を吸い込んで吐き出す。
屋敷の中はどこでもうっすらと風が漂っており、それも気を散らせていた。
レティの頬を風が掠めると、寒くもないのに身体が少し震え始める。
「寒い?」
「いや、大丈夫だ。……いつもこうなのか?」
「いつもというわけじゃないけど……たまに屋敷の中でも実験するからそれじゃないかな」
「ふうん」
蒸気の音がまるでしないことを考えるに、蒸気による動力ではなく、屋敷全体に魔術をかけているのだろう。
レティは素直に感心した。さすが大規模な魔術を得意とする魔術師だ。
「関心を持っていただけたようで何よりだな。貴殿も試してみるといい」
聞き覚えのある低い声に振りむくと、その男は立っていた。
「大変興味深いが、私がやるには長い工夫が必要になりそうだ」
「だろうな」
「お招きいただいたようで、どうも」
「ああ。待ちかねたよ」
ファウラーはレティの目の前の椅子に座ると、気だるげに頬杖をつきながらも愉快そうに笑みを浮かべた。
ユールが眩しさを感じて瞼を開くと、そこは見知らぬベッドの上だった。
「ここ……は……」
何処か連れていかれた場所で意識を取り戻したのだと自覚はしたものの、頭がぼんやりとしている。
倒れた時のような気持ち悪さは少しマシにはなったが、まだ身体は泥のように重い。
だが、それとは別の違和感があった。
音が不快なほど耳に響く。周りがやけに鮮やかで目が眩む。
ユールは目を細めながら自身の手を見やると、いつもそこにあるはずの指輪が、ひとつ残らず外されていた。
耳に手を添えてみると、ピアスも外されている。
「はは……なるほどね。おっ……と」
起き上がろうと身体を起こすと、バランスを崩して転びかけた。
支えようと咄嗟に手を前に出すと、指先からばちりと青白い魔力が零れ落ちてきらめいた。
「ああ…………そうだった」
目を閉じて、はぁとため息をつく。
常にうるさい音。見え過ぎて眩しく感じる視界。気を抜くと零れがちな魔力。
ひさびさの感覚だった。
制御具がないときの自分は、やはり生活しづらい。
気合を入れてもう一度目を開くと、いくつかのベッドと箱のようなものが並べられている。
魔道具工房で見たような器具や書類の山をみるに、実験室のような場所なのかもしれない。
足元を見やると、足を何か鎖のようなもので繋がれていた。
それは箱のようなものに繋がっており、魔力が吸われている感覚があるのを考えると、やはり魔道具か何かだろう。
バランスを崩したのはこれのせいもあるかもしれない。
そんなことを考えているうちに、人の足音が聞こえてきた。
「起きたのか」
それは、見覚えがある……どころか、昨日戦った人物——ジャレッドだった。
「ええ。お陰様でぐっすり眠れたみたいですね。ここは……ファウラーさんの屋敷かどこかですか?」
「ああ。気分はどうだ?」
「ものすごく気持ちが悪いです。吐いていいならすぐ吐けるぐらい」
ユールはにっこりと笑ってそう言った。
身体の反応から考えるに、呪いのアイテムはそれなりには離れたのだろうが、そう遠くない距離にあるようだ。
呪いの影響と制御具がないだけでも体調は最悪なのに、昨日のことを思い出して胃がむかむかしてきた。
正直まだ許してはいない。先生がああ言うから、自分の中でごまかして咀嚼しているだけだ。
「すまないが、取引が落ち着くまでは大人しくしていてもらう必要があるらしい。なんなら私もうっすら気持ち悪い」
「……バカなんですか?」
「師匠は顔色ひとつ変わらないからな。私たちがどうとかは考えてないんだろう」
ジャレッドは呆れたような口調ながらも、少し誇らしそうに口元を緩める。
「呪いの類いと相性がいいのか耐性があるのか……羨ましい限りだ」
「はぁ、なるほどね」
それ自体はユール自身も大層羨ましくはある。
呪い関連が自分の大きな弱点であることは、今回改めて身をもって痛感したばかりだ。
そのとき、ぐうと気の抜けた音が鳴る。
こんな時にもどんな時にも腹が減るのがユールという人間だった。
「あぁ……お昼食べ損ねたんでしたっけ」
朝にご飯を食べてから、魔力も体力も消費したのにもかかわらず、何も食べていないのだ。
いつも以上に身体が動力源を欲しているのにも関わらず、である。
そもそもあれからどれぐらい時間がたったのかもわからない。
「何か食べるか?と言っても……菓子ぐらいしかないが」
「あ……いえ、いまは物を食べたくないので、結構です」
「まぁ、そうか」
昨日の敵に手ずから渡された食べ物を何事もなかったように食べられるほど、信用はできていない。
何より、身体の状況を考えると、物を口に入れることはしたくなかった。
ユールは考えをまとめようとして指を組み、そこに指輪がないことを思い出す。
そこまで重いものではないはずなのに、制御具をしていない指先はやけに軽く感じられた。
「……僕のつけていた指輪とピアスはどこです?制御具だと分かっていて外してるんですよね」
「師匠の命令でな。ちゃんと後で返すさ」
ユールはピクリと眉を動かすが、笑顔は崩れない。
「大切なものなんです。返してください」
「まぁもう少し待ちたまえ」
「……」
ユールはつい振り上げそうになった拳を握り締め、目を伏せて息を整える。
落ち着け。
状況的にも体調的にも、自分の方が圧倒的に分が悪いのだから。
ユールはふぅと息をつくと、足に繋がれた鎖を持ち上げながら、その先を辿って目を滑らせる。
「……これって魔道具ですよね」
箱には計量秤のような表示板がついており、針がぐるぐると回り続けている。
「そのままにしてると魔力が溢れてきて危なさそうだから繋がせてもらった。ただの魔力の測定装置だ」
「すみませんね、お手数おかけして。……危ないなら早いところ制御具返してください」
ジャレッドは首を振り、小さくため息をつく。
「それはできない。お前を移動させないことが大事らしい」
「はぁ。じゃあ移動しないんで」
「そういう話じゃないことはわかるだろう。お嬢様……きみの師匠と話がついたら解放する算段にはなっている。もう少し待っていろ」
「先生が来ているんですか?」
「呼び出す予定だとは聞いている」
「……それなら急がないとな」
ユールは小声でつぶやくと、指先が一瞬仄かに光を帯びる。
「何と言った?」
「何でもないです。……この部屋にいるのはあなた1人ですか?」
「あぁ。だが外にはたくさん人がいるぞ。そう簡単に抜け出そうなんて思うなよ」
「それはそれは。いいことを聞きました」
「この部屋にあるものってほとんど魔道具ですよね」
「そうだが」
ユールは息をゆっくりと吸い込みながら足元に意識を集中させると、青白い光がバチバチと弾けながら鎖を流れていく。
「おい、何やって……!」
許容量を遥かに超える勢いで魔力を流された魔道具はガタガタと震えだし、異常を検知した音が室内に鳴り響く。
慌てて駆け寄ろうとするジャレッドをユールは腕で制す。
「しばらくは大人しくしておいてあげますから、とりあえず制御具返してください」
「いやでも」
「いま、すぐ」
ユールがジャレッドを睨みつけるとともに、青白い光は勢いを増して魔道具の箱になだれ込む。
魔道具は異音を発しながら天井付近へと飛び上がったかと思うと、周囲にあるものを飛び散らせながら跳ね回り、しまいには大きな音を立てながら煙を出して動かなくなった。
そればかりか、行き場を失った魔力が箱からあふれ出すと、隣の魔道具へ、またその隣の魔道具へと光は移り、いずれも異音を発しながらガタガタと震えだす。
「制御具を返すのと、この部屋が吹っ飛ぶの。どっちがいいかって聞いてるんですよ」
ジャレッドはごくりと唾を飲み込むと、苦々しい顔で手元の鞄から小袋を取り出してユールに差し出した。
「返すだけだ。まだ付けるな」
ユールは半ば奪うように小袋を受け取ると、ひとつひとつ取り出して丁寧に確認する。
全部揃っていることを確かめ終えると、ぎゅっと握りしめて安堵の息を漏らす。
「よかった……」
室内を漂っていた青白い光は鎮まり、壊れた魔道具が出す煙だけが室内に広がっていた。




