43 思いの先
氷と炎で荒れた道を片付け、ジャレッドを見送ったころには、もう空は真っ赤に染まっていた。
「次の屋敷に行きたいところだけれど……さすがに帰ろうか」
「そうですね。時間的も遅くなってきましたし……格好的にもあまり良いとは言えませんしね」
ユールとレティの身体はあちこちが煤にまみれており、ユールに至っては火花のせいで服のあちこちに穴が開いている。
「はぁ……ある程度は想定していましたけど、ここまでとは思いませんでしたよ」
ユールは少し焦げた毛先をいじりながらため息をついた。
せっかく伸ばしているのに。さすがに毛先を切らなければ。
ぐっと伸びをすると、やっと緊張の糸がほぐれたのか、急に疲れがどっと押し寄せる。
伸ばした手の中で、銀の指輪に夕陽が反射して赤く揺れた。
「あっそうだ先生、指輪お返しします」
「ああ。……いやそのままつけていろ」
レティは伸ばしかけた指を引っ込める。
「え?でもそれじゃ先生の制御具が……」
「私のはあくまで万が一の使いすぎを防ぐためのものだ。君ほど重要じゃあない。事務所に戻れば予備があるしね」
「いえ、でも」
指輪を外しかけたユールを制すと、レティは指輪を差して詰め寄った。
「この一件が落ち着くまで、外すなってことだ」
「……はい」
ユールは渋々指輪を戻すと、小さくため息をついた。
事務所へ続く道にふたりの影が細く伸びる。
ユールの足取りは出かける前よりも重くなっていた。
「あ、先生」
「いらっしゃい。レティ」
レティが喫茶パラソルの扉を開けると、すでにユールの隣には食べ終えた皿が数枚重ねられていた。
事務所に戻って幸運の手紙を金庫へしまい込んだのち解散とはなったものの、空腹のふたりが行き着く先は同じである。
「こんばんは。今日のおすすめを頼むよ」
「珍しい。いつもは一応メニューを聞くのに」
「今日はもう何も考えたくないんだ……」
レティはユールの隣の席に座ると、カウンターに肘をついて顔を覆った。
ユールは皿を平らげて満足げな様子だが、一息ついた顔に疲れがにじみ出ていた。
「ふたりともお疲れの様子だな」
「というわけだ。任せるよ」
「まぁ、ジョー君に任せておけば何でも美味しいですからね」
「その通り」
「そんなことを言ってもコーヒーぐらいしか出ないぞ」
「有難くいただきます。と言いたいところなんですが、今日は早めに眠りにつきたいのでコーヒーはやめておきます」
ユールは残念そうに肩をすくめる。
今日は何とか過ぎ去ったが、追手が明日もおとなしくしているとは限らないのだ。
「魔力の回復に努めますよ」
「そうしてくれ」
「了解。ちょっとした甘いものでもあげるよ」
「わぁ。ありがとうございます」
ユールは嬉しそうに顔をほころばせる。
「私も早めに寝たいところだが……最近よく眠れないんだよなぁ……」
「それはよろしくないですね。寝つきが悪いとか?」
「うん。あと一度寝付けても夜中に目が覚めたり、ね」
レティはふぁ、と小さくあくびをした。
「今のところは、身体は寝たがっているようだ」
ごまかすように少しぎこちなく笑うと、右耳のピアスを指でなぞった。
「……疲れのおかげでよく眠れるかもしれませんね」
「だといいんだけれど」
ユールは真剣な目つきになり、レティの方へ向き直る。
「先生、最近根を詰めすぎです」
「……わかっているよ」
「先生のお師匠様の情報は……まだまだ集めている途中なんですから」
「焦るなって?」
「仕事が終わった後も事務所に夜遅くまでいるのもわかってますからね。今日もこれからまた事務所に戻るつもりだったでしょう。ダメですよ」
「……」
レティは目を伏せると、指先をぐるぐると回す。
「今はまだ考えてもどうしようもないことはわかっているさ。つい、少しでも何かないかと……気になってね」
「考え込みすぎて眠れないで体調を崩したら本末転倒ですからね」
「うっ……はい……」
痛いところを疲れて小さくなるレティの前に、香ばしい匂いが漂ってくる。
「お待ちどうさま」
「ありがとう」
「睡眠導入にいいとされているお茶があるけど、飲んでみるかい?」
「なんですか、怪しいものじゃないですよね」
「ははっ違うよ。ただのハーブティーだ。神経の緊張をほぐして眠気を促すらしい。あとは香りだったり、寝る時の環境を整えるのもいいらしいぞ」
「ジョー君はなんでも詳しいな」
「睡眠についてはちょっとね……調べたことがあるだけだ」
「へぇ」
「とりあえずそのお茶、僕がいただいてもいいですか?純粋に気になるので」
「いいよ。ちょっと待ってな」
少ししてジョーはハーブティーと茶葉の箱をユールへと手渡した。
「よかった、普通のお茶ですね」
「俺を何だと思ってるんだ」
「いろんなことをよく知っている料理がうまいちょっと変なお兄さん、ですかね」
「ちょっと変な、は余計だ」
「うん、安らげそうないい香りです。睡眠導入も頷けますね」
レティも横から香りを確かめる。
果実のような甘酸っぱい匂いだ。
「ん?」
「どうかしたか?」
「いや……今日マリス師の家で飲んだお茶と少し香りが似ている気がして」
「まぁ、人気のお茶ではあるからな」
「そうか……?」
レティが眉根を寄せているのをよそに、ユールはハッとした顔をしてジョーに顔を向けた。
「あっそういえばキャシーさんの家でよく猫と戯れているって聞きましたよ」
「どんな情報を入手してきてんだ……」
ジョーは呆れつつも、少し照れたような表情を浮かべる。
「マリス師みたいな人は苦手かと思っていたよ」
「いろいろと話すことがあってね。常連さんとの仲介をすることもあるし」
「なるほどね」
「あそこの猫たちはしっかりしつけがされていて礼儀正しいし、何より癒される。主人はちょっと面倒くさいが」
「そうなんだよ」
レティは力強く頷いた。
ユールは少し考えこむと、怪訝そうな顔をする。
「ジョー君はお店もやってて、常連さんの仲介もして……連絡したらいつでもすぐ来てくれるし……でも頻繁に趣味に出かけたりもしてますよね?」
「まぁ、そうだな」
「いつ寝てるんですか?」
「……内緒」
ジョーはにやりと微笑むと、芳しい香りに包まれたふたりを残してカウンターの奥に消えた。
「やっぱちょっと変な人ですよ、ジョー君」
「ふっ。そうだな」
「これでよく眠れるといいですね」
「君もね。かなり魔力を使っただろう」
「まぁ。そんなに暴走したつもりは……ないんですけど」
「そもそも、予定ではなるべく派手な魔術で牽制して釘を刺すだけだったはずだが?」
「えーっと、そうでしたね」
ユールは口元を抑え、視線を逸らす。
レティはそんなユールをじとりとした目で見やる。
「……すみません。ムカついて、つい」
「君は私のことになるとすぐ頭に血が上るのはどうにかしたほうがいい」
「そんなつもりも……ないんですけど」
「何度も言っているが、私は君にそこまで思ってもらえるほど崇高な人間じゃないんだ」
「いいえ。何度も言いますが、貴女はもっと評価されるべきお人です。現に僕を救ってくれたんですから」
「私は君を救ったつもりはないよ。便利そうだと思ったから拾っただけだ」
「それでいいんですよ。貴女がそういう人だからついていきたいんです」
レティは諦めたように目を伏せて腕を組む。
「頑固だなぁ、君は。どれだけ私が生活面でだらしないかも知っているだろう」
「いやまぁそれはそれ、これはこれですよ」
「否定はしないか」
「僕を拾ってよかったでしょう?」
レティは面映ゆい表情でユールと反対側を向くと、小さく頷いた。
ユールは満足げに微笑むと、ハーブティーを口に含む。
気分が軽くなったのは、ハーブティーのおかげか、それとも。




